夕陽の照らすこの街で

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私が生まれたのはスーパーマリオが生まれた年。夏目雅子の命日に私は生まれた。テレビの速報で名女優の訃報を知った父は、私を彼女の生まれ変わりだと言って、私に「雅子」と名付けようとしたらしい。今、思うとそうならなくて良かった。名前負けしてるとか比べられても困る。小学生のころテレビの再放送で「西遊記」に出ていた彼女を見たことがあったが、つるつる頭の三蔵法師をみて、やっぱり病気だったんだ、と少し寂しく思ったことを覚えている。    父は買ったばかりのミノルタの一眼レフで私の笑い顔や泣き顔を撮った。オートフォーカスで撮った写真は、よくピントがあっていて、親戚が集まるといつも私の写真を自慢していた。見せたかったのは、自分の腕前だったのかもしれないが。  物心つくころにはビデオデッキがあった。普段はめったに怒らない父だったが、VHSテープを分解した私のことをこっぴどく叱りつけた。   携帯もインターネットも無かったけど、世間が浮かれていて、このまま順調に「幸せ」に過ごせる気がしていた。 大きくなったら自然に「およめさん」になれると思っていた。みんなが年収一千万だと思っていた。    「エレベーター式」という言葉があったが、大きくなって私が分かったのは、エレベーターもイエローブリックロードも見つからない、ってことだった。 「本日はご乗車誠にありがとうございます。・・・なお、車内での携帯電話のご使用は御遠慮いただきますよう、お願い申し上げます。次の停車駅は・・・・・。」  ミキとユカは高校の授業が終わるといつもの電車に乗り込み、いつもの席が空いているのを確認すると、いつものようにドサっと座り込んだ。列車がトンネルに入る前、夕日が照らす小高い山が綺麗に見える席を赤城未来は好んで選んだ。安藤由香里はそのことに気付いていないだろうが、ミキといつも一緒に下校するうちに、自然と彼女をリードしてこの席に座っていた。 「きょうのタカシマ、びみょ~にずれてたよね。ズラ。」  ユカは、今日一日のくだらないことを百倍面白く脚色し、話しはじめた。英語の教師なのにやたら堅苦しい発音のタカシマは、ネタの宝庫。ユカは授業の内容なんてさっぱり覚えていないくせに、タカシマの癖は細部まで覚えていて器用にモノマネをする。自作自演でケタケタ笑うユカに、ミキは「そうだね。」とか「うん。」とか相槌を打ち、時には微笑むだけでそれに応えた。いつもBGMのように流れる彼女の話が心地よかった。ミキはユカの話を真剣には聞いていないし、ユカにとってもそれはどうでもいいことだった。何の役にも立たないように思える学校での時間も、ユカの話を聞いているとそれもいいかと思わせてくれる。繰り返すだけの毎日でも、これだけはずっと続いて欲しいと心から思えた。 トンネルに入る前に、ミキは忘れずに窓の外に目をやり、小高い山を眺めた。ユカの話に「うんうん。」と相槌をうちながら。  決して便利な場所にあるとは言えない私立の高校は、終着駅からバスに乗換えてようやく辿り着く。本当は自宅から自転車で通える進学校を志望していたが、勤勉とはいえない彼女は、母親にため息をつかれながらこの高校に入った。この高校の理事長は、地元の有力政治家とのコネクションで最果ての地まで線路をひっぱった。理事長と政治家の間にはいろいろと黒いうわさが絶えなかったが、それがこの地方の発展の原動力になっていることも否めなかった。全国的には大変な批判をあびている彼を責める者は、地元には一人としていなかった。小高い山を削り作った校庭と味気ないコンクリート校舎はまだ新しい。ひきかえに、周りには「高校前バス停」と、夜にはシャッターを閉めるコンビニしかなかった。学校周辺の造成は現在も続いており、将来は五千世帯が暮らすベッドタウンになる。でもそれは、ミキが高校を卒業し、大学を卒業し、会社に入り、結婚し、子供がいたずらをできるようになる頃の話だ。  一度だけだが、ミキはユカと学校の周りを「探検」と称し散策したことがある。真新しいコンビニで、慣れないバイトの店員から買ったアイスを舐めながら、「えー、こんなところにこんなものが!」という展開を期待したが、途中「動物に注意」という道路標識を見つけただけで、面白いものは何一つなかった。殺風景な造成地の彼方向こうで、重機が容赦なく山肌を削りとっていく光景を目にした。少し寒気がして、アスファルトの舗装に目を落としたが、ここがうっそうとした山林であったことなど想像もつかなかった。  通学路を一本でも外れれば、すぐに一人きりになれた。ユカが「探検しよーよ!」と言うずっと前から、ミキはこの場所を知っていた。アイウエオ順の席で隣になったユカとは、入学初日に知り合ったが、人見知りのミキは、なにかと理由をつけて一緒に帰るのを拒んだ。下校のチャイムが鳴ると、ミキは駅へ向かうバス停への流れとは反対方向に歩き出し、毎日、学校の周りを「探検」していた。同級生の誰よりも早く「動物に注意」を見つけ、小高い山が削られるのを見つけた。「自然保護」という言葉が彼女の偽りの正義感を刺激したが、それを実行するチカラがないことも同時に悟り、見て見ぬフリをした。「動物に注意」とあるが、小動物すら一度も見かけることはなかった。みんな荷物をまとめてとっくに引っ越してしまったに違いない。