7人が本棚に入れています
本棚に追加
第5夜
列車は田園風景の中を走っている。窓枠も座席も床も車内は木製だ。天井は丸くカーブを描き大きなシェードの付いた電灯がいくつか貼り着いている。座席にはボックスシートとロングシートの車両を連結しているがいずれの座席も固い。戦前の車両を思い起こすが、つい最近までは地方のローカル線でも見られた。蒸気機関車によって牽引されているらしく、時折り汽笛を鳴らし窓を開けると煙が入ってくる。
乗客は粗末なボロ服をまとい、汗とほこりと泥にまみれ、疲れた顔で無表情に座りこんでいる。ロングシートの片隅で、汚い尻を丸出しにして女と交わっている男がいる。男の尻の両側に女の白い2本の脚が宙を描いている。この列車の女たちは、みんな犯されてしまうのだろうか。
列車は終着駅に着き、全員が降ろされた。上野駅のようにも見えるのだが、駅を出ると長く幅の広い急な階段が続いており、眼下に街を見下ろす高さがある。ここを降りろと言う。浮浪者のような集団が追い立てられるように階段を降りる。中には転落した老人や女たちもいる。降りた先に暗いトンネルが口を開けている。裸電球が下がるその中を歩かされた。しばらく進むと天井の高い広大な地下空間に出た。いくつもの線路が交差し、ホームに黒い列車が止まっている。それに乗れと言う。
部厚い台本が配られた。お前のセリフは「そのスニーカー、ありがとう!」の一つだけだと指示された。何だ?俺たちは映画の撮影のために集められたエキストラなのか?ここに着くまで何も知らされていないが、どこかでカメラが回っていたのだろうか。列車はユダヤ人を輸送していたシーンなのだろうか。それにしても凄いセットを作ったものだ。現実か映画かは判らない。この先で何が待ち受けているのか怖い。
主役の人物が集団の乗る列車から逃げて、別の機関車に乗り移るシーンで、先のセリフを言えと言う。
「そのスニーカー、ありがとう!」
初めて与えられたセリフなので緊張して声がかすれてうまく出ない。NGが出た。撮り直しだ。
「『その』というのはおかしいよ。なぜ『ありがとう』と言うのか?意味判んない」
サードらしき助監督に文句を言う。
「脚本家と監督の指示だ。監督にはそれなりの意図があるのだろうけど、俺たちにも判らない」
監督は誰だ? フェリーニかアントニオーニ、ロッセリーニ、ヴィスコンティ、などのイタリア監督の名が浮かんだ。彼らのリアリズム映画に違いないと思った。
TAKE2となる。なんだ? リハーサルもカメラテストもないのか? 列車が元の位置に引き戻される。
「そのスニーカー、ありがとう!」
裏返って女の声になってしまった。再びNG。他のエキストラたちは全く無関心である。俺の姿が写されることはないのだから、アフレコでもいいではないか。
「うまくやれば、どれでも好きな女を抱かせてやるぞ」
サードが言った。
TAKE3、4・・・と延々と続いた。
最初のコメントを投稿しよう!