前狂言 朽木堂、現る

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前狂言 朽木堂、現る

 夏も盛り。  太陽はギラギラ、蝉はジリジリ、汗はダラダラ、アイスをはみはみ。  補習帰りの岬七瀬(みさき ななせ)は、蒸れる制服もうっとうしく、昼下がりの商店街を、てくてくと歩いていた。  東京都朽木市(くちきし)。  九つのブロックに分かれるその中心、朔良区(さくらく)。  黒帝高校(こくていこうこう)からの帰り道。 「岬、七瀬、さん?」  男の声が、彼女の耳に届いた。  振り向くと、そこには古ぼけた古書店が建っている。  軒先には着物の男がニコニコとしていた。  土色の着流し、藍色の羽織、数珠のような帯留めは斑の模様。  前に手を組んで、七瀬のほうを見ている。 「やっぱりそうだ。いや、新聞で拝見したのです。黒帝バスケ部のエースでいらっしゃる。はは、これは光栄ですよ」  年齢の割には若いトーンの声。  七瀬は口からアイスを放した。 「おじさん、ヘンタイ?」  中年男はむしろ、さらにニコッとした。 「しかり、わたしはヘンタイです。いな、男たる者、おしなべてヘンタイです。さもありなん、ヘンタイにあらずんば、男になしでございますよ? ふふっ」  彼は手をスリスリとした。 「ふーん、だろうね」  彼女はこの男のことを、ちょっと面白いと思った。 「ねえ、おじさん、何か、楽しい話、ない?」  そう提案した。 「楽しい話ですか? そうですねえ、たとえば……あなたをかどわかして、わたしの人形に変えてしまう、とか、どうでしょう?」  七瀬はアイスの棒をかじった。 「へえ、やるじゃん。欲しいの?」  口角をつり上げすぎて、アイスの棒が悲鳴を上げている。 「もちろん、あなたほどの女性ならね……」  男は袖で口もとを隠した。 「おじさんのするお話が、面白かったら、ね? それ次第かな。もし、本当にわたしがワクワクしたら、そのときは、楽しいこと、しよ?」  男は袖のうしろのスケベ(づら)を隠し切れなかった。 「そうでございますか。ではでは、どうぞ、中へ。そちらではお暑いでしょう? 冷えたお茶など、出しますので」 「ヤバい薬とか、入れる気じゃない?」 「さあ?」 「ま、それも、楽しいかもね?」 「うふふ、素敵なお方だ、岬七瀬さん」  こうして二人は連れ立って、古書店の中へと入っていった。    *  書籍自体は汚らしいものがほとんどだが、それらは本棚にピシッと整列して配置されていた。  整理番号のシールもちゃんとついていて、目録もしっかりしている。  店主の性格が如実にうかがえた。 「ひゃあ、キンキンに冷えてるねえ。でも、おじさん、毒はちゃんと入れたの?」 「さあ?」 「ふふっ、いいねえ」  七瀬は上がりの板の間に腰かけ、アイスティーをすすっている。  番台に座った着物の中年男は、ニヤニヤしながらその様子をながめていた。 「さ、おじさん、何を話してくれるの? しつこいけど、面白いやつじゃないとダメだからね?」  彼女は体をすり寄せて、男に問いかけた。  彼は内心、その光景にうなった。 「ここ、朽木市に伝わる、七つの怪異、それをごぞんじですか?」 「あ、そういえばなんか、そんなのがあるらしいね。どんなのかまでは、知らないけどさ」 「それをお話しようと思うのですよ、岬さん」 「七瀬、で、いいよ。あ、おじさん、名前は?」 「朽木堂(くちきどう)、と、申します」 「ふうん、じゃ、朽木のおじさん、その、七つの怪異? っての、聞かせてよ」 「かしこまりました、七瀬さん」 「面白くないと、ないからね?」  七瀬はますます、這うような姿勢を取る。  男はごくり、生唾を飲んだ 「心得ておりますよ。必ずやあなたを、妖艶な官能の世界へとお連れいたしましょう」 「やっぱり、おじさん、ヘンタイだね?」  彼女は白い顔に亀裂を入れる。  男の心臓は高鳴った。 「左様で、ふふっ」 「ま、いいや。さ、話してよ」 「はい、さすればまずは、そう、龍神(りゅうじん)を助けた女性が、彼に見初(みそ)められるという怪異にございます」 「へえ、ワクワク」  こうして朽木堂は、第一の怪異を、とくとくと語りはじめた―― 27f646fd-0f2a-4773-8c52-a108ee8977a4表紙絵
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