(11)消えた人々

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(11)消えた人々

 オルフェール帝国の隣国エルジョーカーは、帝国に続く大国で、非常に好戦的な国であるそうだ。  小国を滅ぼして領土を増やしつつ、帝国との国境付近では頻繁に小競り合いが起こっていた。  エルジョーカーが本格的に帝国に攻め入ることができない原因は、聖女にあると言われている。  エルジョーカーにも女神イシスや聖女信仰が強く根を張っていて、聖女が選ばれる地を汚してはいけないという考えが広まっているそうだ。  歴史上聖女が召喚されるのは、オルフェール帝国の地のみだが、独自に召喚の儀を行っているらしい。ただことごとく失敗しているとも伝えられている。  今の王は非常に狡猾で残忍らしく、虎視眈々と次の聖女の誕生を待っていたのだと思われる。  今回、帝国が召喚に成功したという情報は各国にも広まっていて、それに合わせて動いたのだろうと見られていた。 「俺が思うに、聖女を殺すか攫うかするつもりだろう」  ベルトランの意見に、がっと牙を剥いたように反応したのはエドワードだった。 「殺すのは違うと思う。向こうだって聖女を望む声は多い。まさか民意を逆撫でするような行為はしないはずだ」 「しかし、あの男はなんだってやるぞ。聖女を殺すことが、帝国にとって大打撃になることは確かだ。そこを狙っている可能性はある」  まるで知り合いのことを話しているかのような口ぶりに、会ったことはあるのかと聞いてみたら、あると軽い感じで返されてしまった。 「俺は暗殺部隊として飛び回っていたからな。当然、エルジョーカーの王も対象に入っていたことがある。一族を皆殺しにして王の座に座った男だ。かなり強力な黒魔力を持っている。帝国のボンボン皇子とは大違いだ」  見た目は極上な皇子様だったが、セイラに振り回されている情けない感じは確かにボンボンだと思って、ベルトランの意見につい笑ってしまった。 「国境付近の動きが気になるな、偵察部隊が入り込んでいるかもしれない。早くこの地帯を抜けることが先決だ」  とは言ってもオンボロ馬車に痩せた馬、いくらランスロットが急がせようとしても速度はほとんど変わらなかった。  そして、エドワードが心配していた影が私達の行く手にじわりじわりと迫ろうとしていた。  日が暮れ始めて、今日の宿を見つけるために、近くの村に到着した。  まずはエドワードが村人に話をするために降りて行ったがなかなか帰って来なかった。 「……遅いな。まだ完全に夜ではないのに、歩いている人間がひとりもいない。……何かおかしい」  ランスロットの呟きが聞こえたくらいで、ゴロンと座席に転がっていたベルトランがぐるっと回転して起き上がり毛を逆立てた。 「魔物のにおいがする……、近くまで来ているぞ」 「なんだって! ここは平原なのに!」 「野生じゃない。これは飼い犬だ……」  少し離れるぞと言って猫のベルトランが馬車から飛び降りで軽々と着地した。  そのまま村の中へ猫の姿のまま走って、あっという間に消えてしまった。  魔導士の中には魔物を作り出して、自分の使い魔として使役させる者もいるらしい。  もしかしたらそのことを指しているのかもしれない。  まもなく日が暮れようとして、辺りが薄暗くなる中、ランスロットと二人馬車に残されてしまった。  御者台から私の横へ移ってきたランスロットは辺りを警戒しながら見渡していた。真剣な横顔は些細な物音にも反応できるように神経を尖らせているように見えた。  このところ平和な時間が続いていたので、今までにない緊迫した空気に私は怖くなって手足が震えていた。 「……俺に掴まれ」 「え?」 「心配するな、エドワードも俺も剣と魔法を組み合わせて使える魔法剣士だ。簡単に死ぬことはない」  私が怯えているので、落ち着かせてくれようとしているのだと気がついた。少し躊躇ったが、ランスロットの背中に掴まらせてもらった。ぶっきらぼうだが、ランスロットもまたエドワードと同じ優しい男だ。  目元の印象が強いので、初対面ではキツい性格なのかと思ってしまったが、話せば気さくで明るくて面白い。そしてこういう時、ちゃんと安心させようとしてくれるところも嬉しく感じた。  緊張なのかランスロットに触れている背中からトクトクと心臓の音が伝わってきた。  顔を上げるとランスロットの耳が心なしか赤く染まっているように見てた。  緊張が移ったのか、同じく私の心臓もトクトクと揺れ出して、胸がツキっと痛んだ。 「あ…あの……」 「なっ…なんだ?」  話しかけようとしたら、私の声は上ずってしまったが、ランスロットの声もやけに高くてお互い変な声になってしまった。 「中に…入らない?ここにいても状況が分からないから…心配で……」  ランスロットも同じことを考えていたのだろう。しばらく悩んでいたが、よしっと言って立ち上がった。 「俺から離れるなよ」 「分かった」  二人で馬車を降りて、村の入り口まで向かった。  やはり静かで人の気配がしない。静まり返っていて、私とランスロットが土を踏みしめる音だけが聞こえていた。  