天知る地知るサクラチル

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「これが一本桜か」  山に分け入って歩くこと一時間半。山頂付近にただ一本、天を衝くように立つ桜の大木があった。  樹齢は軽く千年を超え、幹は大人が五人で手をつないでようやく一周できるほどの太さである。みっしりと花が咲き、風に吹かれて時折花びらを散らしている。眼下には町が広がり、網目のように広がる川がきらきらと輝いている。 「絶景だ」  男は感嘆の声をあげた。  じっくりと桜を検分する。  太い幹から別れた太い枝が四方に伸びている。下枝を切り落とした跡がコブになっていて登りやすそうである。  自分ひとりがぶら下がったとて折れる心配はなさそうだ。 男はリュックのなかからナイロンロープを取り出した。白い封筒を根元に置き、風で飛ばされないように小石を上に置いて重石にした。  瞑目する。走馬灯のように人生が流れる。思えば恥の多い人生だった。死ぬ気で告白した女からは「マジムリ」と言われ、初詣のおみくじは大凶、足を滑らせて腰を強打し、ひと月ほどを棒に振って受験に失敗した。友達に貸した一万円は戻ってこない。生きていたってこの先ろくなことはなさそうだ。
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