いい子の代償

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 高橋梨花は、アフタヌーンティーの三段のスタンドを挟んでわたしにこの日三度目の謝罪をする。 「本当にごめんなさいね。まさか涼子が、あんな合成写真作って送ってくるなんて思わなくって」  これはお詫びだから。遠慮しないでどうぞ食べて。この人に問い詰めたら、こんなの嘘だ、知らない、タチの悪いイタズラだってずっと認めないから、私もムキになって電話しちゃった。本当に遠慮しないでね。ここのアフタヌーンティーおいしいのよ。  あの日の剣幕など嘘だったように彼女はわたしにすすめ、申し訳なさそうに笑った。その横では雅弘さんが、少し小さくなりながら紅茶を啜り飲んでいる。  曖昧な返事をして手近にあったピンクのマカロンを口に入れた。甘っと思ったら酸っぱさが襲ってきて、何味なのかもよくわからなかった。寝不足だからだろうか。だけどひとつ食べ出したら、朝も昼も受け付けなかった喉が食べ物を受け入れ始めた。  割ったスコーンにブルーベリージャムを塗りつけていると、彼女が頬杖をついた。 「涼子はなんでか知らないけど、人の弱みを見つけたりつけ入ったりがうまいのよ。今回のクビも脅迫と横領なんでしょう。そういうこといつかやりそうって思ってた。なんでもクビの腹いせでああいうのいっぱい作って、各方面に送りつけてるって昨日の朝知って。同期のグループラインに集まった情報がもう、ひどいひどい」  彼女が差し出してきたラインの画面には、畠山涼子が発信したスキャンダラスな画像がたくさんあった。現金のやりとりやキャバクラで羽目を外している画像。ほとんどが役職付きの人ばかりだ。合成とは思えないくらい、どれも精巧に作られていた。  カルマのやつ、やるじゃない。金塊(インゴット)五十グラムの対価としては、悪くないと内心笑う。 「……畠山さんには、わたしたち庶務課も手を焼いてました。いつも無茶ばかり言うから」 「やっぱり? じゃあクビになってある意味ひと安心ね」  それだってわたしが差し向けたんだ。表面的に彼女と笑い合い、わたしはふと雅弘さんを見る。  奥さんの前だからなのかこういう場になったからなのか、口数が少ない。わたしの前ではもっと自信たっぷりで、かっこよくて頼れる人なのに。はじめて見る私服姿もなんだか冴えなかった。  和やかに会を終えて丸ノ内線に乗り込み、狙った椅子が目の前で取られたと思ったとたんに疲れがどっと押し寄せてきた。仕方なくつり革を掴み、なんとか凌げた安堵を吐き出してバッグからスマホを出した。見てなかった三時間分溜まったニュースやDMの通知が、新しく入った通知に上書きされる。雅弘さんからのワンタイムチャットだ。 『今日はごめんね。こんなことになったからしばらくは難しいけど、落ち着いたらまた誘うよ』  通知だけで全部読めたから、アプリに読みにはいかなかった。返事もすぐにする気になれずスマホから顔を上げると、婚活や恋活の車内広告がやたらと目についてああ、それもありだなあと思う。なんならあの男に頼んだら、結婚相手もすんなり見つかるかも。  手癖でスマホのロックを解除して、今度はラインの未読が三十六件もあることに気づいた。  首をかしげながらタップする。数を増やしているのは総務課同期のグループで、未読一番目に『これって五十嵐さん?』と画像が続けて貼られていた。今しがた解決してきたはずの、ホテルに入ろうとしている写真だった。  うそ、とかすかすの声で呟いた。送り主は秘書課の子で、足元が抜けていく心地がしてつり革を握りしめる。それでもメッセージを親指がスクロールし、目が追いかける。 『え、明らか五十嵐さんと企画課の高橋主任じゃん』『撮ったの誰?』『社内不倫バレとかきっつ』  そんな言葉が並んだあと、『うわっ、ごめん五十嵐さん! 個人に送ったつもりだったのに』画像を貼った子が、手を合わせてごめんと謝るかわいいうさぎのアニメスタンプを流していた。  白々しい。  好き勝手言うそのグループにひと言、『それ畠山さんが作った合成写真だから、信じないで』と入力する。すぐに既読が二つついたけど、返事はなかった。  芙美からの発言はなく、かわりに個人宛に『咲玖、大丈夫?』と入っていた。仕方ないから『大丈夫』とスタンプつきで返し、わたしは電車を降りてちょうど来ていた反対のそれに飛び乗る。  新宿で特急に乗れたら、実家までは往復で二時間だ。今から行けば、今日中にあの店に立ち寄れる。  五月の連休にも帰っていたとはいえ、突然だったせいか両親は驚いていた。 「会社関係で亡くなった人がいてさ、明日お通夜出ないといけないんだ。ブラックフォーマルはもう買ったから、お母さんの持ってるやつで、使っていいアクセサリーないかな?」  なめらかに出まかせが口から出てきて嫌になる。母は疑った様子もなく、あらあらご愁傷様、とわたしを寝室へ案内した。押入れから二段の引き出しがついた黒い宝石箱を持ってきて、畳の上でぱかりと開けてくれる。  一番上は真紅のビロードが敷かれ、蓋の裏に鏡が張ってあった。ロールケーキを並べたような上に金や銀の指輪が十個。その横の仕切り一つ一つには、真珠をはじめいろんなデザインのネックレスが十二本並んでいる。つけているのを見たことがないものばかりだ。 「……意外と持ってるんだね」 「そりゃバブルを生きたんだもの。この金のネックレスは初任給で買ったの。ルビーがトップのは、お父さんからもらったやつね。そういえば何年もつけてなかったわ」  母が愛おしそうに取り上げたそれぞれを首元に合わせ、「どう?」とはにかむ。なのにわたしは「似合うんじゃない」と言いながら、初任給の金のそれでどの程度の望みが叶えられるか考えてる。 「お通夜なら真珠のネックレスだけで十分よ。短めの一連のね。今回は貸してあげるけど、咲玖も働いてるんだし買っておきなさいよ。ひとつあると便利だから。そうだ、ついでにブローチも一個か二個くらい持っておく?」 「え、くれるの?」 「いいわよ。やたらあるし、ほとんど使ってないもの」母は中段と下段を引き出しごと出した。  金と銀の百合、銀に珊瑚の薔薇。すずらんを模した真珠とプラチナのブローチは見覚えがある。わたしの高校の卒業式で、母がつけていたものだ。 「その少し煤けた銀の三日月のはどう? 黒っぽいけどちゃんと純銀よ」純銀。響きにグッとくる。 「あとこっちは金。でもデザインが古いから、あんた向きじゃないかしら」トンボのかたちで古ぼけてはいるものの、金は金だ。 「古いとか関係ないよ。レトロでかわいいじゃんトンボ」 「そう? じゃあこれもあげる。大事にしてよね」  うれしそうにほほ笑む母に、前のめりになってうんとうなずいた。真珠は役に立たないけど、これだったら足しになる。結婚前に買ったという、金のビーンデザインのネックレスもついでにもらうことができた。ティファニーらしい。これで足りるだろうか。
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