誰が初恋殺したの?

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 意を決したように客人は言った。 「恋を見つけてほしいんです」  俺様は猫である。名前はあるのかもしれないが、ついぞ呼ばれたことがない。  主人は霞小路響という、なんとも大仰な名を持つ男だ。三十がらみのたおやかな美人で、押しに弱そうな頼りないなりをするくせに、これがなかなか芯が強くて口が立つ。  忘れ路という小暗い路地の最奥に、小さな店を構えている。  開けるのに難儀する樫材のドア。たいていの人間には高すぎて落ち着かない飴色のカウンター。時間の感覚を狂わせる深い橙の照明。ボリュームがあまりにささやかで、誰の耳にも留まらないBGM。存在意義の曖昧なそうしたものらを寄せ集め、客の訪いを待ちぼうけるのがどうやら響は楽しいらしい。  日がな一日店を開けては、狭いカウンターの内側をほとんど埋め尽くしてしまう、座り心地のよさだけが自慢の肘掛け椅子に控えている。  古式ゆかしい喫茶めいた造りをするくせに、ここは茶を供する類の店ではない。  響がここで商うのは、客が探し求める『なにか』だった。  六月も終わりに近付いた、梅雨の晴れ間。  扉にはまった硝子の向こうに人影が見えた。 「おい」  呼べば図録に落ちていた視線が上がる。淡い虹彩は束の間俺に注がれて、すいと扉に移された。 「おや、お客様ですか」  本を閉じ、響が客の迎えに立つ。通りすがりに眉間をくすぐる不器用な指先を堪能し、若草色の紬の背を追いかけた。  このドアは開けるのに少しばかりコツが要る。そうでなくても重たくて、開閉のたびこちらが閉口させられる。  ギィと軋んだ扉の向こうに立っていたのは、セーラー服を着た、十五、六の少女だった。  頼りなく眉を下げ、縋るように響を見上げる。 「ようこそおいでくださいました」  なにかを失くして途方に暮れ、ようようここに辿り着いた客人たちにとって、こいつの菩薩めいたやわらかな微笑みは、恐ろしいほどの救いとして映るらしい。 「お兄さんが『探し屋』さんですか……?」 「ええ。そう呼ぶ方もいらっしゃいます」 「失くしたものはなんでも見つけてくれるって」  響にまつわる噂話。  本当に失せ物探しに困ったら、忘れ路を訪ねるといい。そこには一つの扉があって、一人の男が迎えてくれる。もし彼に出会えたら、失せ物はたちまち見つかるだろう。  いい加減な放言だ。  迎えに出るのは男が一人と猫が一匹だし、出会わなければならないのは男ではなく扉の方だ。たちまちかどうかも少し怪しい。なんせ響はのんびりしていて、せせこましいのは趣味じゃないのだ。 「絶対とのお約束は致しかねますが、たいがいのものは」  響の応諾を受け、少女の瞳に光が灯る。希望の光。 「あの、」  意を決したように客人は言った。 「恋を見つけてほしいんです」  店に落ち着き、藤森すずめと名乗った彼女は、恋が消えてしまったのだと話した。 「昨日まで、誰かを好きだったはずなんです。でもなにも覚えてなくて……」  その感覚を知っている。か細いけれど確かな糸だ。決して手繰ることのできない先に、欠いてはいけないなにかがあるあの感じ。 「嫌なんです、絶対すごく好きだったのに、大事だったはずなのに、なんにも思い出せないのは」  切実な訴えに、響がそっと口を挟む。 「忘れてしまいたかったのだとは、お思いになられないのですね」  少女の目が丸くなる。そんなこと、考えてもみなかったというように。  幸福な恋だったのだろう。それが胸に在るだけで、日々を笑顔で過ごせるような。  響はふわりと微笑んで、お話は承知致しましたと頷いた。 「ではすずめ様。新たな恋を探しましょうか」 「え……?」  すずめと俺は同じ顔をしたと思う。虚を突かれ、ぽかんとした間抜け面。 「おい響、お前言ってることめちゃくちゃだぞ!?」  わかっているというように、額をくしゃりと撫でられる。ぬるい手のひらの下で、耳がぺたんと押しつぶされた。 