(10)女王の力

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(10)女王の力

 今夜の宿に着いてまた一人部屋になり、ベッドに転がっていたが少しも寝付けなかった。  何度か寝返りをうってから、自分の唇に触れてみた。  あれが私のファーストキス。  治療的なものだったので、ノーカウントでいいんじゃないかと思うが、衝撃的過ぎて忘れられそうにない。  前の瞬間まで子供だったベルトランが、いきなり大人の男性に変わり、深く唇を重ねるキスをしてきた。  他の二人に見られたというのもまた衝撃で、恥ずかしくてたまらなかった。  治療だからと自分にも言い聞かせて、みんなの前では平気なフリをしていたけれど、こんなことをこれから何度もしなくてはいけないというのが信じられなかった。  しかも、また新たに加わった白魔法の気配が、私の気分をどんどん重くしていた。  軽くため息をついてから、結局眠れないのでベッドから起き上がった。  ミルドレッドの力を受け継ぐ、というのがどういうことなのか。  私はまったく分かっていなかった。  歴史上存在したとされる、女王ミルドレッド。  なんと彼女は奴隷からその身を女王にまでのし上げた女だった。  幼くして両親を亡くし、奴隷として市場に売られた彼女はその極めて珍しい容姿を認められて、王家の人間に買われることになる。  王城で下働きとして勤めることになるが、目立ち過ぎる容姿は注目の的で、年頃になるとついに王子に見染められてしまう。  ここまではシンデレラストーリーであるが、彼女を見染めた王子というのが四人兄弟で、その誰もがミルドレッドを好きになってしまう。  しかしミルドレッドは、誰の好意にも応えなかった。そのため、王子達は無理矢理にでもミルドレッドを自分のものにしようと血みどろの争いを繰り広げる。  次々と王子は死んでいき、最後に残された王子とミルドレッドは結婚した。  しかし、争いに打ち勝って彼女を手に入れた王子だったが、すぐに何者かの手によってこの世を去ることになる。  すでに王子達の争いによって国内は混乱に陥っていた。その中で、長年病に臥せっていた王がついに崩御してしまう。  世は戦乱で、これを好機と他国が一気に攻め込んでくることになった。  そこで立ち上がったのがミルドレッド。  彼女は女神に授かったと自らの力の発動を宣言し、自分の特別な血を分け与えると言い放った。  ミルドレッドは強力な黒魔法の使い手でもあり、また強い白魔法まで発動したことで、人知を超える存在になった。  ミルドレッドの血は一滴でも、強大な力を手に入れることができるとされ、多くの者がその血を求めた。  そして、その血を舐めた者達は次々と力を増幅させて、あっという間に攻め込んできた他国の兵を木っ端微塵に消し去ってしまった。  ミルドレッドは国を平定し、他国にも攻め込んで多くの領土を手に入れた。  多くの男を従えて、自らの王国を完全なものとしたミルドレッドだったが、結局誰とも結婚することもなく、臣下に政権を譲り忽然と姿を消してしまった。  彼女が最後まで愛していたのは、四人の王子だったとか、そんな話もあったそうだが、今となってはこちらの世界のお伽噺のようなものらしい。  そして私はその、ミルドレッドの力を受け継いだとだけ言われた。それで結局、二つの魔力を持つ事でなにが起きるのか。  みんなハッキリと教えてくれなくて、戸惑うばかりだった。  失礼しますと小さく声が聞こえて、カチャリとドアが開いた。小さな灯りを手に、姿を現したのはエドワードだった。  ベッドに起き上がって座っている私を見たら、にこりと微笑んだ。 「物音が聞こえたから、様子を見にきた。眠れないのかな……、まぁそうだよね」 「色んなことがありすぎて、考えていたら目が冴えちゃった」 「よかったら、落ち着くと思うから飲んでみて」  エドワードはこちらの人がよく眠る前に飲むという、温めたミルクのような飲み物を持ってきてくれた。一口飲むと昂っていた神経が和らいでいくのがわかった。 「魔力はさ、本来は悪いものではないんだ。生きるための力でこっちの人間には生活に欠かせないものになっている。ただあり過ぎると体に毒になってしまう…。少し前のアリサみたいにね。気がつかなくてごめんね。騎士として不甲斐ない」 「いえ…そんな……。目で見て人の魔力の量が分かるのは、魔導士の中でも限られた人だけなんでしょう。通常ではありえない特異体質? みたいだし、大事には至らなかったから……気にしないで」 「……アリサ」  エドワードだって、通常の護衛の仕事を頼まれていたのに、こんな例外が起きてしまうなんて予想もしていなかっただろう。そんな中、よくやってくれていると私は感謝していた。 「今日は……その、ほら二人にも変なもの見せちゃったし、逆に申し訳ないというか……治療みたいなものだけど、まだ気持ちが付いていかなくて」 「当たり前だよ。アリサを見れば、そういうことに慣れているようには見えない。純粋に見える君をこんなことに巻き込んだ女神イシスの導きには疑問しかない。これからの事を思うと何と言っていいか……」  この時間、エドワードがこの部屋に入ってきた理由は何となく分かった。それは、あの三人の中で彼が説明する者として相応しいということになったのだろう。  エドワードは礼儀正しく騎士としても優秀、そして優しいし真面目な男だ。  私をいかに傷つけずにすむかと布陣が組まれたのはなんとなく想像できた。いつ、切り出されるのだろうと思っていたが、小さく息を吸った気配がして、やはりエドワードは話があると言ってきた。 