第15章 彼の選択

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「澤野さんすみませんでした、前もってご相談できないで。ちょっとでも事前に情報が漏れたりしたら、あの人何としてでも逃げちゃいそうだからね。…眞珂も。今日はとにかく協力頼むわね。澤野さんのことなるべくサポートしてあげて。普段の仕事と全然違う内容で申し訳ないけど」 「それはまあ。いいんですけど、別に。…あの方はもう、今日のことご承知なんですか?」 この時間でまだ一人だけ何も知らずにのんびり寝てるんだったら気の毒に過ぎる。とさらに言い募ろうとした途端、足許でにゃう〜、と甘える声がしてわたしは悟った。 ああ。ここにノマドが来たってことは、彼は今朝もう既に起きているんだ。 きっと部屋のドアを内側からかりかりと引っかいて主張して、外に出してもらったんだろう。思わず屈んで仔猫を抱き上げるわたしを見て茅乃さんは肩をすくめて弁解気味に言った。 「さっき彼の部屋に行ってちゃんと説明済ませてきたよ。眞珂のその猫、柘彦さんとこで寝てるんだね。普段からそうなの?わたしがノックしてドアを開けてもらったら、中からするっと出てきたよ。それであんたを探してここに来たのね」 「ええと、そうですね。夜はあの方のところで寝る習慣になってます。…それであの。柘彦さんは、今日お見合いすることについて何て?」 前のめりにならないよう、と気をつけてもどこか声に思い詰めた感情が滲む。 きっぱり断って…、は。いないんだろうな。茅乃さんが怒ったり苛々してないところを見ると。 だけど彼が嫌がっていたり気の進まない様子でも、この人は全く忖度しなさそう。へーきへーき、今日は顔合わせでただ会うだけだからとか。お客様と一緒に食事してくれさえすればいいのよ、とか一方的に言い置いてさっさと部屋を出てきたんだろうな。今頃彼、どうしていいか混乱して一人で困惑してるかも…。 気を揉んでいるこちらの内心を読み取ってか、彼女はわたしの腕の中のノマドをここぞとばかりに撫でながらあっさりと答えた。 「眞珂が気を揉む必要はないよ。ああ見えてあの人、その気になればちゃんと他人と普通に会話もできるし。あれで特別社会性が劣ってるってこともないんだよ。わたしは学生時代の彼も見てるし。やればできるってことは知ってる。ただ本人がやりたくないから普段はやらないだけで」 「じゃあ、今日もよその人と交流したいとは思ってないんじゃないですか。多分だけど」 ここで喧嘩腰になってもしょうがない。今日これからお見合いの相手がここに来るのは今から変えられない事実だから。だけどごり押しなことして彼を粗末に扱ってることはちゃんと自覚して多少は良心の呵責を感じてほしい、って気持ちが遠慮がちながらもわたしの口をおずおずと突き動かした。 彼女は全く痛いところを突かれた風もなく、よいしょっ、と呟いてわたしの腕の中からノマドを持ち上げていい子いい子、と囁きつつぎゅっと抱きしめた。ノマドは無表情にちょっと身をよじってそこから逃げ出したそうにする。哉多もそうだけど、動きが唐突なのと自分のペースで急に可愛がったり触ろうとするので。二人への猫一派からの支持率は低い。 「今日の気分がどうであろうと、長い目で見ればあのときお見合いしといてよかったってことに絶対なるから。すごく有能で仕事ができててきぱきしてて、おまけに美人なんだよ。全国的にも有名な某企業の創業者一族だってだけじゃなくて。ご本人も事業を立ち上げてちゃんと成功してるんだから…。柘彦さんみたいに自分から何もしたくない、他人任せの人には何でもばりばり自力で解決しちゃう引っ張ってくれる女性がぴったりだと思うの。なかなかいいアイディアでしょ、これって?」 目をきらきらさせて誇らしげに言われても。わたしは彼女の腕から這い出そうとじたばたするノマドを受け取りながら、納得いかないため息をついた。 「滅多にいそうもない希少タイプの女性をめでたく見つけてきたのは認めますけど。柘彦さんの方の好みはとりあえず置くとしても、その手の女の人が受け身の男性を好ましく思うもんかなぁ。むしろ自分よりバイタリティ溢れる、さらに意欲的などんどん前に出て行く男の人が好きなんじゃないかな。仕事のできる女性って」 結構核心を突いたんじゃない?と思ったけど、茅乃さんはちっともへこたれなかった。ふふん、とどこか得意げに顎を上げてわたしに向かって誇ってみせる。 「まあね、今はそうやって何とでも思っていなさいよ。わたしだってね。全然勝算がないのにこんなマッチング組んだわけじゃないんだから。大丈夫、このお屋敷の未来は明るいわよ。眞珂だって安心して何年でもここで働けるようにしてやるから。将来の保証があれば。安心して進学のことも考えられるでしょ?」 何故かわたしの進路の話になった。いや今はわたしなんかのことは。正直どうでもいいんだけど…。 「それは、…何とでもなりますから。それより柘彦さんの意に反するようなことには。ならないようにしてあげてください」 それだけは。どうかほんと、まじで頼む。
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