「その喪失はおそらく、恋解きによるものです。あれは恋の治療薬ですから、解かれたものは戻りません」  響にしては直截な、らしくない語り口で合点がいった。  失われてしまったその恋を、取り戻す手立てはどこにもないのだ。だからせめて軽やかに、終わりの先を見せようとしている。  少女の瞳に膜が張る。透明に滲んだそれを、けれど彼女は歯を食いしばることで雫にはしなかった。 「すずめ様」  響の一等優しい声だ。あらゆるものを慈しみ、深くまで包み込む。 「お相手を探しましょう。すずめ様が恋をなさったその方を。お相手さえわかれば、再び縁を結べるやもしれません」  一度恋をした相手だ。また惚れることもあるだろう。  覆水が盆に返ることはないけれど、空になってしまった器が二度と満ちないわけではない。  ぱた、とかすかな音がした。ぱたり、ぱたり、透明な雨が制服の膝に落ちていく。  損なわれてしまったものよりこれからの希望に光を見出し、こくんと深く頷いた少女に、響はタオルを差し出した。 「さて、すずめ様。その方とお付き合いをなさっていた可能性はありませんか?」  ということで、まずはすずめの携帯端末が検められた。 「うわ、ヒバリちゃんからめっちゃ連絡入ってる」  学生鞄から端末を取り出すやいなや、すずめは小さく悲鳴を上げた。 「ヒバリ様?」 「一番大事な友だちなんです。そっか、私学校サボっちゃったんだ。それで心配してくれたみたいです」 「仲がよろしいんですね」  面映ゆく微笑んで、すずめは履歴を辿っていく。  報告によれば、学友たちとのやり取りはあるものの、睦言を贈り合う相手はいなかったとのことだった。友人たちに片恋の懊悩を吐露することも、なにごとかを相談した素振りもなかったらしい。 「妙ですね。すずめ様ぐらいの年頃であれば、そうした話題でもちきりでしょうに」 「すみません……。誰が誰を好きだった、みたいな話は覚えてるんですけど」 「いえ、責めているわけではなく。そうした情報も十分ヒントになりますよ」  眉を下げるすずめを宥め、出かけましょうかと響は言った。 「古くから捜査は足でと申しますし」  お前はどうします? と尋ねられ、答える代わりにカウンターから飛び降りた。  手始めに、すずめの通う高校へ向かった。  本人の記憶がない以上、人の話を聞かないことには糸口もなにも掴めない。 「こんな時間に外にいるの、変な感じ」  呟くすずめは楽しげだ。本来は天真爛漫な少女なのだろう。  時刻は正午を過ぎていた。 「ちょうど昼休みに着くでしょうから、ご学友のお話はうかがいやすいでしょうね」 「私おなかすいちゃいました」 「おや、これは気が利かず。店でなにかお出しすればよかったですね」 「やめとけよ、お前料理はからっきしだろ」 「あ、ミルクティーとっても美味しかったです!」 「それは重畳。高校の学食というものは、部外者が立ち入ってよいものでしょうか?」 「あー、ウチは駄目な気がします。近所の大学なら大丈夫って実習生が教えてくれたんですけど」 「それは残念ですねぇ。では先に腹ごなしでも」 「してる間に昼休み終わるだろうが。授業始まっちまったら放課後まで手出しできねぇぞ」 「というのは難しそうですねぇ」 「私購買でパンかお弁当買ってきますよ! 裏庭の人があまりこないとこ知ってるんで、そこなら響さんたちも見つからないと思います!」 「おいお前ら、ピクニックじゃねぇんだぞ……?」  とぼけた美丈夫とおっとりした女子高生、黒猫一匹の珍道中は、気苦労は絶えないものの始終和やかなものだった。  首尾よく裏庭に潜り込むと、すずめはまず購買で出会ったという少女を連れてきた。  連れてきたのかこられたのかは判断に迷うところだが、深草ヒバリは心配したのだとすずめを𠮟りつけつつ現れて、すずめを背に庇うように俺たちの前に立ちはだかった。  凛と聡明な空気を纏う少女はじっとこちらを睨めつけている。 「ヒバリちゃん、響さんたちは、」 「いい人だって言われても信じないから。