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(15)秘密の試着室
理解できない状況に出くわすと、人は動きを止めて状況を整理して、やっと事態が把握できるようになる。
二人してそれがぴったり当てはまる、そんな状態だった。
私はエドワードと無言で見つめ合った後、慌てて背中を向けた。
わずかに覗き見た鏡に同じように背を向けたエドワードの姿が見えたので、後ろを向いたタイミングもバッチリ合っていそうだ。
この状況は、時間がかかって対応できないけど、お客を逃したくないから姉妹で来ているんだし、なんなら二人で着せ替えごっこでもしてくれ、というマダムの采配だろう。
女の子同士なら気軽に盛り上がれるシチュエーションだが、エリーはエリーではなく、エドワードなのだ。
しかも先ほど女性が恐いという話を聞いて、こんな状況なんて逃げたくてたまらないだろうと申し訳なくなった。
「す…すまない、アリサ。強引に腕を掴まれて……」
「い…いいよ。大丈夫。そうだろうと思ったから……」
とにかく今着ようと思ってドレスを足に引っ掛けていたのでそれを脱いで、元のワンピースを着ようと思ってもがいた。するとドレスの紐が絡まってよけいに取れなくなってしまい、私は頭を押さえてため息をついた。
「さっきの話だけど……」
どうせマダムが忙しいならとりあえず落ち着こうと、私はドカっと座って、紐を解きながらエドワードに考えていたことを切り出した。
「さっき?」
「女性が恐いって話」
ああ、と私に背を向けながらエドワードも緊張を解くためだろうか、床に座った気配がした。
「自分のことでいっぱいで配慮できなくてごめん。そ…その状態だと…、私の魔力の解放の手伝いとか……苦痛過ぎるよね。なるべくエドワードに頼むことがないようにするから……」
よく考えなくても、あれは触れるどころの話ではない。昨夜解放をランスロットに対応してもらったという話を聞いたのだろう。
エドワードはもし自分がと考えて嫌気がさして、態度がおかしくなってしまったのではないかと考えた。
「それは……俺にはさせないって…話?」
そうしてくれると助かると、返事が来るかと思っていたのに、返ってきたのはやけに冷たい声だった。
私は不思議に思いながらも、そうだと言って安心させようとした。
「………困る」
「そう、だから困らないように……」
「俺を外さないでくれ」
エドワードの答えが思ったものと違って私の思考は停止した。
何か別の意味があるのかと頭が混乱し始めた時、後ろからガバっと包み込むように抱きしめられた。
「え………エド……?」
「俺だって……俺だってアリサを助けたい。昨日はランスロットが魔力を吸ったと聞いてショックだった。あの時、俺がアリサと残っていれば俺が……アリサを守って……俺がするはずだったのに……」
私を抱きしめる力は明らかに女の子のものではなくて、前に回った腕はしっかりした男の人のものだった。
ゆっくりと顔を上げて鏡を見ると、鏡に映ったエドワードは、すでに女の子の姿から男の姿に戻っていた。
「エドワード…いつの間に…!」
「アリサが言ったんだよ。戻りたい時に戻れるって……。今がその時、アリサ……俺から君を守る名誉を奪わないで」
エドワードに何があったのか、全然見えて来なくて、頭の中でぐるぐると、はてなマークが飛び交っていた。
こんなに強く抱きしめられて、切ない声で耳元で囁かれるなんて……なんて、まるで……。
「……だって、エドワードは女性恐怖症で……触れることが苦手だって……」
「そうだよ。でもアリサは大丈夫なんだ。どうしてだろうね」
「……えっ……何でって言われても……」
フッと耳元で微かに笑う気配がして、次の瞬間、エドワードの胸に抱えられたまま、伸びてきた手が私の顎を捉えた。
「こうしたら……、分かるかな」
「え!? え…エドワード! だって今は溜まっていなっ……っんっ…んぐぅっ!」
エドワードの深い森を思わせる瞳に、吸い込まれるように見惚れてしまっていたら、エドワードは私の唇を奪ってきた。
「んんんっ!!んんっ!」
これは治療を伴う行為ではない。私達がキスをする理由なんて治療以外にないはずだ。抗議するようにエドワードの胸を押したり叩いたりしたが、余計にエドワードの力は強まってしまい、いつの間にか私は床に押し倒されて、その上に乗ったエドワードが私の口内を舐め尽くすように深い口付けを続けていた。
「……ふっ……んっ…んんっ…ぁ……」
抵抗していた力は、エドワードの巧みな舌使いの前では簡単に崩壊してしまった。ぴちゃぴちゃと音を立てながら、時折り上下の唇をじゅるじゅると吸われてしまう。
それがたまらなく気持ちよくて、私はつい声を上げてしまった。
自分の体に流れる魔力の存在をだんだん理解できるようになってきた。お腹の辺りに溜まった力を、エドワードが吸い取っているのが分かる。
わずかに発光して、光ったままエドワードの体の中に入っていく、その度にエドワードの目はトロンとなって恍惚の表情になるので、私の心臓は壊れそうなくらい揺れて止まらなかった。
ごくごくと音でも鳴らしそうなくらい、吸い尽くした様子のエドワードの唇が私から離れた。唾液の残りがまるで銀糸のように私とエドワードの唇を繋いでいて、なんという光景なのかと頭がクラリとした。
