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(16)貴方のそばで【ベルトラン】
俺は思っていた。
俺を受け入れてくれないならせめて。
貴方のために死にたいと……。
大陸の覇者となり、その名を轟かせたミルドレッド。
未来永劫続くと見られた統治は、あっけなく終わりを迎える。
それはミルドレッドがこの世界から消えてしまったから……。
「もう一度言ってください」
「秘術が完成したのだ。私はもうすぐこの世界から去る」
身体中の力が抜けて、床に倒れ込みそうだった。
ミルドレッドが異世界への道について調べていたのは知っていたのだが、まさか本当に渡ることを決めたとは信じられなかった。
「ベルトラン、私には……、私にはもう無理なんだよ。王子達の国を守る務めは果たした。心はいつも……王子達の元へ帰りたいと願うのに……。この体のせいで私は常に別の男達に抱かれ血を与え続けないといけない。この世界から離れれば、血の制約からも解放される。……もう、死んでいった愛する者達を思いながら誰かに抱かれる必要はない」
「お……俺では……だめなんですか」
もう分かりきっていた答えのはずなのに、どうしても口にせずにはいられなかった。案の定、ミルドレッドは悲しそうに目を伏せて微笑んだ。
すまない、と言って……。
「お前のことは家族のように思っていた。全て無くした私の唯一家族だ。お前もそうだろう。盲目的に愛だと信じているが、きっと…それは……人間的な情であって、男女の愛ではないんだよ」
「そんな……」
「私がいなくなれば目が覚める。それに私のわがままだから、一緒には行けない。お前の幸せを祈っている」
「やめてください!! 俺は…俺は幸せなんかに……。貴方が帰ってくるのを待ちます! 何年、何十年…何度…生まれ変わっても、貴方を待ち続けます……。生まれ変わった貴方を……見つけます。それで……今度こそ貴方のために……」
必死に泣きながら足元にすがる俺を見ながら、ミルドレッドは小さくため息をついた。
「たとえ生まれ変わったとしても、もう…それは私ではない。ベルトラン、いい加減分かってくれ…。お前に泣かれたまま消えるのは悲しい」
だったら、だったらなぜ一緒に連れて行ってくれないのか。
その時、ミルドレッドはもう別のどこかを見ていた。
俺の存在もこの世界と一緒、ミルドレッドにとって……もう、必要のないものなのだと知った。
ミルドレッドは去った。
あの戦場で見たような雨上がりの、青空の美しい日だった。
太陽の光を浴びながら、全てから解放されたように笑っていた。
裸足で走り出したミルドレッドは光に包まれて消えていった。
ベルトラン、死んではいけない、幸せに…。
まるで呪いの言葉のように、それだけ言い残して消えてしまった。
俺は貴方に再び会うために生きようと決めた。
必死で持てる力を使って禁術を紐解き、ある魔法を完成させた。
生まれ変わったミルドレッドに出会うまで、何度生まれ変わってもベルトランとして生きることができる魔法だ。
同じ姿同じ名前になり、同じ記憶と、同じだけの力を持って生まれ変わることができる。
しかしそれは、ミルドレッドに再び出会うことができるまで、永遠に虚しい生が続くという事だ。
誰かが言った。
再び出会えたとしても、相手は覚えていないしそれはミルドレッドではないと。
誰かが言った。
異世界に行ってしまったのに、この世界に生まれ変わることなどあるのかと……。
それを永遠に待つのかと……。
それでもいい。
それでも…、ミルドレッドに再び出会い、今度こそ、ミルドレッドのために死にたかった。
アリサに出会った時、肌が泡立つように痺れた。
最後の記憶にあるミルドレッドよりは幼く、纏っている空気も違った。
それでも、間違いなくアリサがミルドレッドの生まれ変わりであることに気づいた。
しかしアリサにそれを伝えると、どういう影響が出るか分からない。子孫であるということで、騎士達も含めて納得させた。
そして、もう二度と同じ過ちは繰り返したくなくて、すぐに守護者の契約を強引に結んだ。
アリサはやはりミルドレッドと同じ体質で、黒と白の魔力を保持していて、それを分け与えることが必要だった。
前世と同じように男達から求められる存在であり、魅力あふれる人だった。
条件は同じであるのに、ミルドレッドとは違う人間、そう思うことが日に日に増えていった。
いつも冷静に優しい眼差しで俺を見てくれたミルドレッド。
しかしアリサは違う。くるくると変わる表情、臆病だと思っていたのに時々とんでもないことをしたり、目が離せない。
自分の感情がよく分からなくて、時々あえて離れて遠くから観察した。
町に出たアリサは、エドワードの姿を女に変えたり、よく分からないことをしていた。
