第16章 悪い夢の中にいるみたい

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何がってわけでもないけど彼女がいると変な圧迫感があってどうにも寛げない。茅乃さんとは気が合ってるみたいだけどわたしにはとても真似できそうにない。滞在しない期間もある、って考えると少し気持ちが楽になった。 呉羽さんと茅乃さんが夕食を終えたあと、片付けをしてわたしと澤野さんも従業員用のダイニングで食事を済ませる。哉多は明日の朝早くから就活の予定があるとかで泊まらずに家に帰っていった。常世田さんは式と披露宴に招かれていたから顔を出したけど今日は勤務ではないから。終わると同時にまた明日ね、と言い置いて帰宅した。だからここは二人きりだ。 お茶を淹れてくれる彼女の分も食器をシンクへと運ぼうと立ち上がると、急須を持った澤野さんに見咎められた。 「いいのよ眞珂ちゃんは。今日はブライズメイドのお仕事もあったし、疲れたでしょ。あとは片付けとくから、早めにお部屋に行って休みなさい。少しでも余計に寝てリフレッシュした方がいいわよ」 「はい、ありがとうございます。…でも。身体動かしてる方が。何ていうか、楽かな。って」 思わず油断してぽろっと口から出た。 だけどこれが本音かも。何がって、夜ベッドに入って目を閉じたあとが怖い。 考える時間がたっぷりあって、しかも気を紛らわすものがない。充分疲れていてすぐに寝落ちできればいいけど。身体は疲労してても頭が冴えてなかなか眠れないかもしれないな。要らないことばかり山ほど考えてしまいそうだ。 澤野さんの眼差しがふ、と優しくなった。 「そうね、じゃあ。これ飲んだら一緒にお皿洗って片付けましょ。だけど無理し過ぎないようにね。毎日くたくたに疲れないと寝られない、みたいに思い込んでると。身体の方が先に悲鳴あげるわよ。どうしても寝つけない日が続いたら相談して。お医者さまに薬処方してもらうとか、方法はあるから」 「はい。…すみません、お気遣いいただいて」 澤野さんはわたしに湯呑みを差し出しながらどこか寂しげな色を滲ませた目で微笑みかけた。 「まあ、できるだけ楽しいことを考えて気を紛らわせて。最初のうちはきついでしょうけど、きっとそのうち他に心惹かれることがたくさん出てくるわよ。大丈夫、眞珂ちゃんはまだ全然若いんだし。もっと大好きになれる相手だって絶対現れるでしょ。…いつか自然と忘れられて気にならなくなる日が来るわ。それまでの辛抱よ」 そろそろ寝る時間になった。ノマドが当たり前のようにかりかり、と内側からわたしの部屋のドアを開けろと引っかく。 「いや、今日は。…ノマド、無理だよ。ここで寝よ?」 いつもならドアを開けて自力で彼の部屋へ行け、と自由にさせる。だけどはたと考え込んだ。 さすがに新婚夫婦の初夜だし。いや今夜以降についても。 呉羽さんが来てる晩には。ノマドを向こうに行かせるわけにはいかないよね? だけど猫にそんなことわかるわけない。どうして開けてくれないの、とばかりに何かを訴えるようにこっちに縋る眼差しを向けて盛んににゃあにゃあ、と主張する。 その様子を見てわたしは悩んだ。今夜に関しては間違いなく、絶対にこの子が受け入れられるはずない。と確信できるけど。 明日からはどう判断すればいいんだろう。さっきダイニングで茅乃さんが話してた内容を鑑みるに、この館に呉羽さん専用の個室が用意されるのは確かみたいだ。 都内にいる、とか海外出張中とか。明らかにお屋敷に滞在してないってはっきりしてる日はともかく、普段はどう考えたらいいだろう。初夜はともかく、呉羽さんは普段自室で眠るの? いやそんなこと。どうせこっちでわかるはずもないんだから、下手に自己判断せずに彼女が館に泊まる日はもう常にノマドをここにとめ置いた方が。…だけどそれも駄目か。 猫からしたら、柘彦さんの奥さんがいる日かいない日かで。いつもの部屋で眠れたり眠れなかったりする、なんて。規則性が理解できずにかえって混乱しないか? どのみちもう彼の部屋で寝る習慣自体、改めさせた方がいいのかな。だけど昨日まで完全にそれが普通だったから。どうして今日からいきなり駄目なのか。猫にどうやって納得させればいいの? 「ノマド。…今日からここで。わたしとずっと、一緒に寝よ?」 膝を曲げて屈んで、試しになるべくゆったりとした声をかけてみる。だけど当然ノマドには通じない。無邪気な真っ黒い目を上げて、わたしに向かってこのドアを開けて?と鳴いて訴えかけてくるだけ。 やっぱり言葉だけじゃ無理かな。とわたしはためらいつつも白黒の猫の身体を抱き上げた。 いっそ、固く閉まった彼の部屋のドアをこの目で直接見せた方が。猫の感覚としても仕方ないって受容するよすがになるかも。 ノマドを離さないように気をつけてそろり、と辺りに気をつけながら部屋の外に出る。四階に連れていって遠目に彼の部屋を見せて。ほら今日はドアが開いてないでしょ。入れないからわたしと一緒に向こうの部屋へ戻ろう、と説得するつもりだった。 だけど階段を上がって四階の廊下へと出た途端。ノマドは一瞬で身をよじってわたしの腕からぴょん、と逃れて、一目散に彼の部屋のドアの前へと駆けて行ってしまった。 『…ちょっと。ノマド!』 限度まで抑えた声じゃ猫をびびらせることはできない。あっという間にドアの外側に到達し、かりかりと微かな音を立ててここを開けろ、と主張してる。 ひやひやする反面、もしかしてって考えがそこでちらとよぎらないこともなかった。
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