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「ユミちゃん。あなた今、普通に恋して結婚して・・・って、軽く言ってのけたけど、その言葉はモラハラよ。モラルハラスメント。恋すること、恋できることは、普通ではないの。そこにモソッと突っ立ってる独身貴族は恋人いない歴イコール年齢なのよ。そんな彼にとっては、恋も結婚も夢のまた夢。別に病気じゃなくても、恋も結婚もできない人間はたくさんいる。その現実を無視して、ズバッと『普通に恋して結婚して…』などと気安く語るとは、鉄面皮も甚だしい。その上、子どもを産み育てることを普通と考えていることも非常識だわ。子どもを授かりたくても授からない女性が聞いたら、どんな気持ちになるか考えたことある?様々な事情や自由な考え方から夫婦二人で暮らしたいと考える人々もいる。子どもを産み育てることを普通と強調することは、そうした多様な生き方を事実上非難することにつながる。17歳にもなったら、そのくらいの人権意識を持って発言するべきよ。18歳になったら選挙権があるんですから。自分の言動に法的な責任が発生する。それくらい理解してるでしょ?」
幽霊のユミちゃんは、怨めしそうに母を睨みつけている。
俺は・・・母の面倒くさい説教に幽霊が怒り、俺まで呪われたらイヤだなあと思う。
母は続ける。
「たとえばユミちゃんが病気じゃなかったとする。健康で長生きしたとして!あなたが望む通り、仮にそこに突っ立ってる息子と恋して結婚して子どもを産み育てたとして!毎日毎日、私にこんな説教をされながら必死に働いて生きることを、平和と思うことができる?それを、しあわせだと思うの?」
幽霊のユミちゃんは、困った顔で俺をジッと見る。
こっちも困る。
母は続けた。
「結婚して子どもを産み育てたからと言って、しあわせになれるとは限らない。逆に、恋も結婚もしていなくたって心からしあわせだと感じる生き方もできる。結局は、本人の心がけ一つよ。どうしても恋して結婚してみたかったというなら、息子と付き合ってみなさい。母として特別、許します。ただし、期限付きよ。この土日の間に息子があなたを気に入らなければ消えていただきます。」
「無理無理。俺、幽霊と付き合う気ないから。」
俺は即座に否定したが
「我がままは許しません。ユミちゃんは、あなたのお爺様の患者さんでしょう。お爺様の対応に何か不手際でもあったからユミちゃんは安らかに眠れないのよ。子孫としての責任を果たすべきよ。我がまま言わないで謙虚に誠意を持って尽くしなさい。お爺様の供養にもなるのです。」
母は頑固に、そう言い張った。
「無茶苦茶じゃねぇか!爺さんのミスなんて、それこそ法的には時効が成立してるだろ? 何で俺が幽霊と付き合わなきゃならないんだ!責任取りたいなら母さんが彼女を家まで連れて行って接待すりゃぁいいじゃねぇか!」
ところが!
ユミちゃんは、急に元気な声でハッキリこう言った。
「考えてみたら先生のおっしゃる通りです。私は今まで何でも人のせいにして、真実を見ようとしていませんでした。自分が病気で早死にしたことを両親のせいと決めつけて恨み、呪ってきました。明るく幸せそうに笑っている人々を妬み、自分の運命を悔やんできました。死んでしまってから気づいても遅いかもしれませんが、今、先生の言葉を聞いていたら、もう一度、やり直してみよう、頑張ってみようという気持ちになれました。ですから、お願いです。息子さんには申し訳ございませんが、私を連れて行っていただけませんか?この週末、私とお付き合いしていただけませんか?ご迷惑をおかけしないよう、精一杯、頑張りますから、どうかよろしくお願い致します。」
暗闇の中で母の顔に明るい光が射したように見えた。
「まあ。なかなか見どころがあるわね。ユミちゃん!冴月、これは院長としての業務命令よ。先祖の汚点は子孫が尻ぬぐいするの当然でしょ!頼んだわよ。それからね。ユミちゃん。私のことを先生と呼ぶのは不自然ですから、お母様とお呼びなさい。この際、息子の嫁だと思って厳しく指導するけど、それでいいわね?」
「はい!お母様。よろしくお願い致します。」
「ちょ、ちょっと待てよ。俺の気持ちはどうなるんだ?」
「気持ちもへったくれもありません。茗荷医院の沽券に関る一大事なのです。過去に医療ミスがあったなどという噂でも広まったらどうするのです。ユミちゃんを一刻も早くしあわせな気持ちにして安らかにお眠りいただくよう誠意を持って接することは、あなたにしかできない大切な任務なのです。」
俺が眉をしかめて幽霊のユミちゃんを振り返ると、彼女は意外にも泣き出しそうな瞳で俺を見つめていた。
「わかったよ。いっしょに来い!だから泣くな!」
俺は、幽霊のユミちゃんへの恐怖より、あまりに自分勝手な屁理屈を強引に押し通す母に腹が立ったので、暗闇の中でサッサと帰り支度をして事務室を出た。
母は、医院の裏手に住んでいるが、俺は医院のある町から20キロ程離れた隣町の小高い丘の上にログハウスを建てて一人で住んでいる。
医院の裏の駐車場で愛車プジョー205に乗り込む。
幽霊にはお似合いな古い車である。
ユミちゃんはシートベルトも締めず助手席に浮かび上がり、嬉しそうに微笑んでいる。
もう、なるようになれ!
俺は開き直って車のアクセルを吹かした。
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