対価屋

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「ええー、対価、対価、対価は要らんかね。貴方の幸せに見合う対価は要らんかね」 此の世界には対価屋と呼ばれる職業がある。自分の幸せに何故対価が必要かと思われるかもしれないが、世の中には自分の幸福を「戒め」なければ気が済まないという人間もいるし、その「戒め」から逃げる為に対価を払う人間もいる。その為、俺の仕事もそこそこ儲かっているというわけだ。 「すみません。私にも対価、売って頂けますか?」 「あいよ、どんな対価に致します?」 「今日、友達とスイーツバイキングで食べすぎちゃって。太る以外の対価ってありますか?」 「そうだな、太るが駄目ってんなら、肌荒れも駄目だろう? お嬢さん、外見には気を使っているようだからね」 「はい。なんとか外見に出るタイプの対価は回避したくて」 「それじゃあ、労働なんてどうだい。明日、昼飯も食えないほどに仕事が忙しくなるよ」 「あっ! それが良いです、近々会社の人間ドックも迫ってるし、ちょっとは運動不足を解消しなくちゃ!」 朗らかに笑って、彼女は俺から「労働」を買い取った。明日の彼女は本当に、おにぎり一つ食べる暇も無いくらい忙しくなるが、本人が了承済みだから明るいものだ。こういうやりとりは良い、後腐れがないし、何より小さな幸せに対価を払う人間は健全だ。世の中にはどうしようもないことで対価を払う人間だっているのだ。例えば、こんな風に。 「……対価屋さん、俺にも対価を売ってください」 「あいよ。お客さんはどんな対価が良いんで?」 「……人を、一人殺したんです」 思わず息を殺してしまったが、今更逃げるわけにはいかない。声をかけられたのに対価を売らなかったと噂になったら、対価屋として名折れになってしまう。それにしても、この男はどうして人を殺したのか。理由を聞いてみれば、これまたどうしようもない答えが返ってきた。 「付き合っていた相手と修羅場になって……それで彼女の腹を包丁で刺してしまったんです……」 「お客さん、人殺しの対価はそれなりにお値段が張りますよ。潔く警察に出頭した方が良いのでは?」 「そ、そんなこと、出来るわけが……俺の人生はこれからなんだから……」 「死んだ人にはこれからもくそも無いわけですがねぇ」 俺がうっかり口を滑らせると、男はぎろりと俺を睨んだ。怖い怖い、これで殺されでもしたら、俺も焼きが回ったと言われてしまう。しかし、俺が殺されることは無く、男は屋台の中身を吟味している。人殺し級の対価となると、単なる労働や不健康では終わらない。腕の一本や二本、無くなったって文句は言えないだろう。 「腕は駄目だ、仕事が出来なくなるから」 「仕事ってなんですかい?」 「医者だよ」 「はぁ、お医者先生が人殺しですか」 世も末だ、と思いながら、俺は一つの対価を取り出す。この対価内容は内臓、人体に詳しいお医者先生なら、喜んで買い取ってくれることだろうと思っての行動だ。しかし、お医者先生は不満そうに目を細めて言った。 「内臓と言ったって、心臓なんかを奪われたら大ごとだ。そんな不確定要素の多い対価を買えるものか」 「お客さん、よく見てくださいよ。これは内臓の部位を書くことの出来る優れものでして。自分で選べるんですよ。お医者先生なら、少しくらい無くなったって問題のない内臓くらい知っているでしょう?」 そう説明をして見せれば、お医者先生は渋々納得したらしく、この対価を買っていくことにしたらしい。料金を受け取ったら、あとはお客様のご勝手だ。よく考えて使うことですよ、なんて分かり切ったことを忠告して、俺はお医者先生の前から立ち去った。 俺の人生はこれからなんだ。殺した女の顔が焼き付いた脳裏を振り払うように、俺は対価を抱えて歩いていた。 「あの女が……美奈が悪いんだ……俺を脅したりなんてするから……」 美奈とは、俺が付き合っていた女の名前だ。ほんの遊びのつもりだった。俺はこれから大学教授の娘と結婚すると言ったら、逆上して相手方に洗いざらい話してやると怒鳴り散らしていた。