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第一章
「いいぞいいぞ、メチャクチャよく似合ってる!」
「やめろ! 撮ってんじゃねえ!」
今にも吹き出しそうな友人達の視線が痛い。囃し立てるコバヤシの横で、カズキがニヤニヤしながらスマホを翳してくる。それにしてもこの着物、何でこんなに動きづらいんだ。
昔の人は本当にこんな暑苦しいもんを着て生活してたんだろうか。正気の沙汰じゃない。
「あらあら、綺麗な娘さんだこと」
「あのお客さん、男の子なのよ」
貸衣装屋の奥から、店員のおばさん達のひそひそ声が聞こえてくる。聞こえてんぞ、と睨みをきかすと、いそいそと散っていった。
「ほらショーブ、そんな顔したら、せっかくのお姫様が台無しだぞ~」
「うるせー! 早く脱がせろ!」
「その姿で脱がせろって、なんか、こう……やべーな」
おいコバヤシ、俺相手に変な気起こしてんじゃねえぞ。後で絶対ぶん殴る。
「いやでも、マジで様になってるって。ほら、自分で見てみ」
渡されたカズキのスマホを覗くと、朱色の着物に身を包んだ日本髪の女が映っていた。我ながら、どっから見ても完全に女だ。
昔から、カッコいいと言われることより、カワイイと言われることの方が遥かに多い人生だった。子供の頃は仕方ないとして、高三の今になってもそれは変わらない。
俺達が通う男子校の学祭の恒例行事「ミス宮城明興学園」という名の女装コンテストでは、史上初の三冠を遂げた。でも、考えてもみてほしい。
スポーツや文化活動ならまだしも、女装で記録を立てたって嬉しくも何ともない。高校生活で俺に告白してきたやつ(もちろん全部男)は後を絶たないし、頼むから一回キスさせてくれ、なんていう気色悪いオファーも何度か経験した。それが高じて(?)、たった一度の修学旅行で訪れた東京でまで、時代劇に出てくる町娘の格好をさせられているというわけだ。
「なあ、このまま散策しようぜ」
「嫌だ! 俺は早くスカイツリーに登りたいんだ!」
「ショーブ。昨日の約束、忘れたとは言わせねえぞ」
昨日の約束。それを持ち出されると立つ瀬がない。俺は途端に口をつぐんだ。
昨晩、俺が持ち込んだエッチな雑誌が先生に見つかった。人妻モノの、結構気に入ってるヤツだ。推薦組として内申が命の俺にとって、それはかなりマズい状況だった。そこで犯人としてコバヤシに名乗り出てもらう代わりに、明日一つ言うことを聞く、というのが取引の条件だったのだ。そして確かに、コバヤシの要望は「女装して東京江戸村の園内一周」だった。つくづく趣味の悪い男である。
「あーもう、わーったよ! 歩きゃいいんだろ! 歩きゃ!」
「ダメダメ、もっとおしとやかに!」
「オーウ! ソービューリフォー! テイクアピクチャープリーズ?」
「ん? あー、イエスイエス」
初対面とは思えぬ距離感で押し寄せる外国人観光客達と、意に添わぬ形で異文化交流。俺の魂のこもっていない笑顔を、コバヤシ達が遠巻きにゲラゲラ笑っている。
最悪だ。全てはこの可愛いすぎる顔面がもたらした災難である。この外見に生まれたが故に俺はこれまで損ばかりしている。
「ネクスト、ワターシタチモOK?」
彼らは俺を観光小町か何かだと思っているのだろうか。いつの間にか列を成していた外国人観光客を捌き切った時、俺の体と精神はもう限界を迎えていた。草履はキツいし、カツラは重いし、着物は暑い。梅雨の合間に現れた日差しは、容赦なく俺達を照らしている。
まったく、地球温暖化が進む現代にはそぐわない格好だ。
ハイテンションな友人二人の後ろをうなだれながら歩く。足を踏み出すごとにカツラについている鈴がシャンシャン鳴ってうざったい。しばらく施設全体を回って、そろそろ戻ろう、という頃だった。
「あ、俺ションベン」
「俺もー」
「ショーブも……あ、無理かぁ」
そうだな。どっちに入ったらいいか分かんないもんな。じゃなくて、この格好でどうやってしたらいいかも分かんないし。
「なんか、悪いなー」
「いいよ。待ってるから」
トイレの前で二人を待っていると、通りかかる人からの視線が急に強くなった。当たり前だ。町娘姿の男子高校生が、一人で佇んでいるんだから。俺だって、通行人だったら、そんなやつを奇異の目で見るだろう。
少しでも人目につかない場所、と思って小脇の路地裏に足を踏み入れた。
「何だ、ここ? 涼しい……」
竹が植えてあるからだろうか。そこだけ空気が違うような気がした。もう一歩踏み込むと、更に涼しい。さっきまで暑くて仕方なかったのに、着物の下の汗も引いていくように感じる。
引き寄せられるように、俺は夢中でその道を進んだ。それは澄んだ空気や水を求めて、本能的に向かっていく感覚に近かった。
薄暗い道に突然光が差す。路地裏を抜けると、まだ回っていないエリアが眼前に広がった。押し車で物を売ってるおじさんは頭巾を被っていて、まるで本物の江戸時代の人みたいだ。向こうから歩いてくる侍も、立派な刀を二本差して、堂々たる風格である。
「役者も雇ってるのか。気合入ってるな……」
立ち並ぶ店も、細かいところまでよくできていて見入ってしまう。天ぷら屋に、蕎麦屋、その隣は寿司屋だろうか? 並べられた寿司は見慣れたものよりずっとでかい。江戸時代にはこんな屋台の寿司屋があったのだろうか。
「あぶねえ!」
「わっ!」
