(6)血の記憶

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(6)血の記憶

 だんだんと日が沈み始めた空と、のどかな景色を眺めながら、辺りに響く馬車のガタガタという音を聞いていた。  というか、現実を受け入れられなくて、沈みゆく夕日がこれが嘘だ幻だと言ってくれるのを待っている気分だった。  そんなバカなことを考えていても、夜は容赦なくやってくる。  手綱を持つエドワードが強く馬を叩いて、速度を上げていた。  早く休めるところがある村へつかなくてはいけない。村や町には、魔石というものが埋め込んであって、防御の魔法がかけられているそうだ。  だから魔物が入ってこないのだという。  夜は動きが活発になるので、鼻のいいヤツなら遠距離でも気が付いて襲ってくるだろうと言われて私は震え上がっていた。  ランスロットから聞かされたのはまるで御伽噺の世界の話だった。  聖女だ魔法だということがすでに御伽噺なのだが、その上をいくハードな設定に頭が全く追いついていかない。  ゲームはおろか小説や漫画の類もほとんど読んだことがない。私の娯楽といえば食べること寝ることくらいだった。なんとなく、テレビやたまに見ていた映画の知識などから、言われたことを整理して考えるしかなかった。 「太古の昔、この地には人間と人間を捕食する者がいた。正確に言うと捕食というのは血を飲むことで、血から生きるための力を得ていた。捕食する者はヴァンパイアと呼ばれている」 「……ヴァンパイア」  異世界の自動翻訳機能だろうか、知っている単語が出てきた。私の世界では生き血を吸う架空の化け物の名前であったと思う。それが近いのかもしれない。 「人間の数が極端に減ってしまい、慌てた下級のヴァンパイア達は人間と交配をして子孫を残してきた。そのことで、今は血を吸わなくても、生きていける体になった。ただ、その交配の弊害なのか、自ら怪我や病気を治す治癒能力がほとんどなくなってしまった。だから、女だけが持つ癒しの力である白魔法がそれを補う役割をしてきた。そしてもう一つ、血は薄まったが、ヴァンパイアの持つ捕食欲だけはそのまま消えずに受け継がれてしまった。何かをきっかけとして捕食欲が抑えられない状態になってしまうんだ」 「捕食欲…ですか」 「ああ、感情的に強い怒りであったり、単なる体調の変化だったり、些細なきっかけで急激に高まることがある。それを捕食欲の暴走と呼んでいて、これは男だけなのだが、暴走状態になってしまうと誰でも見境なく人を襲ってしまう。初期状態ならショックを受ければ止めることはできるが、完全に振り切ってしまうと、理性を失いただ捕食したいという本能だけになり、体も獣に変わってしまう、それが魔物だ。一度変わるともう二度と人間には戻れない」  もうこの辺りから、現実感がなく、作り話でも聞かされているような状態だった。ただ聞き流すわけにいかず必死に頷いていた。 「防ぐ方法はある。抑制具と呼ばれる歴代の聖女が白魔法を込めた腕輪を身につける事により、暴走状態になることを防ぐことができる。しかし、これは数も少なく大変高価だから、付けられるのは皇家の人間や高位の貴族、政府の大臣のクラスの連中に限られる。後は聖女様だ。強大な白魔法を広範囲にかけることができるから、その力によって暴走から身を守ることができる。だからこそ、聖女が求められているんだ」  聖女はただ単に、治癒の魔法や浄化などの役割だけではなく、そんな大役を求められていたのかと驚きであった。セイラがそんな重要なことをこれからやっていくのかと思うと、責任重大過ぎて自分でなくてよかったと思ってしまった。 「後はオールドブラッドという種族であれば暴走とは無縁だ。これは太古の昔の上級ヴァンパイアの血を引く一族だけだが、オールドブラッドはそもそも血を吸うことなく生きていくことができた。当時から血を吸うことはパワーアップの目的だったらしい。そのまま脈絡と受け継がれてきて、今では皇家と一部の高位の貴族のみがオールドブラッドだ。一般の人間と比べても、優れた身体能力を持っているし、治癒能力も問題ない。オールドブラッドは無条件抑制と呼ばれる、自分で捕食欲をコントロールする機能が備わっているんだ」  この辺りの話は先ほど、エドワードとランスロットの会話にも出てきた気がした。