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(19)悪いこと
扉が開く前から、会議が紛糾している様子が聞こえてきた。
魔導士が転移者がと聞こえてくるところからも、間違いなく私とベルトランの取り扱いについて話がされているのだろう。
連れてきてくれたランドも、どのタイミングで入ればいいのかオロオロとしながら扉に手をかけては離すということを繰り返していた。
「これ、入らないで帰っちゃまずいですよね……」
「それはまずいです! 私が聖下に血祭りに…じゃなかった、怒られちゃいます」
気苦労の多い仕事なのか、ランドは汗をかきながら私を神のように拝んできた。
そこまでされて、ではサヨウナラと言えるわけがない。
「ランド、いつまで転移者様をお待たせするんだ。早く開けなさい」
ここまで聞いていた話し合いの声の中にヨハネスらしきものはなかった。
だが、いつから分かっていたのか、すでに気配を感じ取っていたようだ。響き渡ったヨハネスの一声に部屋の中の声がピタッと止んで静かになったのが分かった。
ランドがはいと小さい声を出してゆっくり扉を開けると、広い部屋の真ん中に長い机が置かれていて、そこに五人の男が集まっていた。
そして、机から離れて一段高いスペースに立派な椅子が置いてあり、そこに神殿の最高位であるヨハネスが座っていた。
つい先程会ったヨハネスとは別人のように無表情で冷たい目をしていた。
「本人不在で話を進めても意味がないだろう。今まで出た意見を彼女に伝える必要がある。その前にイシスの導きでこの世界に招かれた転移者様にここにいる者たちを紹介しよう」
すくっとヨハネスが立ち上がると、他の者たちもみんな立ち上がった。
四人の神官長と、セレストの代わりだという神官長代理を紹介された。
紹介が終わり、全員が座ったところで、一人の神官長が気まずそうに口を開いた。
「アリサ様については、セレストに全て任せておりまして、私達他の神官は何も関知していなかった、と言いますか……。今やっと事情を聞きまして、我々としては魔導士に好き勝手されるのは困りますし、そのような者と契約を結んだアリサ様は……その……」
喋り出した男が言いづらいのだろうか、もごもごと口を動かしてハッキリ言えないでいると、隣に立っていた少し若い男がドンっと机を叩いて大きな音を立てた。
「正直なところを申しますと、魔導士と過度な接触を持った者など、汚れていると我々は考えます! 外見の問題など我々には関係ないことです! 即刻神殿を出てもらいたい!」
神殿にいればある程度の平和と、私の体についてもいい方向に変わるのではないかと淡い期待を持っていたが、どうやら思った以上に受け入れられなかったようだ。
ここにも自分の居場所はなかったかと、下を向いた私は出て行きますと言おうと口を開いた。
しかし耳に聞こえてきたのは自分の声ではなかった。
「それは困るな…」
ずっと黙って聞いていたヨハネスが、ボソリと呟いたので、全員の視線が一気に集中した。
「何しろ私は、アリサと過度な接触を持ってしまったからね。それなら私も出ていかないと」
そう言ってヨハネスは、神の如き慈悲に溢れた目をしながらにっこりと微笑んだ。
「どうして呼ばなかった」
「だってあの檻の中って魔法が封じられちゃうんでしょう。だから手動で助け出さないとって……」
「守護者の契約をしているんだから話は別だ。俺はいつ呼ばれるのかと待っていたんだぞ」
子供の姿に戻ったベルトランが猫のように背筋を伸ばして、大きな口を開けてあくびをした。ずっと猫の姿だったからか、人間に戻ってもすっかり動きが定着してしまったようだ。そのうち壁で爪研ぎでも始めそうだと思いながら、無意識に指先を舐めているベルトランを見つめた。
聖下の許可が下りて、約二週間ぶりのベルトランとの再会となった。
やはりここで魔導士の姿は目立つので、人間に戻れるのは私に与えられた部屋だけで、それ以外は猫になって行動するように制限はされた。
ベルトランはまだ猫が抜けないのか、少年の姿のまま椅子に座る私の膝の上に乗ってきた。いくら子供でも猫と違って重くて身動きが取れなくなった。
ちょっとと言って押し返したが、ベルトランはクンクンと鼻をつけて私の首筋の匂いを嗅いできた。
「まさか……あの男に吸わせたのか。というか、身体中からあの男の匂いがする」
「え!? まさか……!?」
あの夜のことは、確かにぼんやりとしか思い出せない。何が起きたのかはヨハネスの口から聞いたことを繋ぎ合わせて、自分のあやふやな記憶と重ねている状態だ。
断片的な記憶では確かに、キスによって力をヨハネスに送りんだ。それで単純に疲れて寝てしまってベッドを借りた、くらいしか思い出せない。
「……気に入らないが、どうやら相性は良かったらしい」
「相性…?」
「そうだ、今お前の体は選定期に入っている。強い黒魔力を持ち、古い血を感じさせる者、より強い個体で、自分の体相性のいい相手を無意識に探しているんだ。そして、本能的に認めた者だけに自分の力を分け与える。ここまで順調に選定できれば熟成期に入るだろう」