俺はその姿を屋根の上から眺めていた。
他の男と楽しげに笑っているのは良い気分ではなかったが、幸せそうなアリサの顔を見たら、俺もつられて笑っていた。
心から笑ったのなんて覚えていないくらい前だった。
もぞもぞと動く気配がして目を開けると、隣に寝ていたアリサが寝返りを打って俺の方にくっついてきた。
寒いのかもしれないと毛布をかけて、隙間がないくらいくっついた。
丘の上の屋敷で暮らし始めてから、ヨハネスにこき使われることが多く、セイラの件で二人で移動するなんてことがなければ、こんな風にゆっくり一緒に過ごすことができなかったかもしれない。
まだ夜は明けない。
月明かりのわずかな残りがアリサの顔を照らしていた。
まだ幼さが残る白い顔だが、赤い唇になんとも言えない色香を感じる。
それはミルドレッドと同じのはずなのに、いつからだろう、ミルドレッドと重ねて見ることはなくなった。
初めて体を繋いだ時、思わず泣きそうになった。
ミルドレッドのことを思ってではない。
やっとアリサを愛することが許されたようで、心が震えるような思いだった。
ずっとミルドレッドのために死にたいと思っていた。
繰り返す虚しい生は、いつも孤独で血にまみれひどいものだった。
もう、生きることなんて悲しくて、辛くて、苦しくて、早く終わりにしたかった。
それなのに……。
やっと終わりにできると思ったのに……。
スヤスヤと眠るアリサの柔らかい頬に指を滑らせた。
口元まで持っていくと、くすぐったかったのか、寝ていたアリサが小さく声を出した。口の端を上げて微笑んだように見えた。
胸がきゅっと締まるように痛んだ。
この気持ちはなんだろう。
あんなに人生をかけて慕っていたミルドレッドにすら、こんな気持ちを抱いたことはなかった。
終わりにしたかった。
はずなのに。
どうしようもなく、生きたいと思えてくる。
俺は……俺は………
「アリサとともに、生きていきたい」
どこにも行き場がなく彷徨っていた想いが、じんわりと染み込むように自分の中に素直に落ちていった。
「……まったく、今頃気がつくとは……。死にたがりくせに、アリサを見つめる目はいつも輝いていましたよ。ぜひ、その言葉を本人に伝えてください」
膝を抱きながら、手を握り締めている俺に、ヨハネスはゆっくりとそう呟いてきた。
「状況は?」
「セイラが戻ったことにより、帝国との交戦寸前の状態は回避されました。それより……むしろ、今エルジョーカーは自国の問題で混乱しているところです」
「ああ、だいぶ兵達に不満が溜まっていたようだな」
「その通りです。今回の混乱に乗じて、反乱を起こした部隊が出てきているようです。その火は各地に広がっていると……」
「っっつ!! アリサを…早く助けないと!!」
「落ち着きなさい。ベルトラン、まだ毒が抜けていません。抜けかけた時は、特に頭がぐらぐらとするでしょう。あと、二、三日は安静が必要です」
立ち上がろうとしたら見えない鎖のような物で体がしっかりと縛られていた。
どうやら暴れる患者向けの医療用の鎖のようだ。
こんなものと切ろうとしたが、魔力が安定しない今は、動かすことすらできなかった。
「だ…っ…くそ! この……!」
「別働隊がアリサを奪還するために動いています」
「だが! アイツが……ユリウスが何をするか……!!」
ユリウスの名前を出したらヨハネスは目を細めて遠くを見るような顔になった。
「あの方なら……多分、大丈夫だと思います。アリサを傷つけることはないでしょう。同じ匂いがすると言えば……お分かりになりますかね」
「なんだって……!? …それはだ……っむっ……んーんんんーー!!」
まだ聞きたいことがたくさんあったのに、ヨハネスは沈黙の魔法をかけてきたので、口が重くなって開かなくなってしまった。
「さて、ベルトラン。病人の喋り過ぎは良くないです。早くアリサを助けに行きたいなら、大人しく寝て回復しなさい」
守護者の契約があるので、アリサにもし何かあれば俺の身にも影響があるはずだ。
命は助かっているということしか分からないが、後は悔しいかなヨハネスの勘みたいなものに頼るしかない。
バタバタ暴れる俺に背を向けて、ヨハネスは治療室から出て行こうとしていた。
しかし、ドアに手をかけたところで振り返って俺の方を見てきた。
「可哀想だから……ですか。叶えたのは、貴方の願いだったのですね」
小さく紡がれた言葉の意味が分からなくて、どういう事だと目で訴えたが、ヨハネスはすぐに背を向けて何も言わずに出ていってしまった。
一人残された俺は一気に体が重くなって、唸りながら目を閉じた。
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