変に思い込んだらまずいので私は慎重に頷きながら耳を傾けた。 「捕食欲がポイントになるのだが、そこでお前だ」  ランスロットは私の方を指差してきた。今までの話からどう私に繋がるのか想像もできなくて、その指先をぼけっと見つめてしまった。 「大昔、ヴァンパイア達の女王として君臨したミルドレッドという女がいる。ミルドレッドは特別な血を持っていて、与えられた者は極上の力を手に入れたとされ、その血で男達を支配したとされている。そして容姿は誰もを惑わすほど美しい、黒髪と黒目だったと言われている。まさにアリサ、お前と一緒なんだ」 「……へ?わっ…私と?」  黒髪で黒目なんて前の世界で珍しくもないものだ。一緒だからなんだと頭がこんがらがってきてしまった。 「この世界には黒髪の男はいるが、黒髪の女は滅多に生まれない。生まれても生きていくのが危険なんだ。血に刻まれた記憶で、黒髪の女を見ると男は捕食欲が高まってしまう。しかも、アリサは黒目でもある。一般の男なら見た瞬間に、血を求めて暴走状態に入ってしまうくらい危うい存在だ」 「そっ…そんな!だって私は今まで皇宮で普通に生活していて…別に誰も何も問題はなかったのに……」  ここで、ずっと聞いていたエドワードが説明に加わってきた。  皇宮内のことはエドワードの方が詳しいのかもしれない。 「アリサが会っていたのは、皇子様と大臣、それに魔道士と教会の人間だろう。皇子は無条件抑制ができる上に、大臣と同じ抑制具まで付けている。魔導士と教会の人間はそもそも黒魔力が強い。黒魔力はヴァンパイアの力が強く受け継がれた者に発動するから、幼い頃からの訓練で抑制コントロールができるようになる」 「な…なるほど。でもなんでそんな女を簡単に放り出したのかな?一般の国民に危険が及ぶから閉じ込めようとか、何か政治的に利用しようとか考えそうなものだけど」 「ミルドレッド女王の伝説はもはや過去のもの過ぎて、皇家は懐疑的なんだよ。聖女信仰を高めた方が国民の信頼を得やすい。むしろ女王の血は毒薬だったとか、口にしたらすぐに死ぬとか魔物になるとまで言われている。アリサが会っていた皇子や皇家の人間達は無条件抑制ができて、生まれた時から強力な抑制具を付けている。伝説は嘘か本当か分からないものという刷り込みもあって、アリサを見ると嫌悪の感情の方が強く出ていたんじゃないかな」  皇子やその周辺が、召喚後すぐに冷たい態度だったことが、なんとなく説明が付いたような気がした。  すでに過去のものになった存在の血に刻まれた記憶など厄介でしかなかったのだろう。  セイラがこの件について聞かされていたのかどうかは分からない。  早く出て行けと言っていたくらいだから、利用されないように気を回してくれたのかとチラリと考えたが、あの鬼の表情を思い出したらそれは違うなという結論に至った。 「あれ…? そういえば二人とも私の姿をさっき見ましたよね。でも何ともない……ということは……」  私は前に座るランスロットの手元を見たが、抑制具と呼ばれるような腕輪は見えなかった。 「ああ、そうだよ。俺達は二人とも別の家だが、オールドブラッドだ」 「そう、だから、この任務にぴったりってワケだね」  ランスロットが皮肉っぽく認めて、エドワードがやけに明るく返してきた。  今までたくさん説明してくれたのに、頭で考えても、どうしても現実感が出てこない。  むしろ、これを認めてしまったら、なにかとんでもないことに巻き込まれてしまうのではないかという恐怖が生まれていた。  オレンジ色に染まった空は、前の世界と変わりないのに、私を取り巻く状況は全然違うものになってしまった。  果たしてこんな世界で、こんな過酷な条件のもと、まともに生きていけるのか見当もつかなかった。  どうやら村が見えたらしく、ランスロットの表情に心なしか安堵の色が見えた。  私に安息の地などあるのだろうか。  混乱の気持ちが胸に広がる中、今夜とりあえずは休むことはできそうだ。  よく眠れたとしても、先の見えない不安は体の疲れのようには消えてくれそうになかった。  □□□
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