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約束、それは可能性?
もう、結婚の約束は無効かもしれない。
運命の再会だと思っていた奏との出会いは、それまで夢に見ていたようなものではなかった。成長していくうちに奏は僕との約束を忘れてしまったのかも知れない――最初のうちはどうにか思い出させようとしていたけど、そうすればするほど面白がられてしまうし、そうする度に僕の粗が目立つことになってしまう。
あまり下手なことを言わない方がいいんじゃないだろうか、そう思い始めるとキリがなくて、奏とのやり取りに少しずつ気疲れするようになってしまった――そう思っていたんだけど。
思っていたけど、やっぱりどうしても。
「しゅーちゃんって凄い猫背だよね~? もっと前見なよ、そしたらもっといろんな人見れるし、しゅーちゃんのキモいとこもちょっとは直るかもよ?」
今日も今日とて、奏は僕が近所を歩いているのにくっ付いてきて、嘲笑うように囁いてくる。きっと「キモい」というのだけが本当で、直る云々については完全に僕を煽りに来ているだけなのだろう。、こんなことされたら、もしかすると百年の恋でも冷めきってしまうに感じる。たぶん他人の話として聞いていたら、きっと早く縁を切れと言ってしまいそうだ。
けれど、僕は違った。
少なくとも、僕は奏と離れようなんて思えなかった。
「学校も行かないで中学生相手におどおどしてるとか無様過ぎ♪ しゅーちゃんってずっとこのままなのかな……毎日見てるけど全然成長しないもんね~、俯いたまま道端の石みたいになっちゃうのかな?」
「なぁ、奏」
「ほんとに小さい頃一緒にいたしゅーちゃんとおんなじ人だとは思えないなぁ~、そんな風になっちゃうんだったら……、まぁ、なんかねぇ」
「奏」
改めて呼ぶと、奏は僕への嘲笑を止めて「なに?」と鬱陶しそうに問いかけてきた。何だろう、そういう視線すらも、僕には何だか……。
「ありがとな、いつも来てくれて」
「えっ!? なに急に、ちょっとおかしくなっちゃった?」
再会してから初めて、心から戸惑ったような顔を向けられてしまう。別にそういうつもりはなかったんだけど……まぁいいか。たまには僕も好き勝手言わせてもらう。
「奏が来るまでさ、僕ずっと喋り相手なんていなかったんだ。そりゃ親は話しかけてくるけど大概は正論ばっかりの説教だし、学校のやつらは僕が臭いだの目つきが卑しいだのとか言ってあることないこと言いふらしてるから居場所なんてないし、もう僕はずっと独りっきりで過ごしていくんだろうなってどこかで思ってたんだよ。
でもさ、奏は何だかんだ僕のところに来てくれるし、なんなら僕よりも僕のことわかってくれてるっていうか……あのSNSのアカウントだってよくわかったよな、前に黒い翅の蝶をふたりで見つけた時のことがずっと記憶に残っててつい付けちゃった名前なんだけど、もしかしてそのときのこと覚えててくれてたのかな――とか、」
「そんなわけないじゃんっ、ていうか長いよ、まとめて」
「……だから、その……奏がこうやって来てくれるから、僕は救われてるんだ。大袈裟じゃなくて、本当に。だから、ありがとう」
奏の方は結婚の約束なんてとっくに忘れてるだろうし、たぶん持ち出したりしたらそこそこ気持ち悪がられてしまうだろう。
それでも、その約束をした理由――“離れずそばにいる”というあの日の願いは、予想とは少し違う形ではあるけど叶っている。奏に言うべきことかはわからないけれど、それが今の僕にはとてもありがたかったのだ。
「そ、そんなのでお礼言うとかっ、……しゅーちゃん頭おかしくなったんじゃないの?」
「…………、そんなことはないと思うけどなぁ」
いつもよりもちょっと苦々しい声に、思わず返事に詰まってしまう。だけど、なんだかいつもより……。
「それに、約束したし」
「え?」
「なんでもないけど!?」
「いま約束って、」
「知らない! 幻聴じゃないの!?」
小さな声でぽそっと呟かれた言葉。もしかしたら、もしかすると……もしかするかも知れない。
じりじりと照りつける炎天下、歩く影は少しずつ近付いているような……少しだけそんな期待をした。
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