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「こんな自動車に乗ってみたかった・・」
「ユミちゃんは昭和何年に亡くなったの?」
「昭和24年です。茗荷医院の素敵な建物ができたばかりでした。もともと札幌で暮らしていました。両親はレストランを開店したばかりで忙しく、私の体調不良に向き合ってくれませんでした。私が結核だとわかると、風評でレストランに客が来なくなることを恐れて田舎の母の実家に私を隠したのです。私がおばあちゃんに茗荷医院に連れて来られた時、あなたのお爺さん紫月先生に、もう手遅れだと言われました。本当は結核療養所に入らなければならないのですが、私のおばあちゃんの頼みで医院の裏庭にある小屋に入院させてもらいました。寂しかった。そこで半月も経たないうちに亡くなりました。」
「それじゃ、爺さんは精一杯、君のために尽くしたじゃないか?何か恨まれるようなことしたのか?」
「いいえ。大好きでした。紫月先生。」
「何だよ。じゃ、なぜ恨めしい?」
「大好きだったからです。紫月先生も、私の気持ちに気づいていらしたと思います。短い間でしたけど、私は紫月先生に診ていただけて本当にしあわせでした。最後の最後まで死にたくなかった。大好きな紫月先生に看取られて亡くなる瞬間、どうしても死にきれなくて魂が幽体離脱してしまった・・・私の体が死んで紫月先生が泣いてくださり、その様子を上方から見ていました。冴月先生は、あの当時の紫月先生に、とてもよく似ていらっしゃる。初めて冴月先生を見た時から、私はまた眠れなくなってしまったのです。」
「眠れない?どういう意味?」
「紫月先生がお亡くなりになって、私も永遠の眠りにつきたいと心から願いました。心の中にあった様々な重いものが消えかけて、このまま静かに眠れるかしらと思っていたら・・・冴月先生が現れたのです。」
「俺が・・・えっ?!まさか・・・」
「ごめんなさい。若い日の紫月先生にそっくりな・・・でも紫月先生より深い憂いに満ちた冴月先生に、私は恋してしまったんです。」
俺は言葉を失った。
「ごめんなさい。気持ち悪いですよね。何十年も前に死んだ女に好かれても不気味なだけだと思います。ずっといっしょにいられるとは思っていません。この気持ちを聞いていただけただけで、私はしあわせです。」
家に着き、部屋の照明をつけるとユミの姿は見えなくなった。
けれど寝ようとして寝室の照明を消し真っ暗になると、ユミは俺の足元にボーッと浮かんでいた。
「おいで。いっしょに寝よう。」
「えっ・・・よろしいのですか?」
「別に、ユミがいっしょに寝たからといってベッドが狭くなるわけでも寝苦しいこともないだろう?」
「そ・・そうかもしれませんが・・」
「おいで。そんなところに突っ立って黙って見つめられている方が気になるじゃないか。さあ、俺の腕の中で眠るといい。」
ユミは音もなく俺の隣に来て青白い頬に涙を流した。
俺はユミを抱き寄せた。
何となくひんやりとして、蒸し暑い夏の夜には最適の恋人だった。
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