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なんでバレちゃったんだろう。会社ではお互い、絶対に気づかれないようにしていたのに。っていうか自分だって散々あくどいことしてるのに、なんでわたしだけ? 不公平でしょこんなの。大体あんたのせいでどれだけの人間が迷惑被ってると思ってんのよ。いっつもいっつも無茶ばっかり言って。わたしの不倫なんて会社じゃ誰にも迷惑かけてないじゃない。来週って、今日金曜日で、土日ずっとこんな最悪な気分でいなきゃいけないの? せっかく安定企業に入って配属ガチャも上司ガチャもいいの引き当てたのに。
そりゃ、不倫なんてする気は全然なかったよ。でもしょうがないじゃん。指輪してないから最初知らずに好きになっちゃったし、彼もわたしが好きって、子どもできないから離婚するって言ってくれたもん。だからそれまでは慎ましく恋愛しようって思ってたんだよ。そう、わたしは穏やかに過ごしたいだけ。
いっそあの女の方こそ、会社をクビになってしまえばいい――。
「おっと、どうしました? 顔色が悪いですよ咲玖さん。どうぞご遠慮なさらずお茶を」
あの日、カルマの前でぶちまけた呪いの言葉の数々を思い出す。浮き出た脂汗で背中が気持ち悪い。
わたしはすすめに従ってお茶を煽った。華やかな香りと酸味が自分の感情と噛み合わなくて、口の中が苦くなってくる。
怯えを隠すように、空になったカップをがちゃんと音を立てて戻した。
「ねえ、どうしてよ。わたしが話したのが金曜の夜で、土日挟んで今日の朝っておかしくない? どうやったらそんなマネできるわけ?」
「んっんー。それはノーコメント、トップシークレット。企業秘密ですよ咲玖さん」
おちょくるような物言いをしながら、彼は指で口の前にバツを作り、それに、と続けた。
「最初に申し上げたじゃありませんか。望みに対し貴金属をお支払いいただければ、見合った分だけそれを叶えるお手伝いをして差し上げます、と。手段はこちらに任せていただきます、と。ただし他人の――」
「生死に関することは請け負えない、でしょ。わかってるってば」
鬱陶しくなって言葉尻を奪った。「わかっていらっしゃるのならいいのです」彼は肩をすくめる。そらんじてしまえるくらい、彼に言われたことをわたしは何度も反芻したのだ。
当然ながら、半信半疑だった。そんなことできるわけないって思った。だけどカルマの視線はまっすぐに、わたしの鎖骨に注がれていた。去年のクリスマス、自分へのプレゼントにと買ったはじめてのヴァンドーム青山。
天秤にかけた。畠山涼子とネックレス。首にするならどちらがいいか。
わたしはうなじの留め金に手をかけ、カルマが差し出す白い手袋の上にしゃら、とネックレスを落とした。
「あなたは立派にお支払いいただきました。あのゴールド、とてもいい品物でしたよ。畠山氏の件に十分値したからこそ、これだけ早く対価が得られたのです。貴金属の質と結果は比例しますからね。んまあもっとも、金属の中で最も黒いタンタルよりも真っ黒な方でしたので、たやすかったというのもありますが」
滔々と語りながら彼は手を伸ばし、わたしのカップにおかわりのお茶を注ぐ。わたしはああそう、となかば投げやりに返した。
質と結果は比例する。つまりいい金属を差し出せば、その分いい対価が得られる。六万円で買ったあのネックレスは、それだけの価値があった。
さて、と彼が言い、ソファに置いていたわたしのバッグに視線を注ぐ。
「実は先ほどから気になっていたのです。そのベージュのトートバッグから、金属のにおいが漂ってくるのですよ。金ですか、銀ですか? それともほかの金属ですか? さらなる望みのためにあなたはここへなにかお持ちになったのでしょう?」
犬のように鼻をひくつかせ、カルマは目をきらきらと輝かせた。どんな貴金属もこの目より輝きはしなさそうだ。わたしは太い息をつき、引き寄せたバッグに手を突っ込む。
十代のころ集めたシルバーアクセ、元彼からもらってなんとなく捨てられずにいたネックレスや指輪、趣味と流行から外れたピアス。チェーンのないペンダントトップ。かき集めてみたら意外とあって、とりあえずまとめて持ってきてみた。
テーブルにじゃらっと並べたのを彼が一瞥した瞬間、その顔はまずいものでも食べてしまったように歪んだ。
「ええっ、なんですかこの中途半端なゴミたちは」
「ゴミってひどい! 買ったときはそれなりにしたのよ。このピアスなんて、小さいけどダイヤがついてるんだから」
「甘い甘い。いいですか咲玖さん、金属に価値があるのであって、私は値段や石には興味ありません。良質な金属を求めているのです。安物のシルバーにチタンじゃあ腹の足しにもなりやしない」彼は早口で喋り、大げさに首を振る。
あまりの言い草に今度はわたしが眉をしかめた。腹の足しって、食べられるわけでもないだろうに。
「一応お聞きしますが、今度の望みはなんでしょう?」
待っていた質問がようやくきた。呆れ顔なのが気に入らないけど、わたしは身を乗り出し彼を覗き込む。
「企画課の高橋雅弘。離婚させてくれない?」
それで今度はわたしが、その座につくのだ。そうしたら今みたいにびくびくせず、心置きなく彼と過ごせる。
家に帰ってもご飯を用意してくれない妻より、セックスさせてくれない妻より、『女』でなくなった妻より、わたしのほうがずっと奥さんにふさわしい。
だけどカルマは、段々と堪えきれなくなったように小刻みに肩を揺らした。
「ちょっと、なにがおかしいのよ」
「いえいえ失礼、なんでもないです。そうきたか、と思っただけで」
「馬鹿にしてるの」
「とんでもない、滅相もない。強欲なのは結構なことですよ。生きている証拠ですから」
そう言うと彼はほんの一瞬、流すようにコウモリを見やる。つられてわたしも木にぶら下がるそれを見た。大きくて不気味でやたらリアルな質感をした哺乳類と鳥類のあいだの生き物に、わたしの目はしばし奪われる。
ふうむ、と唸るような声がして視線を戻した。彼は銀色のメダル状のペンダントトップを摘んでまじまじと見ていた。
「この品だけはかろうじていいものですね。デザインは少々古いですが、れっきとしたプラチナです」
コインを模したようなそれは、母が以前くれたものだ。誰かもわからない外国の女性の横顔が掘られたそれは、重くてチェーンもなく趣味にも合わず、使うことは結局なかった。
ふうん、と呟き、普通に換金したらいくらになるのだろうと考える。こんなことでもなければ思い出しもしなかった品だろう。「なら、それでわたしの望みは叶う?」
カルマはもう一度唸ってから片目を閉じて鑑定用のルーペをコインにかざした。
「まあ、やれるだけやってみましょう」
その返事に、わたしは思わずほくそ笑んでいた。
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