第三章

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「菖蒲。そろそろ床に入るぞ」 恋人になって初めての夜。そう考えると身構えてしまう。布団の中で自分の唇をつまんで、昼したキスを思い出そうとした。 あれ、俺のファーストキスだったんだけどな。あまりに目まぐるしくて、どんなだったか全然覚えてない。こうなると、今すぐに確かめたくて堪らなくなった。 「ね、梗太郎」 「どうした?」 「……ちゅーして」 俺は梗太郎の方を向いて顔を突き出し、そっと目を閉じた。 「何だ、それは?」 しかし返されるのは感触じゃなくて、鼻の奥で響くような甘い声だけ。俺はむぅーんと唸ってひとりごちる。 「……知らないのかよ。キス……ってもっと分かんねえか」 「うむ、分からん。菖蒲がやってみせてくれるか?」 その語尾が、揶揄いの色を帯びていることに気づいて、また顔に血液が集まった。 「お前、分かっててやってるだろ! 絶対!」 「何のことだ? 俺に未来の文化を、教えてほしいものだな」 挑発されている。俺だって、俺だってキスくらいできるんだからな。布団の中で、背伸びするように首を傾けた。俺の唇が、梗太郎の唇を覆う。ちゅっ、と音を立てて粘膜が離れると、徒口がまた開いた。 「なんだ。ただの口吸いではないか」 「ただの……って」 その一言で、慣れているのかと不安になる。俺以外の人ともこんなことをしてきたのだろうか。思えば俺は梗太郎の過去を、まだ何も知らない。すると、小さな灯に照らされた梗太郎の口元が、きゅっと上がった。 「違うな。これは特別な『ちゅー』だ。そうだろう?」 「……バカ」 「お前はまことに、ういことをするな……」 髪を撫でられて、梗太郎からもっと深いキスをされる。舌が割れ目から侵入して、優しく上の歯列をなぞった。初めて味わう、脳の奥がしびれるような甘い感覚。堪らずに声が漏れてしまう。 「……んっ」 呼吸を乱しそうになると、柔らな舌はさっと引いていった。 「っは……。今日はここまでだ。続きは明日教えてやろう」 調子に乗りやがって! 先生面で火を消す梗太郎に向かって、思い切り頬を膨らませる。それでも心のどこかで、早く明日の夜にならないかな、なんて期待している自分がいることは、あいつには絶対に秘密だ。
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