夢職人

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夢職人

 その男は夢を作る職人である。名前は存在しないが、強いて言うならば夢職人というところ。彼が作った夢と各部位から届くお便りを挟んだ思い出冊子が並ぶ巨大な本棚は図書館のように連なり、男の身長の何十倍も高い梯子を使ってようやく最上部に手が届く。  学校の体育館を思わせる広い空間の九割は本棚が占めている。残り一割は通路だ。出入り口から広めの通路が一本伸びていて、両脇に本棚が作る通路が幾本も伸びる。男は部屋に入って真っ直ぐ進んだ突き当りに作業机を置き、いつもそこで夢を作っていた。  夢の内容は毎日ポストに投函されるお便りを元に一から作り出す。作業机をぴったりと壁にくっつけた左側。その壁には長方形の穴が開けられ、穴の真下に置いた木箱には今日も手紙が山積みである。  手紙を出すのは、【心】や【脳】といった者から【手】や【足】、【胃】からも手紙がやって来る。「今日は好きな女の子と話すことができた」と【心】が歓喜したかと思えば、「体育の時間に派手に転んだ」と【膝小僧】が文句を綴る。  夢職人の男は、それらを組み合わせて夢を作る。ある日は好きな女の子を登場させて、目の前ですっ転ぶという喜劇を描いたのだが、翌日【心】から苦情が届いた。  「とんでもない夢を見たせいで、一日中ピリピリする羽目になった。おかげでもうグッタリだ」  またある日は空を飛んで、かっこいい剣や盾を持ち、怪物を一掃して見せた。あるいは、ジャングルの中でクラスメイトと遠足をしたり、海の中で魚と一緒に泳ぐ夢も作った。  その夢が好評だと、作業机の右隣にある虹色の花が生き生きと咲いた。不評だと少し萎れる。植木鉢がある位置の天井にはぽっかりと丸い円が開いていて、時折水が降ってくる。涙というのだと男は知っていた。  「さて、今日は何を作ろうか」  男は白髪で、分厚い片眼鏡を付けている。寡黙な夢職人は今日もデスクランプを灯して厚紙と色鉛筆を引っ張り出す。  夢は紙芝居と同じ要領で作るのだが、どこにも文字は書か無い。絵だけである。お便りに載せられた文面から気持ちを汲み取り色鉛筆で描いていく。クレヨンだったり、水彩絵の具だったりするが、夢職人のお気に入りはサラサラと川のように描ける色鉛筆だ。  その日は、遊園地でジェットコースターに乗ったことが思い出深かったらしい。あらゆる感覚部位から爽快だったと感想が送られてきた。夢職人は彼らの言う通りにジェットコースターを描き、前に好評だった蒸気機関車をレールの上に走らせた。さらにドラゴンを登場させ、最近【心】や【脳】からリクエストの多い戦いを組み込み、幕を開ける。知らない人と連携し、ドラゴンを討伐する所で夢は終わる予定だ。  一枚一枚描いていくと、絵には命が宿り、動き出す。夢職人にしかできない事だった。閉ざされた部屋の中で外を見る事の無い男が、唯一お便りによって外の世界を知る。そこには、どんな概念も普通も存在しない自由が翼を広げている。夢の中では何でもできた。  夢職人が夢を描き終え、金色の腕時計の文字盤に目を向けると、【夢】という文字に時針が差し掛かろうとしていた。  黙ってソファーチェアから腰を浮かす。完成した紙芝居を手に出入り口まで歩いていく。革靴のコツコツという音が広い空間に響くと、改めて自分は独りなのだと男は自覚した。  真っ直ぐ歩いていくと、扉も無く短い廊下が繋がっており、次の部屋が丸見えだ。と、言っても何があるわけでもない。横長の壁一面に張られたモニターと、紙芝居を入れるための機材が置かれているだけだ。  夢職人の男は、その機会に命が宿る絵をまとめて入れた。一枚ずつ、機械が男の絵を飲み込んでいく。そうして全てが繋がり、映像となるのだ。
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