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(4)聖女様のご乱心と旅の始まり
ドンドンと地鳴りのような音が聞こえてきそうだ。鬼だか般若だか区別がつかないくらいの激おこ顔でこちらに走ってきているのは聖女に選ばれたセイラだ。
もともとが可愛い顔なので、目を吊り上げている様はギャップがあり過ぎてホラーでしかない。
「エドワード様! ランスロット様!」
何か叫んでいると思ったら、二人の騎士の名前だった。すでに知り合いなのかと思ったが、エドワードとランスロットは顔を見合わせて、不思議そうに眉を寄せていた。
とはいえ、本物の聖女様を目の前にして突っ立っていられないのだろう。二人は慌てて膝をついて頭を下げた。
「どういう事なの!? なんでこの二人がアリサと一緒にいるのよ!」
怒り狂って叫びながら登場したセイラの後ろから、ハミルトン皇子が走ってきた。セイラお願い待ってと言いながら、ゼェゼェと苦しそうに息を吐いている。
「神殿にアリサを送るための護衛だよ。最少人数にしてって、セイラから話があったから……」
「言ったわよ! でも、なんでこの二人なの!? その辺の適当な兵士でいいじゃない!」
「神殿までは上級の魔物が出ることもあるから、隊長クラスで最少人数だとこの二人しかいなくて……パレードの方にほぼ全員出席するから人手がないんだよ。あと…まぁ、他にも色々と面倒な事情があって……」
ご機嫌が斜めどころか急落下しているセイラを、なんとか宥めようとハミルトン皇子は額に汗をかきながら優しい声で語りかけている。もう早速尻に敷かれているご様子だ。
「その……どうして、セイラはこの二人が気になるの?いつの間に知り合っていたのかな?」
ここに集まってきた誰もが思っていた疑問をハミルトン皇子が口にすると、セイラは苛立たしげに舌打ちした。
まさかの聖者様のご乱行に、お付きの者達もあんぐりと口を開けていた。
「またシナリオを変えたわね…。さっさと消えてくれればいいのに」
セイラは頭を掻きむしり、よく分からないことを言いながら私の方へ近づいて来た。
「なんでアンタなのよ…、なんで女なの?邪魔だからここで……」
何やら不穏な空気を感じて、後ろに下がると私の前にエドワードとランスロットがスッと立ち塞がるように出てきた。
「聖女様、ご無礼をお許しください。私共はアリサ様を神殿まで無事にお送りするように命を承っておりますので」
「これは皇帝陛下の命ですので、聖女様でも変えることはできません」
エドワードもランスロットも、もちろん剣は構えていないが、腰に下げた剣に今でも手が届きそうな気迫を感じた。これが主君の命に忠実な騎士のあるべき姿なのだろう。
聖女という存在相手でも怯まない強さを感じた。
「くっ……だったらさっさとその女を神殿に閉じ込めてきて! 皇子様! この二人が戻ったら私の専属騎士にしてくださる?」
「あー、分かった、分かった。とにかくもうパレードが始まるから。セイラ、君がいないと…君のためのパレードなんだよ」
「ええ、そうね…。お約束していただけるなら私はそれで満足ですわ。では、お別れの挨拶も終わりましたし、行きましょう皇子様」
セイラは最後はいつもの調子に戻ったが、若干というかかなり地が出ていたような気がする。怒りで猫が保てなかったのか、もう聖女になったから解放しているのか知らないが、去り際にガッと私を睨みつけていくのだけは忘れなかった。
「おい、エドワード、あっちが本物の聖女様なんだよな?」
「ああ、俺もそう思ったよ。かなり可愛い人だったけど強烈だったな」
「俺はあんな女の専属になんてなりたくないな」
「おい…また、ランスロット…。聖女様への失言だが、まぁそれは同感だ」
私の前で騎士の二人がペラペラと話している。確か先ほどは仲が悪い感じだったのに、今は友人同士のように近い距離に感じた。弟が四人いた私だが、この男同士の喧嘩したりするくせに仲の良い関係というのは、永遠の謎だ。
殴り合った後に川辺で寝転んで談笑するみたいなのは全く理解できない。
ゴホンとリルが咳払いをすると、二人の会話はピタリと止まった。
リルはまとめ役としてピッタリだが、ここで別れたら誰がそれをやるのか考えると頭が痛くなった。
「先ほど皇子様の使いから連絡がありました。予算の関係で色々と事情があり御者は付かないそうです」
「おい!そこを削るのかよ!?」
「……仕方ないな。俺とランスロットで交代で行こう」
どうやら私の処遇には面倒な事情とやらがあるらしく、まさかの予算削減で馬車の運転手がいなくなってしまった。
「俺は御者台でいい。女相手ならお前の方が得意だろう」
そう言ってランスロットは颯爽と御者台に飛び乗った。鍛え抜かれたがっしりとした体型だが、さすが軽い身のこなしだった。
「さて、アリサ様。パレードの出発式が終わると一斉に道が封鎖されますので、我々は今のうちに出発しましょう。……それとも、見てから行かれたいですか?」
「いっ……いいです。急ぎましょう」
