目を閉じて

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 私の部屋の勉強机は、窓の側にある。毎日、学校から帰ってきた私はその前に座り、目を閉じて記憶の中を探し、目的のモノが見つかったら目の前の紙に必要な事を描き込んでいくのがここ最近の日課だ。  私の机の引き出しには、ポストカードサイズの真っ白な画用紙と写真、そして私の描いた絵が入っている。絵は、鉛筆で描いているもので上手くも下手でもないが、自分で言うのもなんだが特徴は掴んだ風景画だ。本当は実物と比較したいが無理なので仕方がない。これは昔、弟と共に見た光景なのだから。  私と五歳違いの弟は、別れて住んでいる。原因は親の離婚。ありがちだが、巻き込まれた関係者にはなかなか辛い。両親どちらも承認欲求が強く、外で働くことも生活の為よりも自己実現の為だったのだと思う。食事は家族全員そろってすることはまれで、私の本当の家族は弟だけだった。  私が小学6年生の時に両親が別れた。理由は父の浮気と母は言っていたが、調停ではなく協議で離婚して1年後に再婚しているのでダブル不倫だったのではと疑っている。  母は離婚成立すぐに、引き取った私を実家に預けた。母も収入がそれなりにあったので、父から養育費があまりもらえないのだ。以前は週2ほど家事代行に来てもらえるくらいの余裕があったのだが、生活費が減り仕事が忙しくて私の世話が満足にできないからだそうだ。食事もデリバリーや買ってきた惣菜が中心で、たいした世話をしてもらった記憶はない。だが中学では学童保育が無くなるので、誰が自分を保護してくれるのか心配だった。一人暮らしだった祖母は母よりは私に関心があるようで、日常の世話だけではなく学校行事や三者面談に参加してくれたので、私は安心した。それは母も同じだったらしく、安心して私立中学に入れた私を実家に捨てて、再婚した男性の家に転がり込んでいる。  祖母との二人暮らしで精神的に安定した生活を満喫している私だったが、父に引き取られた弟は今でもずっと心配している。以前と同じ家に住んでいる弟は、きちんと生活できているだろうかと。中学一年の夏休み、小遣いを貯めて様子を見に行った時、家事代行の契約を打ちきったのか家の中は散らかっており、弟はクリーニングに出された服を着てはいたがかなり疲れた様子だった。  私はすぐに祖母に相談した。祖母は母に報告したようだが、子供に興味がないのでまったく役に立たなかったようだ。父は子供に無関心だが世間体は気にする男なので、親権を手放さないですむ最小限の手間はかけるが、弟に必要な分だけの世話をする気はなさそうだったし、父の親族は施設に入った祖父母だけなので頼ることは難しかった。  これはヤバいと私は心底思った。だが、暴力も食事制限も罵倒も教育拒否もされていないのに、学校や役所が動く事は難しいだろう。私は必死にない頭を働かせて、知恵熱で倒れそうになった時、あるアイデアを思いついた。 「父に合法的に弟を捨てさせよう」  私は母に捨てられたのだが、世間的には私が私立中学校に通う為、泣く泣く祖母に預けて別れているという事になっている。ならば、父にも同じ事をさせれば良いのだ。私と祖母は父を説得し、弟が私立中学の受験に受かったら祖母の家から通う事を了承させた。  弟は塾に行かせてもらえるようになり、私はリモートで弟に毎日勉強を教えるようになった。食事は私と祖母が作った料理を宅配で送り、夕食はスマートフォンで互いのテーブルを映している。物理的な距離はあるけれど、私たちは祖母を交えてまた近くなった。  あれから二年。弟は必死に受験勉強をしている。上さえ目指さなければ、この地域の私立中学に受かるだろう。  少し心配が減った時、私は気がついたことがある。弟がこちらに来たとき、困らないようにするにはどうすればよいかと。弟は祖母の家には2回しか来たことがない。余りにも思い入れのない土地では寂しい思いをするのではないかと。  そこで思いついたのが、来たときの思い出と比較できるアルバム作りだ。子供に興味のない両親は写真など残してはくれていないが、私の頭には弟と楽しく遊んだ記憶があるのだ。思いついた日から私は外出しては写真を撮り、思い出を描いていくという作業をしている。机の中には、現在の光景の写真と対で私のスケッチが入っている。そのスケッチの中には、笑顔の弟と私がいつもいる。  今日のスケッチを描き終わったとき、部屋の外から祖母が夕食ができたと言ってきた。私は慌ててスケッチを机の中にしまい、弟と食事をするために台所へ向かった。
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