俺が当時まだ16歳だった彼女に手を出したということまで喋られたら、俺の社会的生命は終わってしまう。そう考えた瞬間、俺は本能的に動いてしまったのだ。 気が付けば彼女の内臓を果物ナイフが抉っていた。医者であるが為に人間の急所には精通してしまった自分を恨めしく思いながら、俺は死体を彼女自身の部屋に置いたまま逃げ出し、そして対価屋を見つけ出したのだ。 「それにしても、失礼な対価屋だ。あいつら、人の不幸で飯を食っているくせに」 俺が対価を買わなかったら、あんな不愛想な男などどんな客もより憑かずに飢え死にしていた筈だ。そんなことを考えながら、俺は対価をぎゅっと握りしめる。 そう、対価は掌に収まる程度の、野球ボール程度の大きさの球体だ。これにどうして対価を払わせる能力があるのか、現代に生きる我々には知る由もない。対価屋というのは、遠い昔に魔術という謎の力を持っていた人種らしい。ある時代には魔女狩りなんかを行われてその数は随分と減ったそうだが、それでもしぶとく生き残った何十人かがその日暮らしの生活を続ける為に対価屋を開いているらしい。 「つまり、あいつらは人生の落伍者だ。俺は違う、俺は絶対にのし上がってみせるぞ」 その為には、今回の殺人を「戒め」なければならない。中途半端な戒めでは、事件が露見する可能性もある。しかし大きすぎる戒めは俺の命や生活を脅かすことになるだろう。考えに考えた末、俺は一つの臓器の名を球体に書いた。 「これなら……一つくらい潰れても問題ない」 球体に書いた名は「腎臓」だ。誰にも分かりやすく重要な臓器であり、また誰にも分かりやすく移植などの話を聞く臓器だろう。そう、腎臓は二つある。だから、生体間移植だって頻繁に行われるパーツだ。腎臓が無ければ生きてはいけないが、一つは失ったところでさほど問題なく生きていける。俺のような健康な成人男性ならば、まず大丈夫だろう。 「しかし、腎臓を取られるとなると、やはり腎炎か? あまり苦痛は受けたくないのだが」 苦痛ならば、今までにしっかりと受けてきたはずだ。美奈を殺しただけで……あんな水商売の尻軽女を手にかけただけで苦しみ悶えることになるなんて我慢ならなかった。なんとか抜け道が見つからないものかと対価を丁寧に調べてみると、対価の球体は二つに分かれて内側に詳細を書けるようになっていた。俺はすぐさま、自分の臓器がどのように摘出されるのかを文字にした。 「手術中、麻酔で眠っているうちに、腎臓を摘出される、っと」 これならば誰が見ても文句はないだろう。本当は腎臓を提供する相手も書きたかったのだが、自分以外の人間の行動は制限できないらしい。教授の娘であるあの鼻持ちならない高飛車女に、恩を売っておくべきだとは思っていたのだが。 「まぁ、良いだろう。これで苦痛なく、俺はヒーローになれるし対価は払われた」 教授の娘に婿入りをして実権を握り、それから今度は教授と娘を殺して再び対価を払い、新しい嫁を受け入れるという手段もいいかもしれない。めくるめく未来を考え、俺は思わず笑い声を漏らしてしまった。その時。 「っ、おぐっ……!?」 暗闇が俺の視界を支配した。口には嫌な臭いのする布が押し込められる。抵抗も虚しく、俺は誰かに突き飛ばされ、そのまま車の後部座席らしい場所に押し込められる。目と口を塞がれた俺には耳と鼻しか残っておらず、その鼻すら異国風の線香のような匂いによってすぐに馬鹿になってしまった。耳が必死に情報を集めようとするも、すぐさまにヘッドフォンを被せられる。大音響のデスメタルに、耳の奥がキィンと鳴った。 (一体何が起こったんだ) そんなことを考えている間もなくなって、俺の意識も徐々に薄れていった。 ばたんと遠くで扉が閉じる音がして、体を跳ね飛ばすように乱暴な運転で、車が現場を出発した。 俺が対価を売ってから、ほんの二日後のことだった。その男――――お医者先生は真っ青な顔をして、俺の前に現れた。服はあの日と同じ高価なスーツを着ているがそれはズタボロのボロ雑巾になっていて、なんだか生臭い血の匂いもした。お医者先生が一足歩く度、ぼた、ぼた、と赤黒い体液が粘性を持って垂れていく。彼はしばらく俺を見つめているだけだったが、けれども、俺の存在を知認すると彼はゾンビの様な歩き方で一直線に俺へと向かってきた。 