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たっぷりの沈黙が部屋の中を支配していた。 どちらも口を開かない。 壁にかけた時計が時を刻む音が、やけに大きく聞こえる。 永遠に、この沈黙が続くかと思っていたら、ようやく夫が口を開いた。 「ごめんなさい…。」 「…ごめんじゃ分からない。ちゃんと分かるように説明して。」 「…バイトの娘で、俺のこと好きって言ってくれてる。たまに2人でご飯食べたり飲みに行ったりしてる。この時計は、彼女の誕生日プレゼントであげたんだ。」 「…それだけ?」 「それだけって?」 「ご飯食べたりお酒呑んだり、それだけじゃないでしょ?」 「何が言いたいの?」 「子供の付き合いじゃないんだから、もちろん体の付き合いもあるんでしょ?」 「…ないよ。」 「嘘よ。」 「ないって。」 「そんなの!信じられるわけないでしょ!?セックスもしてない相手にこんな高給な時計のプレゼするわけないじゃない!」 「お前がどう思おうと勝手だけど、セックスはしてない。それは誓って。信じてほしい。」 「信じてほしい?どの口が言ってるの?そんなの無理に決まってるじゃん。今までに何個の嘘を私についてきたの?私に隠してること、他にもたくさんあるくせに。そんなあなたのことを、どう信じろって言うのよ。」 この時、ずっと堪えていた涙腺が崩壊して、一気に涙が溢れ出てきた。 信じていたのに。 この人はあの人とは違う。 私以外の女の子の話を、何の悪びれもせず話すあの人とは違う。 こういうことで、私を傷つけるようなことは絶対にしない人。 そう信じていた。 それなのに…。 「本当にごめん…。」 泣きじゃくる私に、夫はそう声をかける。 私は何も言わない。 何も言えない。 「もう会わない。彼女とは。えなに許してもらえるまで謝り続けるし、えなにまた信じてもらえるようになるまで、どんなことでもして償う。本当にごめん。ごめんなさい。」 私は尚も何も言えない。 なんて言えばいいのかが分からない。 まだ混乱していて、頭の中がグチャグチャで。 許したいのかも。 許せないのかも。 もう彼女とは会わないと言う夫の言葉を、信じられるのか、信じられるわけないのか。 「……ちょっと頭冷やしてくる。」 私はそう言って、マンションの部屋を出た。 行くあてはない。 とりあえず近くのコンビニまで行ってみる。 欲しいものがあるわけでもなく、そう言えば何も持たずに家を出てきてしまったから、財布さえなくて何も買えない。 早々にコンビニを出て、コンビニの前のガードレールに腰掛ける。 「寒い…。」 思わず呟く。 口から白い息。 ふいに、顔に冷たいものが当たった。 雨?と思って空を見上げると、降ってきたのは雪だった。 その年の、関東に降る初雪。 ああ。 私はこれから先、毎年初雪が降るたびに今日のことを思い出すんだろうな。 そう思ったら、また涙がジワッと湧き出てきた。 泣きながら、空を見上げる。 雪が迫ってくるように見える。 私の上に雪が降り積もって、私を消してしまってほしい。 もう、私なんていらない。 あの人に愛されなくなった私なんて。 もういらない。 本気でそう思った、あの冬の夜。
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