すずめがなんと言ったって、平日の昼日中に未成年連れまわすことを問題だと思わない倫理観の大人、信用に値しないの」  ご説ごもっともすぎて、なんら反論の余地がない。 「違うの、連れまわされたりしてない! 響さんは探し屋さんで、私を助けるためにここまでついてきてくれただけなの!」  疑わしげなヒバリの視線が響にじっと注がれる。  少々口が立つことと、顔が綺麗なこと以外、特筆すべき点のない怪しげな風体の男だ。それだけに、探し屋という得体の知れない職業人としてはもっともらしく映ったのだろう。 「探し屋って、あの……?」 「はい。忘れ路に店を構えております、霞小路響と申します。ぜひ響とお呼びください」  慣れた仕草で慇懃に頭を垂れて見せる。 「……噂では、本当に困ってないと会えないって聞いたんですけど」 「どうも店がお客様を選り好みするようでして。すずめ様は当店を訪ねてらしたので、こうしてお手伝いさせて頂いております」  釈然としない面持ちで、ヒバリは背後を振り返る。勝ち取れた信用はよくて三割といったところか。 「すずめ、なにか失くしたの……?」  彼女はわずかな逡巡の後、薄桃の唇を開いた。 「……恋」 「え?」 「恋が消えちゃったの。好きな人のこと、なにも思い出せないの」  ヒバリははたと黙り込み、それから呆然と響を映した。そのいとけない眼差しは、最初に響と対峙したすずめのそれによく似ていた。まるで全ては性質の悪い冗談だと証されたがっているような、切実な双眸。  残念ながらと響は答え、そしてそれで十分だった。  ヒバリの目から剣呑さの名残とともに光が失せる。絶望のウロ。 「すずめ様は恋解きを飲まされた可能性があります」 「……のまされた?」 「はい。ご本人にお心当たりはないようですが」  言葉を咀嚼するための数秒を経て、ヒバリは笑った。生まれて初めて表情筋を使ったようなぎこちなさで。 「ならあなたたちはなにを探しにきたんですか?」  俺たちの信用は地にめり込んでしまったらしい。温度のない冷ややかな声でヒバリが問う。 「すずめに薬を飲ませた犯人を捕まえにでもきたんですか? まさか本当に恋を探してるなんて言わないでしょう?」 「恋を探しに」  臆するところのない断言に、ヒバリは一瞬言葉を失くす。 「そんなもの、どうやって見つけるんですか。見つけて、どうするっていうんですか。そんな薬飲まなきゃいけないような恋、そのままの方が幸せなんじゃないですか」  押し殺した声が訴える。  深草ヒバリは、どこまでも正しい少女だった。  人の心を消すなんてよっぽどだ。正気の沙汰ではないだろう。それほどまでに疎まれた感情を、あえてすずめの手に返すのかと問われている。 「だとしても、要不要を決めるのは、すずめ様であるべきです」  やわい物言いを好む響には珍しく、きつい響きの断言だった。 「心底から求めているからこそ、人はそれを探すのです。生中な感情で店の扉は開きません。すずめ様にとってこの恋は、どうしても手放し難いものなのです。それを他人が不要と断じ、手放させるようなことなどあってはならない。私はそう考えます」  ヒバリがぐっと歯を噛み締める。潤んだ瞳は瞬きが打ち消した。 「消えた恋は、戻りませんよね」 「はい」 「もう一度、同じ人に恋をさせようとしてるんですね」 「お相手さえわかれば、そうなる可能性もありますから」  夏の陽気に不似合いな、重苦しい逡巡の後、深く息をついたヒバリはわかりましたと頷いた。 「すずめは稲荷と仲がよかったです。10組の稲荷鷹尾」 「え? でもタカちゃんは、」  言いかけて、すずめがあれ? と首を傾げた。 「いかがなさいました?」 「いえ、なんでもないです!」  首がぶんぶん左右に振られる。 「ヒバリ様、他にお心当たりはございませんか?」 「ないです。すずめはあまりグループの外に出ないので、特別親しい相手は稲荷ぐらいしか」 「なるほど。ご協力感謝致します」 「あの、」  鷹尾を呼び出す役目に自ら名乗りを上げたヒバリの姿が見えなくなると、すずめが細く声を上げた。 