その銀糸を指で絡めとって、エドワードがペロリと舐めたものだから、クラリどころではなくコロリと逝きそうになった。
「……もう結構溜まっていたね。でも全部俺が吸い取っちゃった。ランスロットだってそうだったんだろう。俺だって少しも……残すものか……」
「……エドワード……いったい、どうしちゃったの?」
私の問いにエドワードは目を細めて微笑んだ。組み敷かれたまま、色気を撒き散らされて、下からそれを眺めるのは心臓に悪すぎる光景だ。
エドワードがわずかに動いた時、太ももに何か硬いものが当たる感触がした。
騎士服についている装飾品かと思ったが、やけに熱くて大きいように感じた。
「……一滴でいい。俺に血を……」
手を掴まれて、私の人差し指がエドワードの口元に寄せられた。
エドワードの口がわずかに開いて、そこにランスロットと同じように長く伸びた鋭い牙が見えた。
やはり胸がドキッとして心臓が縮むようになったが、二回目だからかそこまでの恐怖は押し寄せて来なかった。
むしろ私の指は熱が上がったように赤くなり、頭の中にまさかの噛まれたいという欲求が生まれたような気がした。
「………アリサ」
エドワードの切羽詰まったような声にハッと気がついたその時、シャーーーッと気持ち良い音を鳴らしながら、試着室のカーテンが開けられた。
「さぁ、お嬢様方、お選びになりま……ぁっぁっ。ぎっ……ギャーーーーーーーーー!」
マダムの声が商店街中に響き響き渡った。
そしてこの後、危うく二人まとめて警備隊に引き渡される事態になるのだった。
「大騒ぎだったぞ、警備隊が駆けつけて来たんだから! マダムの店に令嬢が男を引っ張り込んだとか、男に襲われたとか、女の子が攫われたとか言い出すヤツもいて心臓が止まるかと思ったじゃないか!」
「アリサのドレスの紐が絡まって解けなくなってしまったから、護衛として早く安全な状況が保てるように手を貸していたんだ」
「……本気で言ってんのかよ。試着室に入る男がいるか!」
宿の中のレストランで夕食を取りながら、ランスロットは今日あったことについて、私とエドワードを前にガミガミと説教を始めた。
試着室に二人でいるところをマダム発見された私達は、マダムが大慌てで呼んできた警備隊に事情を説明することになった。
その間、周囲は人が集まってきて大騒ぎになってしまった。
マダムは私が男に襲われていると思い込んだらしいが、噂はどんどん変わって伝わっていったらしい。
エドワードが身分を明かしてことなきを得たが、危うく怪しい二人組として捕まるところだった。
エドワードの騎士服も、この町ではあまり知られていないらしい。
「ランスロット、興奮しないで。私がお願いしたの、全然外れなくてこのままだと帰れないって焦っちゃって……」
とりあえずこのままだと、ランスロットの説教は終わりそうにないので、私はエドワードと話を合わせることにした。
「……だとしても、誤解を受けるようなことは謹んでくれよ。目立っていい旅じゃないんだぞ」
もう言われたことはその通りで言い訳のしようがない。
こういう、状況で怒る役目なのはエドワードなのに、今日はランスロットと立場が逆転して怒られている姿がおかしく思えてしまった。
「おい、ランスロット! こっちで飲もうぜ!」
「おう! 今行く!」
奥の席にたまっている男達に呼ばれて、ランスロットは酒は禁止だとピシャリとエドワードに言って、自分は酒瓶片手に行ってしまった。この宿はランスロットの幼なじみが経営しているらしく、昔の仲間も集まってきたらしい。
「意外だったな。お前が見た目ほど経験がないとは……。吸血は我慢したらしいが、ランスロットと違って腹黒いからタチが悪い」
「ずっと黙っていたくせに、急に喋ったと思ったら寝ぼけているんだな、ベルトラン」
「いや、こちらはすこぶる調子がいい。俺の目がよく見えることは、お前も知っているだろう。ハッキリ言ってやろうか。バレバレだ」
「何のことだか……。俺はアリサを放り出して出かけてしまった二人の代わりに忠実に護衛を務めただけだ」
「……護衛ね。女になってデートを楽しんでいたのは誰だ?」
冷静を装っていたエドワードだが、それについては触れられたくなかったのか、フォークを持つ手を止めて、ジトっとベルトランを睨みつけた。
「まぁ、いいだろう。時々解放しておけば、溜まってから慌てることはない。この町を出たら神殿区域に入る。あそこには娯楽なんてないからな。今のうちに楽しんでおくのも悪くは無い」
神殿区域と聞いて私の体に緊張が走った。
いよいよ旅の終わりまであと一歩というところまできた。
ただの転移者だったのに、皇宮を出た時の状況とは違うものになってしまった。
これから自分の身に何が起こり、何が待っているのか、まったく先が見えない。
私の胸の中は厚い雲に覆われていった。
ふと目をやった先で、仲間達と笑いながら飲んで騒いでいるランスロットが見えた。
この時間の終わりが寂しく思えて、しばらく楽しそうな声を静かに聞いていた。
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