2 好きでも嫌いでもない、それは苦手

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2 好きでも嫌いでもない、それは苦手

 王城に仕えている者なら国王の目に留まって出世するのを切望すると思われがちだが、カテリナは真逆だった。  王城の中枢にいるカテリナの父は、血筋ではなく能力で仕官を取り立ててきた。表向き関係は伏せているものの、その娘であるカテリナが出世したら、父の公平さを疑わせることになる。  だからカテリナは当初、父と同じ仕事がしたいと願って仕官学校に通ったものの、王都から遠く離れた辺境の砦に希望を出した。ところが何か大きな力が働いて、蓋を開けたら王城の勤務となっていた。  お父さん、そういうことしちゃだめだよ。さすがにカテリナもこれが父の仕業だと感づいたが、父はしょげた様子ながらカテリナに諭した。  ごめんな、カテリナ。パパはほんとはずるくて汚いんだ。言い訳だけど、実はほとんどの大人がそうなんだぞ。パパはカテリナちゃんが騙されて傷つくのだけが心配だ……。  外では鬼将軍である父が家では娘を砂糖漬けに甘やかしているのは、カテリナもあんまり表に出さない方がいいのを知っている。そういう意味で世の不条理というか、人には表の顔と裏の顔があることくらいは知っているつもりでいた。 「陛下、どうしましょう。このままでは負けてしまいますわ」  貴婦人が弱り切った様子でボードゲームから目を逸らし、長身の青年に振り向く。  頼られた青年は癖のないブロンドを首の後ろで括り、湖面のような灰青の瞳をしていた。静止していれば彫像のような冷たく整った風貌だったが、すぐに貴婦人に甘く笑いかける。 「心配はいりませんよ。男に美しい女性を打ち負かす一手などありはしないのです」  彼は手を差し伸べて駒を動かし、周りでボードゲームを見ていた観客から歓声が上がった。  その打ち返しが決め手となったらしい。状況は一転し、やがて相手をしていた壮年の貴族から降参の声が上がった。  この国で唯一陛下と呼ばれる方、国王ギュンターは優雅に一礼すると、花を移る蝶のようにそこを離れた。  弱った貴婦人をみつけては一手を指導し、甘い微笑みと言葉とともにそこを去る。どうやらそれが彼の君の日常らしいと、カテリナは隅で一人対局をしながら見ていた。 「陛下にご指導いただければ、デビュー前の少女でもサロンの花となれるでしょうね」  高貴な人たちは大変だなぁと他人事のようにうなずきそうで、今の自分の仕事を思い出す。  祝祭までの十日間、陛下はこのようなサロンを転々として最愛の人をみつけるのが仕事だ。いわば恋をするのが仕事で、いくらカテリナがお菓子も紅茶もそれほど好きではなく、時々飲むレモン水が何よりおいしい書面仕事に戻してほしいと思っていても、今は国を背負った恋の成就こそがカテリナに下った使命なのだった。 「カティさんは今日陛下付きになられたんですって?」  とはいえ女性を口説くすべならよほど陛下ご自身の方が卓越している。何を尽力すればいいのかと思ったとき、貴婦人の一人に声をかけられた。 「未来は近衛兵かしら、それとも大臣?」  たぶんその一言に悪意はなく、深く考える必要はどこにもなかったに違いない。  けれどカテリナの思考は、今しがた目を離して行き詰っていた一人ゲームの中に入っていた。  父のようにと同じ仕事に就いたけれど、ずっと男の格好をしているわけにもいかない。書面仕事の多い今ならいざ知らず、辺境に着任すれば兵士としては貧弱そのもののカテリナは足手まといにしかならない。  十七歳、性別を偽るにはそろそろ限界だろう。まったく別の生活を始めることを考えるべきなのだろうが、大人になったら誰かの役に立つべきと思って進んできた道の行きつくところ、その理想の形は今も父に変わりがない。 「それは僕が決められることではありませんから」  カテリナは手元を見ずに組み立てた盤上を両手で覆って、屈託なく笑った。 「恋だって精霊が祝福してくれなければ、いずれ縁が切れてしまうものなのでしょう?」 「あら、まだ若い殿方が恋の力を信じなくてどうするの」  明るい気分が戻ってきて、カテリナは貴婦人たちと笑いあう。  恋って何かな。精霊がくれる贈り物っていうけど、蓋を開いたら思ってたものと違うものだったりしないのかな。  そういうの、ちょっと苦手だな。そう思ったとき、なぜだかギュンターと目が合った。 「そろそろ」  国王陛下をみつめては失礼だと目を逸らしたら、ギュンターが席を立った。カテリナも慌てて席を立って、貴婦人たちにあいさつをしてからギュンターのところに向かう。  サロンを出て、ギュンターは足早に自室に向かった。お仕えする初日にしてすでに三回目だが、彼はサロンに顔を出す合間に自室で仕事をしている。 「ちっ。あいつ、またくだらん案件を上げてきたな」  彼に言わせると執務室での仕事は公のもので、自室での仕事は自分だけのためにする仕事なのだそうだ。そして自室での国王陛下はサロンでの貴公子然とした姿は嘘のようで、舌打ちもすれば独り言も多く、しばしば部下を罵倒している。  御年二十七歳、働き盛りに加えて建国以来初の降臨祭を控え、正直彼に恋をしている時間はない。ただそういう文句を公の場で微塵も見せないところはカテリナも尊敬している。 「カティ、君はボードゲームが下手だろう」  綺麗に梳かれたブロンドを片手でくしゃっしゃにして何事か文句をつぶやいた後、ギュンターは唐突に三白眼でカテリナを見た。  カテリナは少しむっとした。サロンでカテリナは一人ゲームをしていただけで、一度も対局をしていなかった。 「十手先まで読んで布陣を組み立てた、その想像力は買う。でも相手がそのとおりに動く保証はどこにもない。勝算は薄いな」  ただ確かにカテリナはボードゲームを苦手にしている。それもカテリナに対局を教えてくれた父が告げた弱点を、出会って一日で言い当てられるとは思っていなかった。 「そのくせ引き際は潔すぎて……」 「陛下、次のサロンはとりやめますか。お時間が少ないようですが」  頭が切れる人なのは認める。でも一枚本音をめくるととても無神経だ。カテリナは一瞬相手が国王であることを忘れて、彼女にしては珍しく冷ややかに言った。 「予定通り向かう。ついでにこの書類を返してきてくれ」  ギュンターは言うときは容赦がないわりに、引くときも早い。それが手加減されたようでますます気に入らなくて、カテリナは一礼してさっと踵を返した。  カテリナは今まで仕事で好き嫌いは抱かないことに決めていた。第一国王陛下のなされている仕事は尊敬しているし、精霊との約束のために恋までしようとしているのならどうにか叶えて差し上げたいとは思っている。  好きにはなれそうにないが、嫌いなわけじゃない。そう、これは苦手なだけ。  カテリナはむっつりと口を引き結んで、本人は気づかないがいつの間にか陛下からうつった罵倒文句を心の中でつぶやいた。
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