オンボロ馬車だがとりあえずは普通に動くらしい。リルにお礼を言ってから私も馬車に乗った。
皇宮の広場では出発式の演奏が始まり、賑やかな音楽が聞こえてきた。
今頃セイラはあの金ピカの馬車に乗って手でも振っているのだろう。
私達はまるで夜逃げでもするかのように、リル以外の人に見送られることもなく、ひっそりと商人用の通行路から外へ出た。
私は異世界に来て皇宮の景色しか知らなかったが、当たり前だが外にも世界は存在している。まだ御伽噺の中にいるようで実感は湧かないが、こうやって一つずつ乗り越えていくことが、この先何度も必要になるのだろう。
誰一人として心許せる人も、知っている人すらいない。
それでも生きていかなくてはいけない。
小さくなっていく皇宮の門を見つめながら、私はこれからの人生がどんなものになるのか、不安ばかりが募り小さくため息をついたのだった。
「お疲れではありませんか?」
ずっと無言で景色ばかり眺めていたからだろうか。斜め前に向かい合うように座っているエドワードが優しく声をかけてきてくれた。
手綱を握るランスロットは前方を、ランスロットを背にするように座ってエドワードは後方の安全を見ている。連携の取れた二人にすっかり安心して、異世界見物に没頭してしまった。
「大丈夫です。景色を見るのが面白くて、つい集中してしまいました」
「景色…ですか……」
エドワードは不思議そうに周りを見渡した。無理もない、皇宮のあった首都の町を出てから、ずっと変化のない田園地帯が続いている。
確かに町はレンガ造で、たくさんのお店や小さな家々が集まっていて可愛らしく、活気あふれる場所だった。もちろんそこを見るのも楽しかったが、やはりこういったのどかな景色は心を癒してくれる。
懐かしい光景と重ねてしまい、目を奪われていたのだ。
「アリサ様のいた世界の国はこういった眺めは珍しいのですか?」
「逆です。私は元の世界では田舎と呼ばれる畑と田んぼと山に囲まれたところで育ったので……つい懐かしくて」
「失礼しました。余計なことを……」
つい郷愁にかられていたら、エドワードの申し訳なさそうな目線に気がついて、慌てて否定を込めて手を振った。
「大丈夫です。ぼんやり見ていただけですから、気にしないでください」
確かに思うところはあるが、仕事で付いていてくれる彼らに変に気を使われるのは悪いので笑顔を作って平気なフリをした。
口元は見えているだろうから、何となくごまかせるだろうと思った。
「それにしても、アリサ様はさ、よくコイツの顔見て何とも思わないですね」
前を向いたまま、御者台に座るランスロットが話しかけてきた。話に急に入ってくるのだからよほど聞きたくてたまらない話題だったのかもしれない。
「え? エドワード卿の顔ですか? 何でしょう…特別な事情でもあるのですか……?」
「え?本気で言っているんですか?」
同じように驚かれて、ランスロットが後ろを振り向いてきたので、気配を察知したエドワードが前を向けと注意をした。
「へいへい。女はコイツの顔を見るとたいてい真っ赤になってエドワードさまぁ〜って引っ付いてくるんですよ」
「ランスロット!バカ!お前そういう事を……」
「そっちの世界では美醜の基準が違うってやつですか?」
ランスロットの言葉になるほどと理解したら、二人のやり取りがおかしくて、クスリと笑ってしまった。
「基準は変わらないと思います。最初にお姿を拝見した時、エドワード様はすごく整っていらっしゃるので、きっとモテるだろうなと思いました。私は…その、元の世界では身近にイケメンがいたので目が贅沢になっているのかもしれません」
私は四人の弟達を思い浮かべた。長男は十六歳、次男十四、三男と四男は十二歳の双子。自慢でもあるのだが、地元ではイケメン四兄弟と呼ばれるくらいの有名人だった。幼い頃からモデルや俳優にならないかと、芸能事務所からスカウトが絶えなかった。それぞれがバレンタインデーに貰ったチョコレートが溢れて、家が破壊されそうなくらいだった。
ちなみに平凡な容姿の私が姉だと言うと、どこへ行っても驚かれた。え?似てないねと。
だからだろうか。エドワードはとても綺麗な容姿だとは思うが。それ以上特別な感想はなかった。
「そりゃ良かったです。なにしろコイツ、女を護衛するって言うと、面倒なことになるから嫌だって気にしていたんですよ」
「ランスロット…また、余計なことを…」
「そうでしたか。多くの方から求められるというのは、それはそれで気苦労も多いですからね。私はお仕事の邪魔をしないように大人しくしているので、どうか気になさらずに…」
チョコレートに埋もれながら窒息しそうになっている弟達を思い出して、また笑いそうになって慌てて景色の方に目を流した。
フード越しでもエドワードからの視線を感じたが、きっと職務に忠実で注意を払ってくれているのだろうと思った。
馬車で神殿までは一週間だと聞いた。
きっとあっという間だろうと思いながら、私は目を閉じて背もたれに頭を預けた。
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