「対価屋……お前……お前の所為で……!」 「どうしたんです、お医者先生。対価は渡しましたでしょう? 一体何があったんです?」 「お前、嘘を吐いていたな! 内臓を選べば大丈夫だと言っていたじゃないか!」 嘘を吐いたとは人聞きの悪い。俺は単に、この男へ「医者なら無くなったって大丈夫な臓器が分かるだろう」と確認をしただけだ。だというのに男は激怒したままに、俺の前でスーツをまくって見せた。見れば、彼の両脇腹には、斜め下に切り裂いて縫い付けたのだろう雑な傷口が存在していた。 「俺は腎臓なら一つなくなっても大丈夫だと思ったんだ! それなのに、二つだと!? しかも臓器売買の組織に誘拐されて、非合法な手術で眠らせられて奪われたんだぞ! これが嘘でなくて何だというんだ、答えてみろ!」 「そりゃあ、お客さん。前提が違いますよ」 人を二人も殺しておいて、内臓一つで済むはずがない。俺がそう言うと、お医者先生はけたたましくヒステリックな笑い声をあげながら「そらみろ」と言った。俺が嘘吐きだという証拠が、今の俺の言葉に表されていると指をさす。 「俺が殺したのは美奈一人だ! 二人なんて殺していない!」 「……あんたこそ、何なんだ。二人殺して、一人しか殺してないだと。お前は物の数も数えられないのか?」 ぎりぎりと男が歯噛みをする。自分は一人しか殺していないと主張し続ける男には、現実を正しく認知する能力が欠如しているのかもしれない。俺はお医者先生の脛を蹴り上げ、その体を地面へと叩きつけた。だらだらと血を吐き出す腹部を足蹴にしながら、俺は「この中にいた子が死んだんだ」と答えた。 「お腹の中にいた子が、お前に殺されたんだ。名前も付けられず、日の目も見られなかった子供が、殺されたんだ」 「――――え――――」 自分の血を分けた子供が死んだ。そのことを聞けばこの男も少しはショックを受けるかと思った。しかし、お医者先生のショックは別のところにあった。なんで生まれてもいない胎児の命が、一つと数えられるのか、と。 「あの腹なら、まだ中絶機会もあっただろう!? ならば私が殺したのは一人と数えられるべきだ!」 「……言いたいことはそれだけか?」 「ああ、それだけだ! 俺がこんなことで殺される方が可笑しい! あんな女の子供なんて、どうせ大した人間にはなれなかったんだ! 俺はこれから何百人も何千人も救う医師になるはずだったのに、どうして」 胎児なんかの為に死ななくちゃならないんだ。男の言葉に、最早救いはないのだと理解した。倒した男をそのままに、俺は屋台へと戻ってメガホンを取る。男がまだ何か喚いていたが、腎臓を二つともとられたのならばそう時間はないだろう。 「お医者先生、死にたくないなら、対価は売りますが。買わないんならどいてください、商売の邪魔です」 「訴えてやる! 私を騙した貴様など死刑だ! 死ね、死んでしまえ!」 「はいはい。それじゃあ俺は他の場所に行きましょうかね。ええー、対価、対価、対価は要らんかね」 俺がメガホンを華が下て歩き出すと、お医者先生……否、今や死にかけの肉に成り下がった男は蒼褪める。ちょっと待て、待ってください、待って。男は言うが、俺に止まる義理はない。何と言ったって、あの男には対価を払うだけの幸福など残されていないのだから。 「嫌だ、死にたくない、誰か、誰か助けてくれぇ……!」 「対価、対価、対価は要らんかね。貴方の幸せに見合う対価は要らんかね」 (対価屋さん、くださいな) 「へい、生まれてもいないお嬢さんが、何の対価を買うんだい?」 (今度は、優しいお父さんとお母さんの元へ生まれて生きたいな) 「……そんなら、お代は要らないよ。人間は、生きてるだけで対価を払ってるようなもんだからねぇ」 (ありがとう、対価屋さん) 「いえいえ、どういたしまして。今度は、良いご両親の元で幸せにな」 対価屋は今日も道を行く。お代が貰えりゃどこへでも。 「さて、あんたは自分の幸せに、何の対価を願うんだい?」
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