「私、ちょっと前にタカちゃん振ってるんです」 「おや」 「私そのこと、ヒバリちゃんに話してなかったのかな……」  確かにそれを知っていれば、ヒバリは鷹尾の名を挙げなかっただろう。 「ああ」  不意に響が呟いた。よく知る種類の「ああ」だった。  なにかが腑に落ちた時、特に探し物の在処に思い至った時、響はこの声を上げる。 「すずめ様はやはり、その方を深く愛してらしたのですね」  ヒバリが道中あらかたの事情は伝えてくれていたようで、鷹尾との対面は簡単に運んだ。  鷹尾はすずめとどこか近い、穏やかな気配を連れた少年だった。 「僕のことも忘れちゃった?」  すずめがふるりと首を振ると、喜びと哀しみが綯い交ぜになった優しい笑い方をして、そっかと彼は頷いた。 「すずめちゃんの好きな人、探してるんだよね」 「うん」 「ごめん。断られた時に好きな人がいるっていうのは聞いたんだけど、誰かまでは教えてもらってないんだ。相手は内緒って言ってた。誰にも言わないって決めてるのって」 「どんな人とかも話してないよね」 「うん。でも先生とか結婚してる人とか、そういうのじゃないって言ってた。好きになったら駄目だとは思わないけど、その子を困らせたくないからって」 「なんかなぞなぞみたいだね」  呟くすずめに「ね」と愛らしい同意を返す鷹尾は、自身の失恋をすでに受け入れているように見えた。きちんと区切りをつけた人間の諦念と、恋した相手への慈しみ。  少年はどこか眩しがるような目をして、でも、と言った。 「困らせてみたらいいと思うよ」 「え?」 「僕もすずめちゃん困らせたけど、こうしてお話してくれてるでしょ?」  だから案外大丈夫だよと請け合う鷹尾に、すずめがきょとんと瞬きをする。 「タカちゃん、私の好きな人知ってるの?」 「んー、なんとなくだけど、そうなのかなって」 「誰? 教えて?」  すずめの指が鷹尾のシャツの裾を掴む。  彼は小さくたたらを踏んで、ことの成り行きを見守っているヒバリと響を順繰りに見た。  内緒話の要領で、鷹尾がすずめになにかを囁く。  それからそっと距離を取り、 「失恋したら一緒に泣こうね」  小さな約束をひとつ置いて、教室へと戻っていった。  たぶん僕は邪魔だからと手を振って。  すずめはどこか浮ついた足取りで、ふわふわこちらに戻ってきた。 「見つかりましたか?」 「た、ぶん……?」 「確信がおありではない?」 「なんか、ちょっとびっくりしちゃって、それどころじゃないっていうか」 「なるほど。ヒバリ様はいかが思われますか?」  問われた少女はひどく硬い顔つきで、ただそこに立ち尽くしていた。なにかひどい嵐の夜を、やり過ごそうとするかのように。 「おい、俺を蚊帳の外に置くんじゃねぇ」  着物の裾を引っ掻くと、傍らに座り込んだ響に、つむじからしっぽまでを撫でられた。 「子細な種明かしは無粋でしょうから、すずめ様にとっての謎解きだけ致しましょうか」 「私にとっての?」 「ええ。ヒバリ様は、おそらくすべてお気付きですので」  すずめがヒバリを視界に映す。  夜明けは訪れたのだろうか。ヒバリは今にも泣きだしそうに笑って見せた。  まず、という短い前置きから解説は始まった。 「すずめ様に恋解きを飲ませたのは、すずめ様ご自身です」  驚きに目が瞠られる。 「でも私、そんな記憶」 「忘れ薬もあわせてお召しになられたのではないでしょうか。これはあくまで推測ですが、恋解きを飲んだと不用意に話してしまうことや、様子がおかしいと気取られることを危惧されたのだと思います。すずめ様はおおらかで素直でらっしゃいますから」 「飲んだことを、内緒にしたかった……?」 「はい。すずめ様はご自身の感情を人知れず葬ろうとなさった。そのためには、恋解きを飲んだという、ひいては恋しい相手がいたという事実そのものが邪魔だったのです」 「あー……」  すずめの頬に気の抜けた笑みが浮かぶ。 「内緒にしてたことが答えになっちゃうってことですね」  そこでようやく合点がいった。  響が、鷹尾が、気付いた理由もそこだろう。  