(6)冷めた心【エドワード】

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(6)冷めた心【エドワード】

「………ド様、エドワード様、聞いていらっしゃいますか?」  煌びやかに飾り付けられたパーティー会場で、グラスを口に当てたまま、心は別のところにあって、何度か呼びかけられてやっと気が付いた。 「失礼しました。少し、考えごとを……」 「まぁ、やっぱり異動のことですわよね。私が今からお父様に言って撤回させてもらいますわ。突然神殿の騎士団に降格だなんて…酷すぎますわよ」  目の前の令嬢は大袈裟に目を潤ませて扇で口元をさり気なく隠した。一つ一つの動作が優雅で流れるように完璧なベサニーは、黒の騎士団の団長であるベルガモット公爵のご令嬢だ。  プラチナブランドの巻毛は一本の乱れもなく長いまつ毛の先まで、完璧に手入れされている。 「いえ、その件は私の方から希望を出しました」 「いいえ、私の前では強がらなくてよろしいのですわ。きっとエドワード様の出世に嫉妬した者の策略ですわ。今回だって、私の我儘でお父様にお願いしたら、すんなり首都に帰って来られましたでしょう。私が頼めば、お父様はなんだって叶えてくれますのよ」  まだ続くのかとウンザリしながら、微笑みを浮かべて目を細めれば、ベサニーは頬を赤らめて、まぁと言いながら扇で顔を隠した。  この女相手に何度も釈明する気が起きない。  せっかく向こうでの生活や仕事に慣れてきたのに、去年の任務の件で緊急だと呼び出されて戻って来てみたら、社交会デビューをするベサニーのお守り役が待っていた。  ベルガモット公爵には、団長として世話になっていたし、実家であるクラブストック家としても無下にできない立場の相手である。伯爵家の次男という微妙な立ち位置であるが、爵位を継ぐ兄の顔を潰すわけにもいかない。  おかげで、ここ数日ずっとベサニーの横についてご機嫌取りをするはめになった。  団長は娘に甘い。  頼まれたら嘘をついてでも、俺を呼び戻そうとするくらいだ。  ベサニーはどうだと何度も勧められていたが、その度に断ってきた。  そしてついに強硬手段に出たと言うわけだ。  この国の貴族の社交会デビューは十八歳。  エスコート役は無事に務めたが、それだけで済むわけがないと分かっていた。  ベサニーは俺を結婚相手にと考えている。高位の貴族の令嬢であるベサニーには、たくさんの縁談が溢れているだろう。  夫を何人か選ぶつもりだと思われる。その一人に俺をと考えていることは、その態度や視線からでも嫌と言うほど分かっていた。  いつ断ろうかと思いながら、タイミングを計りかねて、パーティー当日まで来てしまった。 「エドワード様のお姉様とはよくお茶をご一緒させていただきますの。この間もお買い物でばったり会って……」  姉の話が出たらもっとウンザリして帰りたくなった。クラブストック家との親密さをアピールするつもりだろうが、姉とはもう何年も会っていない。  幼い頃から目の敵にされてさんざん虐められた。理由は男のくせに私より可愛いからという、ひどいもので正直言って顔も見たくない。女性が苦手になった原因を作った張本人だ。  ベサニーは宝石が散りばめられた眩しいドレスに負けないくらい美しい女性だ。  しかし、それ以上なんとも思わない。他の女も同じ、俺が一緒に踊りたいと思うのは、ひとりだけだ。  今はここにいない、その人の姿を思い浮かべながら、虚しく杯を重ねた。  初めのダンスも終わったし、もう少ししたらみんな自由に踊り出すのでお役御免だ。  さっさと帰ろうと思いながら目をつぶっていたら、スッと腕を掴まれた。 「噂をお聞きしました……卑しい女の護衛をさせられているとか」  耳に聞こえて来たベサニーの声に、閉じていた目を開いた。 「聖女のセイラ様の邪魔をする転移者で、恐れ多くも皇子殿下を狙っているとか…。