明日晴れなくても(18)

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十八・明日晴れなくても  気が付くと私の頭の上で、屋根を叩く雨の音がしていた。  いつから降っているのだろうか。今降り出したのか。随分前から降っていたのだろうか。  どうして私はここにいて、さっきまでいた宇都宮は一体どこへ行ってしまったのだろう。  彼がここにいないのは、私が超能力で瞬間移動させてしまったからだろう。  最後に彼が必死の形相で私に向かってきたのを思い出した。  彼は右手に大けがを負っていたが、恐らくそれは私の超能力で拳銃を暴発させてしまったからだ。  彼が私を殺そうとしたのは私が超能力者で、これまでの事件の真相を知ってしまったことよりも、今度は自分が殺されるのを恐れたからだ。  彼が舞依を殺したのも多分同じ理由なのかも知れない。  彼が超能力者を憎むのは、元恋人が超能力者で、襲ってきた男を殺して自分も自爆というむごたらしい方法で死んでしまったからだ。  彼は超能力者の存在を認めていた。  しかし、同時に超能力者を憎んでいた。  ――超能力って何なのか。  ――エスパーって何なのか。  超能力に憧れてエスパーになりたいと渇望し、その結果エスパーになることができた。  超能力でスプーンを曲げたり時計を止めたり、時間遡行したり、他人の記憶を感じ取ることができたり、拳銃から弾が出ないようにしたり、大の大人を瞬間移動させてしまうことができたり。  とにかく超能力さえあれば私の目の前にはバラ色の世界が広がり、とても幸せになれるような気がしていた。  でも、舞依や紀子が頭痛に苦しめられ、紀子に至っては記憶喪失になって、愛依も舞依も宇都宮に殺されてしまった。  私がこれまで見てきたのはちっともバラ色の世界なんかじゃなかった。  私は超能力でこんなものを見たかったんじゃない。  超能力が無力だったんじゃない。  超能力を上手に使えなかった私が愚かだったんだ。  私には超能力を使う資格などなかったのだ。  戻りたい。  紀子が私にズケズケと言ってくるのを素子やミエが慰めたリフォローを入れてくれたりして、そこに愛依と舞依が加わってくるような、そんな何でもないいつもの休み時間の風景が毎日続くと信じて疑わなかったあの頃に。  そこに栗橋さんもいたらもっと楽しそうだ。  私達には超能力なんてなくたっていい。そんなものがなくたって十分に楽しいし、頭痛の心配もしなくていい分むしろ幸せだ。  あの楽しかった頃に戻りたい。  時間遡行はかなりのエネルギーを消費するから一人ではできないと藤井に言われたのを思い出した。しかしそれでも私は時間を巻き戻したかった。  目を閉じ、頭を空っぽにしてから、自分が戻りたい時間をイメージした。自分が超能力を使えるようになる前だから、高校二年生になって間もない頃辺りが良いだろう。  あの頃はしょっちゅう寝坊していつも遅刻ギリギリだった。  いつもお小遣いがなくてピーピー言っていて、妹の美樹からは見下されていたが、それは今でも変わらないから大して気にはしていない。  ちょっぴりイヤミっぽく話す紀子の声と、楽しそうに話す素子の甲高い笑い声と、常に中立の立場で周囲に気を配ろうとするミエの声と、一生懸命話しかけようとする愛依のか細い声と、マイペースだけどいつも私のことを想ってくれている舞依の低い声。  それらが頭の中でグルグルと回り、次第に真っ暗闇の中へ溶けていった。  身体が重くなり、激しい睡魔に襲われた。もう目を開けていることもできない。  頭を土埃臭い床に押し付け、身体ごと地面に潜っていくような感覚に陥った。  深い眠りに落ちる直前の一瞬だけ無重力状態になったような何も感じない感覚が全身を包み込み、そこで私の意識は途切れた。  目を開けた。