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「お帰りなされませ」
「嘉之丞! 息災か! 留守居役ご苦労!」
陸に降り立つと沢良木家と共に代々秋朝家の家老職を勤めてくれた三原家の当代当主・嘉之丞を筆頭に、紋付袴で正装した男達が深い立礼で迎えてくれる。
以前は大名行列のお通りさながら座礼で平伏し、背中と後頭部しか見えなかった。皆の顔も見えぬ出迎えなど要らぬし、欧米列強と渡り合うこの時代にいつまでも平伏は相応しくないと冗談半分に嗜めたところ、こうして迎えてくれるようになったのだ。相変わらず顔は見えないが。
「面を上げてその厳めつらしい顔を見せてくれ」
「…………は」
「町も港も変わりないか」
「万事滞りなく」
全く大仰に違いなく、新時代の到来から久しくとも武士の魂とは実直が過ぎるものらしい。
殊にこの嘉之丞は武士の鑑、昔から生真面目なのだ。童の頃から一心に直向きに─────秋朝家に、私に尽くして来てくれた。今もそれは変わらない。
「父上! お帰りなさいませ!」
「志弦! 随分と顔色がよいではないか! 背が伸びたか? ズボンの丈が合っておらぬのではないか?」
秋朝家の馬車、雪月花の前で面映ゆそうに微笑む志弦は十八。
生まれた時から病弱でいつも青白い顔をして臥せっている事が多かったが、この半年で随分と逞しくなったように映る。
「近頃とても気分がよろしいのです。また絵を描いております」
「そうかそうか! 和喜はどうしている?」
「相変わらずにございます。最近は山向こうの村々にも瓦斯灯を引くにはどうすればよいのかと勇んで、若い僧達やお上人を手こずらせております」
「十にもならぬのに頼もしい事だ」
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