第15章 彼の選択

6/10
前へ
/22ページ
次へ
彼女の方が柘彦さんとどうしても結婚したい、と切望する可能性はそれほど高くはないような気がする。彼の美貌にうっとり見入るような様子は特に見られないし。あの外見に惹かれてどうしても、って惚れ込むんでなければ。 絶対に柘彦さんじゃなきゃいけない理由って。少なくともお見合い同士なら、それほどたくさんは考えられないんじゃないかな。 彼の人物を知って、この人は誰とも似ていない特別なひとって思い定めるとしたら。それはもう既に間違いなく恋愛だろうし。そこまで彼に深い思いを抱いてる様子は今の彼女の態度からは感じ取れない。 だったらそれほど心配する必要はないかな。わたしはようやくそこで少し安心して食器を下げるお手伝いに参加した。もし万が一、柘彦さんか彼女のことを内心で好ましく思ったとしても。 クレハさんの方でこの縁談に乗り気でないようなら無理に積極的な態度は取らないはず。どうせ自分なんて、と諦めてあっさり引いてしまうんじゃないかな。彼の自分自身への評価の低さから想像するに。 それがいいことかどうかはわからないけど、少なくとも彼が今、結婚を決めないでいてくれたらやっぱりわたしにはありがたくなくない、こともないかも。決して彼が幸せになるのが嫌なわけじゃないが、それがもう少し先ならって気持ちは正直ある、…かな。 とにかく、無事にお見合い自体は終わってよかった。これでしばらくはまた穏やかで変化のないお屋敷の暮らしが続くといいけど。と考えながらわたしは高価で繊細な能條家代々に受け継がれた食器の扱いにひやひやしながら、ケータリングサービスの人たちに混じって隣のキッチンへと足を運んだ。 彼と藤堂呉羽さんが結婚することになった、と意気揚々と誇るような茅乃さんの口から聞かされたのはそのお見合いのほんの半月後のことだった。 一瞬何かを聞き違えたのかと思った。 反射的に凍りついて、ややあって我に返ってからいやまた例によって茅乃さんの無茶な先走りでしょ。そうあって欲しい、と思い込みすぎてそれが既定路線みたいに話すって癖がついてるよね。と自分に一生懸命言い聞かせる。半信半疑で心臓は落ち着かなくばくばく鳴ってはいたけど。 同じテーブルについて一緒にお茶を飲んでいた澤野さんの手のひらがそっとわたしの腕に添えられた。それから改めて冷静な声ではしゃぐ茅乃さんを落ち着かせようと問いかける声。 「それって、まだ決定ってわけじゃないんでしょ?次のお二人の会合の予定が決まったとか。せいぜいそんな話じゃないの?」 俯いて自分の手を見つめてるわたしの耳に、茅乃さんがぶんぶんと首を横に振ってる気配が伝わってきた。 「そうじゃない。もう結納をいつにするかとか、式の日取りを決めなきゃとかそういう段階だから。仲人は今どき別に必要ないかなと思ったんだけどね。先方のお身内のご夫妻が頼まれ仲人を引き受けてくださるって。披露宴はせっかくだからこのお屋敷で、薔薇が咲く季節にしたいねって話になってるんだ。やっぱり五月に入ったくらいが見頃かねぇ、眞珂?」 「だけど。…お二人はあのお見合いの日以来、一回もお顔を合わせてないんじゃ?」 言葉が出ないわたしの代わりに澤野さんがすかさず彼女の言葉を遮ってくれた。茅乃さんは何の違和感も感じてない様子でけろっと答える。 「うん、それはそうなんだけどね。でも藤堂さん、…呉羽さんの方では特にそれは必要ないって。わたしの方はもう彼と結婚したいって気持ちは決まってるから。そちらで納得いかないようでしたらもちろん時間を取りますが、とは言われたけどね」 「…なんで?」 自分の喉から掠れた声が漏れる。いけない、しっかりしなきゃ。あんまりショック受けた態度前面に出したら何かあるのかと思われる。わたしと柘彦さんの間には何もない。彼が結婚するとしてもそれでわたしが落ち込む理由なんか。 何もあるわけない、のに。 いかにも言葉足らずな質問だったが茅乃さんはちゃんとこっちの意図を汲んで答えてくれた。 「うん、あのね。彼女は実は、以前からこのお屋敷に関心があったんだっていうのよ。個人の所有としては破格に貴重なものだし。市場に出るわけじゃないから、普通に考えたら絶対に手に入らないものでしょ?あの方、海外を飛び回って広範囲に活動なさってて、外国の顧客の方も多いものだから。こういう洋館を持ってれば社交の上でも今後すごくプラスになるし。ゆくゆくはここを大々的にホテルに改装して広く一般公開もしたい、その資金も出すって乗り気になってくれててさ」 「それじゃ、まるでお屋敷と結婚するみたいな口振りじゃないですか」 さすがに澤野さんの声も厳しい。わたしが思ってることをそのまま代弁してくれた。 茅乃さんは、日頃の自分の言動について指摘されてるような気持ちもあったのか。ややむっとしてむきになりながら言い返してくる。 「そうかもしれないけど。別にそれがきっかけでも、悪いことじゃないでしょ?柘彦さんは放っといたら絶対自分から婚活なんかしない人だし。お屋敷やバラ園や、能條家の格が欲しいことは事実だろうけどそれを隠して上辺繕われるより全然いいじゃないの」
/22ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加