遠くで倒されていく木々は、おせじにも美しいとは言えない雑木だった。小学生のとき、父に連れられて植林活動のボランティアに一度参加したのと、中学生のときミニサボテンを枯らしたことを思い出した。  ユカと「探検」した日、二人は初めて一緒に帰った。彼女はミキのとった今までのつれない態度を気にするそぶりはちらりともみせなかった。「なんで私なんかにくっついてくるんだろ?」と思いながらも、ミキの目からは、彼女がそんなことを気にするようなセコい人間にはみえなかった。それに、ユカの屈託のない笑顔はミキを自分でも分かるくらい逞しくしてくれていた。ミキが「探検」で見つけたのは、屈託のない「安藤 由香里」という存在だった。ユカがミキのことを一度も「赤城さん」なんて呼ばなかったせいか、ミキも彼女のことを自然に「ユカ」と呼ぶようになり、次の週末には二人で街に出かけるまでになっていた。    トンネルを抜けて、ユカのモノマネ劇場がひとしきり終わったところで、来週から始まる試験の話になった。 「やっぱココはでるよね。」   ミキの成績は、クラスでは中の上。そこそこデキるのに地道に努力をするタイプではないので伸びない。担任からはいつも「英語が伸びないねぇ。」と言われる。いつも決まって「コツコツ頑張らないと英語は伸びないんだよ。」と続いた。 「えー、あたしここノートとってないよー。こんなとこあった~?」 「あ、しょうがないなー。ユカ、寝てたでしょ?いや、絶対寝てたよー!いいよ、わたしの写させてあげるから。」 「マジ?あー、もー助かるー。サンキュ。」  ようやく混み始めた車内に、二人の明るい声が響いていた。 「それじゃーまたあした、学校でねー。」 ユカは2つ手前の駅で降りる。ホームから手を振るユカに、ミキは小さく手を振り、微笑みながらに口パクで「バイバイ」する。代わりに乗客が忙しそうに乗り込み、ユカのいなくなった寂しさを紛らしてくれた。  穏やかな夕日がミキはとても好きだ。すすけた背の低いビルが並ぶ街並。灰色に映るそれも、夕日が照らすだけで飽きることのない情景にしてくれる。  ユカの止まることのないおしゃべりには、たまにうんざりすることもあるが、別れたあとはやっぱり寂しくなる。あのおしゃべりは、彼女なりの愛情表現なんだ、と思っている。ユカが無償の愛情で、不器用で頑なな自分を元気にしてくれているような気がしてならない。初めて隣に座ったときからずっと。もし、彼女に出会わなかったら、私の高校生活は・・・。夕日のせいか感傷的になっている自分に気付き、ミキは1人で笑ってしまった。  いつの間にか車内の座席は埋まりつつあり、次の駅ではユカの「指定席」にも中年の男が座ろうとした。にやついたミキをいぶかしげに見ていて、ミキは「なんだこのオヤジ⁉」と反射的に思ったが、ユカに貸したはずのノートが席を占領していることに気付き、「すいません」とお辞儀をしてカバンにしまいこんだ。 「もう、アイツ忘れてったなー。」 ユカを恨むことで恥ずかしさを紛らせた。 ミキは隣のオヤジと目を合わせないように、カバンの中を整理しているフリをしていた。試験のことを考えているフリもした。次の駅までの数分間を耐えられれば、気まずい空気から抜けだせる。顔は伏せたまま目だけで辺りの様子を窺って、カバンの中からユカに文句のメールを送った。 気がつくと、車内はずいぶん混雑していた。ミキは湿ったような匂いが籠るこの時間が嫌いだった。  さっきしたばかりのメールをもう一度チェックしようと、カバンに手を入れた瞬間、携帯が鳴った。出る前にユカだと分かった。着信音に反応して、早くも居眠りをしていたオヤジが横目でミキを睨んだ。ミキが小声で電話に出ると「うるせえなぁ」とでも言いたげな顔で腕を組み直し、居眠りに舞い戻った。 「ちょっとユカ、なにやってんのよ。」 (ごっめーん。ノート忘れてったでしょ。) 「あるよ。もうしょうがないなー。 いいよ。あした持っていくから。」 (あー、サンキュー。ごめんねー。) 「いいよー。うん、じゃあね。」 目的のホームに電車が到着した。 ミキは話しながら鞄を持ち替える。 「うん、あした学校でねー。」 チャイムとともにドアが開いた。 続々と乗客が降りていき、車内で圧縮された空気が解放されていく。隣にいたオヤジはもういなかった。すぐ降りるなら寝るなよと思いながら、ミキは携帯を切り、アゴで2つに折り畳みながら立ち上がろうとした。 その時、目の前で人影が崩れていった。 「・・・・・・!?」 何が起こったのか理解できないまま、一気に人がまばらになった車内から、遠巻きにざわめきが起きた。ミキは「降りなきゃ」という反射的な意識で、開ききったドアを見たが、誰かに引き止められたように両足が重い。視線が強制的に正面へ引き戻され、小さく丸くなった人影を見つめると、立ち上がることも出来なくなった。ドアは無情にもミキを残して閉まった。 ゆっくりと車両が動き始めたころ、辺りを見回すと、他人の目が「おまえのせいだ」と言って、ミキを冷ややかに非難していた。 「え?なに・・・!?」 ミキに現実が時差を帯びてやってきた。視線を再び足元に落とすと、和服姿の老婆が小さくうずくまっているのが分かった。 「おばあちゃん・・・?大丈夫・・・・?」
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