力もないくせに卑しい女ですわ。命令とは言え、エドワード様がそんな女の側にいるなんて耐えられません! すぐに戻してもらうようにお父様に頼みます。それで…こちらに復帰されたら…どうか私と……」 「……ベサニー嬢」  何でも上手くやって来た。  顔でのし上がったと言われたくなくて、剣の実力がモノを言う騎士団の世界に身を置いた。  人付き合いは特に慎重に気を使ってきた。  誰かと揉めたり怒りに任せて行動するなんて、理性を失った獣と一緒だ。  女性が貴重とされるこの世界で、女性を相手にする時は特に慎重に気を使ってきた。  必要以上に求められることが多く、無理をしてでも自分を作って、笑顔を貼り付けて苦しいと悲鳴を上げながら……。 「私はここにいるのが耐えられませんので、帰らせていただきます。大切な方のことをひどく言われるのは不快で怒りが収まりませんので」  理性的でない自分など、自分ではない。それでも込み上げてくる怒りに身体中の毛が逆立って、ベサニーのことをどうにかしてしまいそうになった。  怒りに任せて思いを口にしたことなど初めてだった。それは恐ろしいことだと思い込んでいたが、終わってみれば後悔などひとつもない。  無理して笑顔を作っていた時よりもずっと気分が良かった。  髪の毛からぽたぽたと雫が落ちて来て、地面を濡らしていくのをぼんやりと眺めていたら、足元に影が伸びて来たのに気が付いた。 「聞いたぞ。ついにやられたって」 「兄さん」  機嫌が良さそうに弾んだ声はよく知ったものだった。今は皇宮の内政省で働いている兄のアーサーだ。  俺と同じ金色と緑の目だが、アーサーは父に似て男らしい顔立ちで体格も俺の倍くらいある。  歳が離れているので、すでに結婚して家庭を持っている。子供の頃はほとんど一緒に暮らした時期はなかったが、成長した今の方がよく話すようになりいい関係だった。 「はははっ! 令嬢に頭から水をかけられたらしいな。お前もやっと男になったじゃないか! 男なら誰もが通る道だ」 「誰もがって……それはない」 「いや、俺は平手打ちされて、噴水の中に落とされた。教えてやろう、これは男の勲章ってやつだ」  パーティー会場の外で頭を冷やしていたら、どうやらアーサーも同じパーティーに顔を出していたらしい。  調子のいいことを言って笑っているが、どうやら励まそうとしているらしいことは伝わって来た。 「兄さん、すまない。ベサニー嬢の機嫌を損ねたんだ。もしかしたら、ベルガモット家から何か……」 「ああ、いいいいそういうの」  思うままに意見したが、それだけが気がかりであったので、兄に謝ろうとしたら途中で手をぶんぶん振られて、断られてしまった。 「あの家に睨まれたくらいで、ウチはどうにもならん。こう見えてもしっかり地盤を固めているから、痛くも痒くもない。それよりもお前がちゃんと自分の意見を言ったのが大事だ」 「え………」 「お前は昔から自分を隠して物事を上手くやろうとするクセがついているからな。まぁ、姉があれだから、気持ちは分かるが、もっと早く頼って来て欲しいくらいだったんだ。俺も早くに家を出たから、お前が辛い思いをしていることにも気がつかなかった。悪かった。ずっとそれを言いたかったんだ」  アーサーは照れた様子で髪の毛をわしわしとかきながら、どかっと俺の横に座って来て、今頃気が付いたようにハンカチを不器用に俺の膝に載せた。  さり気ない優しさに嬉しくなりながら、ありがとうと言ってハンカチを髪に当てた。 「ところで、さっきのお前の大切な人発言で会場の令嬢達が悲鳴を上げてバタバタ倒れているぞ」 「…………」 「どんな人なんだ? 俺には話してくれるだろう?」  豪快に笑いながらアーサーは肩組んできた。観念したように小さく息を吐いてから、俺は彼女との出会いから話し始めた。  □□□
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