彼女たちの式

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****  もうそろそろ空はラベンダー色が迫ってきている。あともう少しで夜のとばりは降り、星がきらめいてくる。  その頃にはようやく今日の作業を打ち切って、皆それぞれ家に帰っていく。  綾乃は正面玄関に迎えの車が停まっているが、沙耶香と玲奈の迎えは裏口だ。沙耶香は既に婚約者のいる身だし、玲奈はなにかと週刊誌記者に見張られているために、裏口からでなければ安心して帰ることができないのだ。 「それじゃあ、バイバイ。また明日」 「ええ、綾乃。ばいばい」 「綾乃ー、またね!」  ふたりに手を振って別れ、綾乃はひとり溜息をつく。  学校は檻の中だ。いつだって誰かに見張られている。綾乃はそう思いながら、ぷらぷらと正面玄関まで出て行った。  迎えの車に揺られながらぼんやりと思うのは、学園で口伝えにひっそりと聞く噂話だ。  この学園には家庭科の授業はあっても、被服部は存在しない。  昔は今ほど保守的ではなくて、それなりに自由があったらしい。女性に知識を与えるのは、女性が社会に出ても困らないようにするためとは、学園内で何度も聞く創設者の言葉だったか。学園からは有名デザイナーの何人も排出しているものの、その部はぱったりと廃部になってしまったのだ。  理由は被服部に所属していた女子生徒がふたり、ある日を境にぱったりと行方不明になってしまったから。コンクールに出すウェディングドレスも消え、中庭に咲いていた四季咲きのバラは不自然に刈り取られていた。  なんでも行方不明になった少女のひとりは、卒業したら結婚が決まっていたらしい。  学園を卒業したら即結婚なんて今時流行らない。でもそのときには別に珍しくもなんともなかっただろう。  それらの不自然な謎が、ふたりは卒業後の人生に悲観して心中しただの、ふたりっきりで結婚式を挙げて駆け落ちしただの、好き勝手に言われた結果、学園は生徒たちの口を閉ざすかのように、被服部の廃部を宣言し、問題の四季咲きのバラも根こそぎ刈り取ってしまったのだという。今は四季咲きのバラどころか四季咲きの花すら植わっていない。  でも大人は少女の想像力を侮っていた。  だからこそ、その噂は少女同士の内緒話として、先輩から後輩に、OGから現役生に、「先生に聞かれちゃ駄目よ」の前置きと一緒に語られるようになってしまったのだ。  だからこそ、綾乃たちの学年にもその話はひっそりと流れてきて、先生に聞かれないように、耳打ちしながらその話題を口にしている次第だ。  綾乃はその噂話をただのジョークと言い切れなかったのは、沙耶香の存在が大きかった。  あと半年もすれば、綾乃たちも卒業する。  綾乃は学園の大学部に進学が既に決まっていた。玲奈は芸能界にデビューするために事務所と契約して挨拶回りをしているし、沙耶香は……。  卒業と同時に結婚する。相手は優秀な経営者であり、婿養子として迎えるらしい。  時代錯誤だ、女の人生をなんだと思っているんだと口ではいくらでも言えるが、そう言い切れないことを、綾乃は知っている。  本当だったらウェディングドレスは知らない人のために着るより先に、沙耶香に着せてあげたかったが、沙耶香は笑って玲奈にモデルの役割を譲ってしまったのだ。 「だって、私今後結婚なんてできないでしょうから、政略結婚でもいいの。何度も会ったけど、本当にいい人なんだから」  そう屈託なく言う沙耶香に、何度綾乃は歯がゆく思ったのか。綾乃のそんな様子に、玲奈は溜息交じりで言ったのをよく覚えている。 「やめときなさいよ。幸せって、なにも自由なことだけじゃないんだから」  その息苦しさに、なにもあがく術がないことが、綾乃にはつらかった。  家に帰り、制服を脱ぎ捨てると、ルームウェアに着替えてなにげなく家のスマホに手を伸ばしてみる。学園内では学園用の端末しか使えないが、家に帰ってしまえば自由に使えた。  メールが入っていることに気付き、何気なくそれを見てみる。今時メールなんてと思われがちだが、そもそも沙耶香はスマホは持たされておらず、置き型のパソコンしか持っていなかった。 【今暇?】  たったひと言だったら、SNSのアカウントを持ってメッセージ機能を使えばいいのに。綾乃はそう思いながらも、スマホをタップする。 【暇だよ】 【式のドレスが決まったの。これ似合うと思う?】  そう言いながら、画像ファイルが添付されてくる。見てみると、モデル体型のきりっとした印象の沙耶香によく似合う、マーメイドラインのドレス姿の沙耶香の写真が付いていた。デザインは自分たちが縫っているものよりも明らかに上品で、政略結婚らしく華々しくするために有名デザイナーが手掛けたんだろうことは想像がついた。  綾乃は少しだけ考えて、恐る恐るタップする。 【似合わない。なんか老けて見えるよ】  大嘘をついた。  違う、本当はすごく似合う。大人びている沙耶香の魅力をより引き立ててくれるものだ。でも、似合うなんて手放しで褒める気にはなれなさそうだ。  綾乃の子供じみたわがままをわかっているんだろうか、沙耶香から返信があった。 【そうね、私もそう思う。全然似合わないでしょ? お金をかけるところを間違っていると思う】  そう返事を打たせてしまったのに、少しだけ罪悪感が募る。どう返事をしようかと悩んでいたら、沙耶香のほうからまたメールが入った。 【だから、綾乃が一番似合うドレスを着たいの】  その言葉に、綾乃は黙り込む。  秘密をつくる。それは甘美な色を帯びている。  不意に思い浮かべたのは、玲奈のために縫っているウェディングドレスだった。元々三人で回し読みしているマンガの中で見たものだった。  もしこれが最近のマンガであったら図書館に並べられることもなかっただろうが、そのマンガは何十年も前のマンガだ。図書館にも置かれているようなマンガだから、誰も止める者がいなかった。  このマンガの中のお姫様の着ているドレスが可愛くて、これが着たいと言い張った玲奈の気持ちもわかった。  実際に縫ってみたらあまりにも手作業が多くって、たったひとりで縫えと言われたら心が折れてしまうようなものだったけれど、綾乃と沙耶香で一生懸命縫い、ようやく終わりが見えてきたものだ。  それは少女マンガの幻想そのもので、有名デザイナーのドレスのあとだとチープに見えてしまうかもしれない。それでも、それが一番沙耶香に似合う気がしたのだ。  綾乃は、たどたどしくタップした。 【授業で縫っているドレス。玲奈に頼めば、着せてもらえると思う】  それを送信したあと、綾乃はベッドの枕に顔を埋めてしまった。  大人びた沙耶香に呆れられてしまったかもしれない、軽蔑されてしまったかもしれない。だって、彼女が結婚することは変えられないのだから。  恥ずかしくて、いたたまれなくて、思わず足をバタバタと動かしてしまったところ、返事が返ってきた。 【私もそう思う】  その返事に、綾乃は枕から顔を上げると、返事を出した。 【じゃあそれで】 【先生に見つからないように、式をしよう】
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