村に入ってすぐ、近くの民家を数件訪ねたが返答がなく、窓から覗いてもやはり人の気配がなかった。 「おかしい…誰一人姿がない…」  ここでドアが開け放たれたままの民家を発見して、ランスロットが先に中を確認しに入った。私も失礼して中に顔を入れてみた。  もしかしたら、エドワードかベルトランが隠れているかもしれないと名前を呼ぼうと息を吸い込んだところで、ランスロットに口を押さえられて民家の中に引っ張り込まれた。 「静かに! 何か来る!」  ランスロットは緊迫した様子で小声で伝えてきたので、私は驚きながらも頷いて口を閉ざした。物置の陰に押し込まれて、二人で体を寄せてかがみ、身を小さくして辺りの気配に注意を払った。  程なくして地面を蹴る音と、荒い息遣いが聞こえてきた。  何が起きているのか知りたいと思っていたら、ランスロットが人差し指を口に当てたまま、片方の手の親指で窓の方を指さした。  窓に付いている扉の一部が壊れていて、そっと動いて顔を近づけたら、そこから外の様子を見ることができた。  覗き見えたのは初めは黒い塊のようだった。何かを探すように家々の間をまわっていたが、この家の近くを通ったので姿を確認することができた。家の周りをうろついているのは、大きな黒い犬のように見えた。目だけギラギラと赤く光っていた。 「あれは番犬だな。魔導士がよく使い魔として土から作る化け物だ。それほど強くないが、集団で襲ってきて動きが速いから面倒なやつだ。他にたくさんいるはず…」 「魔導士って…ベルトランと同じ帝国の魔導士ってこと?」 「いや、ここは国境近くの村だし、このタイミングだからな。エルジョーカーの偵察部隊の可能性がある」  エドワードが危惧していたことが当たってしまった。  おそらくエドワードも別のところで様子を伺っているのかもしれない。  ベルトランの動きだけが謎だが、彼が動いた時がこちらも攻めるチャンスになるとランスロットが言ってきた。  ならば、しばらくここから外の様子を見て待とうということになった。  薄暗い室内でずっと密着した状態というのはどうにも気まずくなるものだ。  のんきに話し込めるような状況でもない。やけに心臓がトクトクと早いリズムで鳴っていて、それを聞かれてしまうのではないかと思って恥ずかしかった。 「んっ……?なんか……お前、やけに甘い匂いがしないか?」 「え?なに?何もつけていないけど…」  この世界にも香水はあるが、上流階級の貴婦人が嗜むもので、当然この旅に持ち込めるようなものではなかった。  スンスンと鼻を嗅ぎながら無意識なのか、ランスロットの顔が私の首すじに近づいてきた。  そのままランスロットの口元が首に軽く触れたところで、さすがにこれはと私は声を上げた。 「……えっ…ちょっと」 「うわ!? わっわわ悪い! そういうつもりじゃ…!!」  私の声で自分の行動に気がついたのか、ランスロットは真っ赤になって後ろに飛び退いたので、キャビネットの角で頭を打って悶絶することになった。 「大丈夫?」  頭を押さえて転がっていたランスロットだったが、ゴホンと咳払いしながら恥ずかしそうに起き上がった。 「もしかしてこれは、魔力が溜まりすぎている匂いなのかもしれない。アリサ、頭の痛みはどうだ?」 「あ……そういえば、緊張して気にしていなかったけど、馬車から降りるくらいから……頭痛が……んっ…いたたっ……」  わずかに感じていたのだが、指摘されたら急にぐわっと痛み出した。  もしやこれはもしかしなくとも、まさかこのタイミングで、例のアレが必要になっているのではと背中に汗がどっと流れ出てきた。  ランスロットが恐る恐るといった感じで、私が深く被っていたフードを外してきた。  中に押し込んでいてバサリと前に流れ出てきた髪は、腰の辺りまでつきそうになっていた。 「こ……これは、マズイな……ベルトランは……」  前回と同じくベルトランをと思ったのだろう。だが今は見渡してもその姿は見当たらないし、連絡する手段がなかった。  ベルトランは自分が側にいないの時のために、エドワードとランスロットにもやり方を教えておいたからと言っていた。  それがいきなり今必要になるとは、ランスロットも思わなかっただろう。  黒魔力の高さは二人ともそれぞれの団でトップクラスだと聞いた。相手としては問題ないらしい。  ただ、気持ちの面で踏ん切りがつかないのか、ランスロットは私の顔を何が言いたげな目で見つめてきた。 「……ごめん、こんなこと頼むなんて……」 「いや…、俺もエドワードもこの件は承知済みだ」 「でも…悪いよ……本当……ごめん」 「…くっっ……」  何か決心したのだろうか、ランスロットは座り込んでいた私の近くに来て両腕をガシッと掴んできた。その無骨な手つきと強い眼差しに、心臓がトクンと揺れた。  ランスロットの方を見ると、真っ赤な顔はもっと赤くなり、喉が上下に動いてごくりと唾を飲む音がした。 「……少し、我慢してくれ」  掠れた声でそう言ったランスロットの顔が、ゆっくりと近づいてきた。  □□□
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