第三章

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第三章

この寺子屋に来てから、早半年。寺子屋の師範として働き始めてからの生活はめまぐるしく過ぎていった。 毎朝目を覚ますと、梗太郎が炊事をする音が聞こえてくる。その度に俺は、色んな思いの混じった現実を背負わされる気がしていた。また現代には帰れなかった、という落胆と、今日は江戸で何が起きるだろうか、という高揚が同時に降りかかるのだ。慌てて起きて手伝おうとすると、いつも大方朝食は出来上がっていて、梗太郎は笑顔でたくさん食え、と飯をよそってくれる。 そろそろ味の薄い料理よりマックのハンバーガーが食いたいということを除けば、ここでの暮らしは案外上手くいっていた。俺の適応力が高いのか、梗太郎が合わせてくれているのか。おそらく答えは両方だろう。 寺子屋の方も、俺のそろばんは分かりやすいと好評で、生徒の定吉が紹介で友達を二人連れてきた時は、梗太郎に褒められた。 「これで晦日には、質に入れた刀が取り戻せる」 梗太郎は、俺のせいで全財産を失ったことを忘れたかのように喜んだ。しかし、そんな頼もしい梗太郎の側面ばかりを知る度に、俺の中で芽生えた疑問は、秘かに成長していった。 それは女嫌いで貧乏な梗太郎が、なぜあの日遊郭の宴会に参加していたのか、という疑問だ。そういうことが後にも先にもあの一度だけならば、付き合いで連れて来られた、で合点がいく。 しかし昨夜、俺の猜疑心を煽るちょっとした事件が起きた。会合とやらに出かけたきり、梗太郎が帰ってこなかったのだ。 これまでも、時々会合だと言って出かけることはあったが、夜には必ず帰ってきていた。しかし昨日は、床につく時間になっても帰宅しない。俺は危ない目に遭ったのではないかと気が気じゃなかった。それか、本当は会合なんて嘘で、俺をいよいよ鬱陶しく思ったのかも、なんて想像に支配されて気をもんだ。 結局、丑の刻の鐘がなって少し経った頃、ふらふらと酩酊した梗太郎が帰宅した。その時の空元気ぶりは、逆に俺の不安を大きくした。話を聞くと、どうやら会合をしていた人の家で飲んで眠っていたらしい。酒臭い梗太郎の隣でいつものように目を閉じたところで、俺の記憶は途切れている。
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