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「……ない。……ない」
とある晩のこと。
最寄り駅から帰宅する途中、街灯の下で何かを探している男性と遭遇した。
這いつくばって、地面を探している。
コンタクトでも落としたのだろうか。
僕は声をかけた。
「何か、落とし物ですか?」
すると男性は立ち上がり、握った拳で胸を二回、叩いた。
「私のここ、空っぽなんです」
コートを開く。
すると胸の辺りに直径20cmほどの真っ暗な空洞が広がっていた。
「…………!」
息を飲む。一瞬、かける言葉を失った。
「ね? ないんですよ、ここ。どこにいったのでしょう。そもそも、私は一体、何をなくしたのでしょう」
焦点の合わない虚ろな眼で男は再び、街灯の下で「ない、ない」と自分でもわからない『何か』を探し始めた。
「あなたも、なんですね……」
ぽつり、ぽつり。
大きな雨粒が地面を濡らす。
僕の手に、肩に、頭に冷たいものを感じる。
アスファルトの湿った匂いが鼻腔をついた。
「実は……僕も、なんです」
男性が動きを止め、ゆっくりと振り向いた。
僕は上着のボタンを外し、開いて見せた。
「1ヶ月くらい前から、こうなんです」
同じく、真っ暗な空洞が胸のあたりにぽっかりと開いていた。
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