夢職人

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 どうして黒い便りしか届かないのか、他の感覚部位からは何の音沙汰もない。日々、悲壮な手紙が届くだけ。「偽善者だ」とか、「聞く耳を持たないやつら」だとか。夢職人はもう仕事を止めてしまいたくなった。自暴自棄になり、夢など見させなければ良いのだ。しかし、夢を見なければ何かが乱れる。例え起きた時何も覚えていなくても夢を見させるのが夢職人の仕事である。  お便りからその日感じた事を読み解き、夢に映す。だというのに、【心】は短文しか送ってこない。しかもどれも後ろ向きだ。悩んでばかりいる。  「悩み、か」  夢職人は硬くなったソファーチェアに腰を預けて片眼鏡の位置を調節した。そして、ふと思い至って黒い便りが挟まった冊子を取り出した。「誰も僕の話を聞いてくれない」「皆僕を責め立てる」一見大げさに捉えているだけの文面だが、いくら黒い便りをあさっても抱えている問題が解決した文は綴られていない。加えて直面している問題の根本がよくわからない。今、【心】は正体不明の、根拠もない問題ばかりを抱えているのだ。  「話を聞いてくれない」  最初から二番目に届いた黒い便り。「僕を産まなければ、きっとパパもママも自由に過ごせたはずなんだ。だから話を聞いてくれないんだ」に初めて書かれたその一言は、気づけばいたる所に書かれていた。読み返すと、黒い便りの約半数に「話を聞いてくれない」という旨が記載されている事に気が付いた。  ただの八つ当たりだと夢職人は思っていた。実際八つ当たりの一面もあるだろう。けれど、その奥底に、まるで隠すように沈められた一文があった。読み返す度に、確信が持ててくる。  「【心】は助けて欲しいんだな?」  解決しない問題は増えていく一方。誰も話を聞かず、流れていく日々。どうして素直に「助けて」と言えないのか、夢職人は今度はすぐにわかった。夢職人もまた、悪質となった作業場から逃げ出すこともできず「助けて」と言える相手など居ないからだ。  「さて、どうしたものか」  夢職人にできる事は紙芝居を作る事だけだ。絵を描き、絵に命を与え、夢を見させる。それで一体何ができるだろうか。何を伝えられるだろうか。  厚紙を取り出し、色鉛筆を握る。手は自然と動いていく。お便りも読まず、冊子も見ず。その時夢職人は初めて自分の力で絵を描いた。初めてお便りに「そうじゃない」と見せつける。  誰も居ない部屋の中で、夢職人の色鉛筆が紙の上を走っていく音だけが静かにこだまする。「一人じゃない」と言いたかった。夢職人は、自分の存在を知らせるために夢を描く。  【夢】の時間が訪れる。夢職人は機械に紙芝居を入れた。読み込めと半ば脅すように呟いて、機械が動くのを待った。あの耳障りな音も無く、機械はゆっくりと紙芝居を飲み込んでいく。一枚、二枚、三枚、四枚……すべての絵が機械に入り、モニターに直線の光が灯る。パッとモニターが何十日ぶりかの鮮やかな色彩を放った。夢の始まりだ。  父と母が笑っている。母が泣いている自身の涙をハンカチで拭い、大きく太い父の手が優しく頭に置かれた。温かい。確かにその手は温かく感じる。陽だまりの中で駆けだすと、父も走り始め、あっという間に追い越していく。母も不格好ながら走ってついて来た。  クラスメイトが談笑している。朝の爽やかな日差しが入る教室を訪れると一斉に皆がこちらを向き、挨拶をしてくれる。「おはよう」。手招きに応じて輪の中に混ざる。昨日のゲームの話をした。ビックリするぐらいの惨敗だったなと笑い、次こそはと燃えている。  夕方、学校が終わると、好きな女の子と並んで歩いた。後ろからクラスメイトが尾行して来る。バレバレだ。「また明日ね」それだけ言って別れると、隠れるふりをしていたクラスメイトが「もっと突っ込めよ」と笑いながら小突いて来る。
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