何かにぶつかりそうになって振り向くと、前後に重そうな荷物をつけた棒を担ぐ子供が叫んだ。
「ちょいと、気を付けとくれよ!」
俺の顔を睨みつけて去っていく足は、何も履いていない。子役まで雇って相当手が込んでいるな、とも思ったが、ここまでくると流石に違和感を覚えた。さっきまで友人達と眺めていたチープな世界観とはまるで違う。それに現代の服を着ている観光客が一人も見当たらない。床は舗装されていなくて土埃が舞っているし、気候も全然違う。路地に入った時は涼しいと感じていたけれど、今はむしろ寒いくらいだ。
慌ててさっき来た道を探してみるが、俺が出てきた場所には木造の建物があるだけで、路地裏なんてものは見当たらなかった。
「待てよ……そんなわけ」
目を擦ってあたりを見渡す。そこに広がっているのは、時代劇のセットにしてはあまりにリアルすぎる江戸時代の風景だった。よく見てみると、成人男性も皆、全員165㎝しかない俺よりずっと小さい。
「嘘だろ! 俺、タイムスリップした⁉」
しかもよりによってこの格好で。着物だから幸い浮いてはいないのかもしれないが、性別が間違えている。かといって脱ぎ捨てれば、この場で時代劇みたいな同心が登場し、捕物劇が始まってしまうかもしれない。
とりあえず連絡、とスマホを取り出そうとするが見当たらない。
まずい。着替えた時にカバンの中に入れたままだ。口の中が乾いて、指の先に震えが来た。一刻も早く来た道を引き返さなければ。帰り道を探して、うろうろと出てきたあたりの道をさまよっていた時だった。
「逃げたぞ! 捕まえろ!」
継ぎ接ぎだらけのみすぼらしい着物の女の子が、こちらに向かって全力疾走してくる。遠くからでも、ひどく痩せこけて、恐怖の相貌が張り付いているのが分かった。その後ろには、銃のような黒く長い金属を手にした強面の男達が続く。
「やば……。マジの捕物……」
その迫力は、ばあちゃんがローカルテレビで見てる時代劇さながら、いやそれ以上だ。
「助けてけろ! 助けてけろ!」
その子は顔じゅうを真っ赤にして涙を流している。まだ小学生くらいだろうか。そう思った時、宮城に置いてきた妹・百合の面影が少女に重なった。こんな小さな子供を追いかけるなんてむごすぎる。どんな事情があるかは知らないが、見捨てられない。自分が置かれた特殊すぎる状況のことを考えるよりも先に、体が動いていた。
「やめろ! 泣いてるだろ!」
「何だ? 女、下がれ!」
女、と呼ばれて自分のことかと理解するのに数秒を要した。
江戸時代の人にまで女に見られたらもう本物だな。
そう思ったら逆に吹っ切れた。今は女で結構。許せないものは許せない。そのまま女の子を庇うようにして立ちはだかる。
「なんでこんな小さい子を追いかけるんだ!」
「そいつぁ、売りもんだよ。北の村から女郎屋に売られてきたんだよ。そっちこそ割り込むたぁどういう了見で?」
べらんめえ口調で繰り出される言葉の歯切れのよさに、思わず感心してしまう。しかしその意味が分かった時、まだ年端もいかない少女を売りに出した親がいるという事実に、心臓が裂かれる思いがした。何とかすることが出来ないか。そう考えて結論に行きつくまで、そう時間はかからなかった。
「それなら、あたしが身代わりになってやるわよ!」
相手が俺を女だと思っているなら、騙せるだろう。そして売られたところで俺は男だ。どうすることもできない。路頭に迷うくらいなら、屋根のあるところで戻る方法を探るのも悪くはない。いずれにしたって、このまま帰れなければ野垂れ死には時間の問題だ。
「てめえ、いかれてやがんのか?」
「正気だよ。あたしをよく見な! このガキより使えると思わないか?」
一瞬相手がひるんだのが分かる。こんな特技、使いどころなんてないと思っていた。こんなところで使うとは。だが、ミス宮城明興学園三冠は伊達じゃない。何百年前の人にだって、この必殺モテテクニックは通じるはずだ。めちゃくちゃ恥ずかしいけど、旅の恥はかき捨てって言うし、やっちまえ。
「ねえ、ダメ……?」
少し上目遣いにして唇をキュッと噛む。いつの間にか集まっていた野次馬が、うおぉっとどよめくのが聞こえた。
「あ、あんさんはそれでいいのかよ?」
「……うん」
くそ、こんな潰れたジャガイモみたいな顔のおっさん達相手に、何やってるんだ俺は。タイムスリップしてまでこんなことをしてるってもし友達に知られたら……。寒気がして考えるのをやめた。でもこれで、どうにか切り抜けられそうだ。
「……じゃあついて来な。こっちだ」
連れて行かれそうになる寸前、身をかがめて少女に笑いかけた。これから辛い旅になるだろうけどお互いに、強く生きようぜと思いを込めて。
「お嬢ちゃん、君は体を売る商売なんてやっちゃダメだ。しっかりした店に行って、頭を下げて働かせてもらえ。自分の力で、幸せになれよ」
「あんね、ありがとござりす……ありがとござりす」
すごい、宮城弁だ。ばあちゃんでもここまで訛ってはいない。また奇妙な縁を感じた。もしかしたら、俺か友達のご先祖様になる人かもな、なんてとりとめのない感傷に浸ってみる。それにしても、東京に行った先輩達は東京怖えって言ってたけど、マジだったな。ま、俺の場合は「江戸怖え」だけど。
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