「アリサがミルドレッド女王の力を受け継いだ、という所まで話がいっていたよね。それでアリサの魔力が溜まりすぎてしまう体質も説明がついた。白の魔力と黒の魔力は水と油のような関係で一つの肉体に宿るには負担が大きいんだ。かつて、ミルドレッド女王はハーレムの女王と呼ばれた。それは、男達に血を分け与えて支配したというだけではない。彼女もまた男達に生かされていた」 「生かされて…いた?」 「ベルトランに黒魔力を散らしてもらっただろう。あれで出口を作ったから、もし増えすぎたらまた散らすことで対応できると思っていた」  最初に聞いた説明はそうだった。キスで誰かに散らしてもらい、慣れてきたら自分で解放できるようになるかもという流れだった。 「ハーレムの女王と呼ばれたミルドレッドは、そ…その、黒魔力を持つ男と…せ…性交を通じて魔力を発散し……精を受けて体内を浄化する。そして白魔力を含んだ血を吸わせることで全ての力を発散して自らの体を正常に保っていた……と、言われている」  薄暗い室内でも分かるくらい、エドワードの顔は赤く染まっていた。  途中棒読みであったが、彼の言いたいことは理解できた。  なるほどこんな話、真面目タイプのエドワードでないと伝えられないだろう。  ランスロットは口にしたくないと怒り出すだろうし、ベルトランはデリカシーのない発言で心にナイフを刺してきそうだ。 「魔力は歳を重ねれば徐々に減っていくものだけど、彼女が結局消えたのはそれを待てずにでも、魔法の使えない異世界に行くことで、この体質から逃れるためだったとか……あくまで仮説だけど。ミルドレッドが空間を移動する魔法を研究していたという記述も残されている。それで、アリサが同じ力を受け継いでいる…ということは……その……」 「同じことをしなければ、ここでは生きていけない……ってこと……?」  ショックと、混乱で崩れそうになる意識の中、エドワードが気まずそうに頷いたのが見えた。 「そ…それは、ひとりの人ではダメなの? 結婚して…夫になる人であれば……そういう行為も……その方の協力は必要だと思うけど……」 「同じ人間が繰り返し対応するのは…まずくて……効果が強すぎるんだ。アリサから魔力をもらうし、吸血でもらう血の力も凄いから暴走する危険があって……とても言いにくいんだけど…何人かは必要で……だからミルドレッドもハーレムを……」  なんという事だ。  私は気が遠くなってベッドに崩れ落ちた。  初恋もまだであったのに異世界に来て、ミルドレッドの力を受け継いでいたというおかげで、生きるために複数の男性と関係を持たなければいけない、という事だ。  子孫だとか末裔だとか私にとっては寝耳に水で、そんな事を言われても困惑しかない。  これは女神の気まぐれなのか、巻き込まれてこの世界に召喚されてしまい、かつての女王の子孫であったために、起きてしまった悲劇ということか。  魔力の存在しない元で世界であれば、普通に生きていけたはずだ。  わけの分からない世界で、ありえない状況、逃げ出すことも叶わず、ただ嵐の中を突き進むしか道はないのだろうか。私は一歩も進めず呆然と立ち尽くすしかなかった。 「とりあえずは、まだ白魔力は芽生えたばかりだからほとんどない。黒魔力を適当に散らしておけばなんとかなる」  昨夜、エドワードから説明を受けたことを聞いたベルトランは、けろっとした顔でそう言ってきた。  今日は少年の姿になっているので、猫の時より表情が読みやすい。と言っても、表情がよく変わるタイプではないので、些細な変化しかないのだが、余計にさっぱりしているように見えてしまう。  私はその件についてはしばらく考えなくなかったので、ため息をついてから話題を変えることにした。  現実逃避でもしないとおかしくなりそうだ。 「ところで、ベルトランはどうして子供の姿をしているの? 本来はあの姿なんでしょう?」 「宮廷魔導士を辞めるには制約を受ける必要があった。呪いを受けて子供の姿にされた。まぁ、動きは鈍くなるが、俺にとっては大した問題ではない」  またまた、何でもないという顔で答えてきた。会ったばかりだが、まったく理解できそうにない。こんな男が守護者としてずっと付いて回るというのも信じたくない現実だ。  だが、強いことは強そうなので、この際利用させてもらうことにする。  こんな時だが、ある意味そのあっけらかんとしたベルトランの態度が、今の足元がぐらぐらな私には意外と心強くも感じた。 「んっ……、兵士が集まっているぞ」  今日も順調に神殿に向けて進んでいたが、途中の道で綱を引くランスロットが警戒の色を出したので、エドワードも剣に手をかけた。 「おい、何かあったのか?」  帝国の騎士が近づいていることに気がつくと、集まっていた兵士達がわらわらと馬車に近づいてきた。 「我々は辺境の警備隊です。エルジョーカーの兵が動きを見せたので、今警戒の命令が出ておりまして、申し訳ございませんが、こちらの道は封鎖されています」 「エルジョーカーか……、やはりこのタイミング。聖女を狙っているという情報は間違いなかったな。ランスロット、遠回りになるが迂回するしかない」  ランスロットが了解と言って、馬車は来た道を引き返すことになった。  自分の身に起きる信じたくない現実と、帝国にも何やら不穏な気配が漂ってきた。  どう考えても落ち着かない状況で、いつの間にか猫になっていたベルトランが、ニャアと鳴いた声がやけに大きく耳に響いた。  □□□
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