またわけの分からない単語が出てきて、どう返事をしたらいいのか、変な声しか出てこなかった。
「俺とランスロットとエドワード、そして…あのバケモンか。ここまで揃えばいいだろう。あまり増やしてもそれはそれで困る」
「ば…バケモンって……」
何故かひとりで納得して解決したように頷いているベルトランだったが、ひどい呼び方が気になった。
「アリサ、神殿の神官達の役割とはなんだ?」
「女神イシスの信仰を国民に伝えて、国事を執り行うトカナントカ……」
「そうだ、ヤツらは聖女不在時、白魔力を持つ巫女を集めて、イシスの教えを広めながら病気や怪我の治癒をして各地を回っている。そして神官だけが訓練によって浄化と呪いや悪い気を取り払う行為を行うことができる。普通厳しい訓練を何十年も経て獲得するが、あの男、ヨハネスは赤ん坊の頃にすでにその力を使えたらしい。それにヤツは俺の知る限りでは唯一、黒魔法と白魔法を同時に体内に作り出して、全く平然としている男だ。俺からしたらバケモンに見えるな」
そういえばランスロットもヨハネスのことを苦手だというようなことを以前言っていた。
神秘的な瞳で人間を超えたような雰囲気を持っているが、それでいてランドや私の前では下品な冗談を言ったりするのでなんとも掴めない人だ。
「近づくのは難しいと思っていたが、ヤツを取り込むのはいいかもしれないな。神殿からの支持を得ることは、アリサにとって有益だ。ミルドレッドの力を受け継いだことが知られたら利用される可能性もある。神殿を味方に付ければイシスの意思だからと、こちらに手出しできないようにできる」
「なるほど…。今はセイラの癒しの力に注目が集まっているけど、私の血にパワーアップ効果がある、なんて広まったら、身体中の血を抜かれそうで怖い」
「そうだ。一滴でも効果はあるが、男はより多くの強さを求めるから、多くの男が多くの血を欲しがるようになるだろう。それではアリサの体に負担になってしまう」
聖下を利用すればいい目眩しになると言って、ベルトランはニヤリと笑った。この神殿でそんなことを考えるのはベルトランだけだろう。
誰も聞いていないか心配になって辺りを何度も確認してしまった。
私はヨハネスの取り計らいで、予定通り神殿に置いてもらえることになった。
ミルドレッドの力については、まだ周りに知らせていない。ヨハネスにも直接言ってはいないが、魔力吸いを行ったからある程度知られているだろうとベルトランに言われた。
明日からは、神殿の教師が来て、この世界に疎い私のために授業が始まるそうだ。
ここにいる間は、大人しくして波風を立てないようにしないといけない。
次にいつヨハネスに会えるか分からないが、その時に色々聞きたいことをまとめておこうと考えた。
じっと下を向いて考え込んでいたら、ベルトランの顔が近づいてきて、唇をペロリと猫のように舐められた。
「わっ…! なっ…なに!?」
驚いて後ろに退きたかったが、高い背もたれが邪魔をした。
ベルトランは私の驚きなどどうでもいいかのように、ぺろぺろと私の唇を舐め続けてきた。
「だ…だめ…ちょっと……急に……」
「あいつの匂いがプンプンして気に入らない。今の溜まった分は全部吸い取ってやるから……」
「んっ…だって…その姿だと……なんか悪いことをしているみたいで……」
ベルトランは私の膝に乗って、まだ子供の姿のままなので、この状況はなんというか気まずい気持ちになる。
「ふっ……、悪いことか……。聖なる神殿でアリサは昼間から少年と唇を重ねる。確かに悪いことかもな」
「ちょ…っ……んんっ……!」
抗議しようと口を開いたらそこにすかさず食らいつくようにふさがれて、ベルトランの小さな舌が入り込んできた。深く唇が重なって、すぐにそこからお腹に溜まった魔力を吸い出されているのが分かった。
「だ…だ…め……んぁ………」
「アリサ……アリサ………」
この魔力を吸われるという感覚は、初めはただ波が引くようなものだったが、流れが分かるようになると快感を感じるようになってしまい、いけないと思いながら私はベルトランの腕にぎゅっと掴まった。
まるで離さないというような本能的な自分の意思を感じて恐ろしくなった。
「アリサ……俺はお前の守護者だ。お前のためなら命など惜しくはない。覚えておいてくれ……俺はお前を……」
魔力を吸われながら、私は頭の中が快感で埋め尽くされて、とろんとした意識の中でベルトランの声をぼんやり聞いていた。
もう何を言われているのかなんて分からない。
時折り舌に鋭い牙が当たるのが分かると、夢中でそこばかり舐めてしまった。
この鋭いもので肌を貫かれたい。
お腹の奥からそんな思いが溢れてくる。
意識の浅いところで少しだけ残った冷静な自分は、なぜベルトランは私に命を捧げてもいいとまで言うのか、どうしてそこまでと、快感の波に押されながら見つからない答えを探していた。
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