親友にまで隠さなければならない恋なのではなく、親友にだけは、隠しおおせたかった恋なのだとしたら。そんなもの、相手はおのずと決まってしまう。 「そしてそうしたすずめ様のお考えに、ヒバリ様は気付かれた」  葬ったはずの感情を、呼び起こしてどうすると、確かにヒバリは問うたのだ。すずめのしたことに気付いたから、放っておけよと願わずにいられなかった。 「私からは以上となります。あとのことはお二人で」  得意の芝居がかった一礼で場を締めくくった響は、俺を連れて高校をあとにした。 「あいつらどうなると思う?」  見上げた響は午後の白い日差しを受け、淡い光を纏っていた。 「さあ。なにせすずめ様がもう一度恋をなさるところからですから」  どう転ぶかまではわからないと響は言う。 「鷹尾じゃねぇけど、相手の迷惑なんか考えずに告白しちまえばよかったのに」 「さあ、それもどうでしょう。すずめ様のなさったことにヒバリ様が気付かれたように、ヒバリ様のなさることがすずめ様にもわかっていたのかもしれません」 「振られてたってことか?」 「あなた鷹尾様をどう思います?」  話題がぽんと素知らぬ方向に飛んでいく。煙に巻くような話し方は、響の数ある悪癖のひとつだ。けれどなんということはない。てんで無関係に見える話題に応じていけば、欲しいものは手に入るのだと知っている。 「いいヤツなんじゃねぇの。嫌いじゃねぇけど」 「はい。私も善良で好ましい少年だと感じました。そしておそらく、ヒバリ様もそう思われていたのでしょう」 「つーとなんだ、ヒバリはすずめと鷹尾をくっつけようとしてたって?」 「例えばですよ。もし彼が失恋していなかったら?」 「あ?」 「どうなっていたと思います?」  カラコロ下駄が鳴っている。  六月の、熱を孕んだ風が吹く。 「鷹尾が、すずめの好きな人候補に入ってくる……?」 「ご名答。そしてそれこそ本当に、ヒバリ様を除いてではありますが、すずめ様の好きな相手を知る者がいなくなるわけです」 「ヒバリはすずめが好きなんだろ?」  そしてすずめが自分を好きだということも、ちゃんと知っていたはずだ。 「だからこそ、望ましい相手をあてがおうとしたんでしょうね」 「そこは自分でいいじゃねぇか」 「人間は男女で番うものだと、大半が思ってるんですよ。そして社会というものは、一般の枠から外れた途端、生きづらくなるようにできている。そうしたことを、ヒバリ様は気にされる性質でしょうから」 「人目を気にしたってことか?」  非難じみた俺の言い草を窘めるように、響がやわく目を細める。 「あの二人は、よく似ていると思いませんか」 「すずめと鷹尾か?」 「すずめ様とヒバリ様です」 「そうか?」 「相手のためにご自身を犠牲にできてしまうところとか」 「すずめのために身を引いたって?」 「そうした見方もできるかと」  物事の婉曲さに眩暈がした。 「めんどくせぇ……」  人間とはかくも面倒なものだろうか。一筋縄ではいかないことは、わかったつもりでいたけれど。  くすくすと、響が喉を鳴らしている。 「失くしてから気付くのは人の常といいますし。気付いたからには、あがくのもまた常でしょうから」  すずめが恋を失くしたと知った瞬間の、ヒバリの顔を思い出す。色濃く深い絶望の影。  一度は手繰りようもなく手放したはずの感情を、手放し切れずもがいたすずめと、伸ばす手を押さえつけることを選んだヒバリがもし本当に似ているのなら、彼女もまたほどけてしまったその糸を、結び直すことをこそ願うのではないだろうか。 「恋なんざしなきゃいいのに」 「その点に関しては、反論の余地もありません」  ため息交じりの苦い笑みは次の瞬間かき消えて、普段通りの穏やかな顔に塗り潰された。 「ああ、お弁当を頂き損ねてしまいましたね」  心底名残惜しげな声が落ちる。  カフェにでも寄りましょうかと呟いた響は、繁華な通りの方向へ足を向けた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加