というよりは自然と目が開いた。  私は目だけをギョロギョロと動かして、今自分がどこにいるのかを確かめた。  どうやらそこは自室のベッドの中だった。  私は夢を見ていたのか、それとも自力で過去へ遡行してきたのか。一抹の不安を抱きながら天井を見上げていると、机の上の目覚まし時計が定刻通りに鳴り響いた。  飛び起きて目覚まし時計を止め、時間を確かめると今度は自分のスマホを探した。だが、スマホの日付は月と日しか表示していないため、本当に一年前に戻ったのかまでは確かめることができなかった。  パジャマ姿のままリビングに顔を出した。  そこにはとっくに朝食を済ませ、身支度も終えて今まさに家を出ようとする美樹がいた。  私はキッチンにいるお母さんに尋ねた。 「ねぇ、お母さん。今日って何年? 私高校何年生?」  お母さんが驚いたように振り返った。 「うわぁ。お姉ちゃんとうとうアルツハイマーかよ」  すれ違いざま、美樹は吐き捨てるように言い残し、玄関を出て行った。 「ゆかり、あなたは今高校二年生ですよ。来年は受験生なんですよ。しっかりしてくださいね」  自分が高二だとわかり、思わず口許をほころばせた。良かった、ちゃんと時間遡行できたのだ。 嬉しそうに家を出る娘を心配そうな顔で見送るお母さんの視線も気にせず、私は学校へ向かった。  学校に行けば、あの頃の紀子達に会える。そう思っただけで私の足取りは自然と軽くなっていた。  電車内の風景や窓から見える景色が一年前に見たものと変わりないのか何か違うのかはわからなかった。そもそも一年前の朝の風景などと言うものはよほど特別なことでもない限りまともには憶えてはいない。  学校に着くとまず、昇降口で二年の時に使っていた下駄箱を探した。十何列ある中の真ん中辺、下から二段目に”白岡ゆかり”と手書きで書かれたシールを見つけた。  間違いなく私は高校二年生の頃に戻っていた。  上履きに履き替えると駆け足で階段を上り、二年五組の札が掲げられた教室へ躊躇することなく足を踏み入れた。 「あ、ゆかりちゃん、おはよー!」 「ゆかりん、おはよう!」 「お、珍しく早いじゃん!」  紀子の声を聞いた瞬間、堰を切ったように涙があふれ出た。 「ゆかりちゃん、朝から痴漢にでも遭ったの? それとも露出狂?」 「モコ、茶化さないの」  ミエが慌ててポケットからハンカチを取り出し、私の顔を拭った。 「ゆかり、朝から情緒不安定だね」  そう言いながら紀子がそっと私の手を握った。  彼女の手は確かこんな感じの柔らかさだった。ガサガサの私の手と違ってスベスベしていて適度に潤いがあってフニャッとして骨っぽさを感じさせない、女の子らしい手だ。  やっぱり今の紀子の方が良い。  記憶喪失になった紀子も紀子には変わりないけれど、やっぱりちょっとだけ口が悪くてちょっとだけ優しいのが本当の紀子だと思う。  予鈴が鳴って、予定調和のように素子とミエが自分達の教室に帰っていった。周囲の生徒達も徐々に自分達の席に着き始めた。  本鈴が鳴るまでの間、紀子はあたしの方に上半身を捻りながら話しかけた。 「ねぇ、昨日のこと考えてくれた?」  昨日のこと、といきなり言われてもさっぱり何のことか思い出せずにいた私はとぼけて聞き返した。 「あれ、何のことだっけ?」 「あんた、もう忘れちゃったの? アルバイトの一日体験のことじゃない」  そう言えば、そんな話をしたような記憶がないでもない。いつも金欠で苦しんでいる私に自分のバイト先を紹介してくれた話を何となく思い出した。  あんな華やかな世界には全く興味はないが、高校生には破格の時給はとても魅力的だ。 「ごめん。まだ考え中」 「別に良いよ。ゆっくり考えなよ。フロアに出るのが嫌だったら、時給は下がるけど調理スタッフっていうのもあるよ」  料理も特に好きだったり得意というわけでもないが、将来好きな男の子のためにお弁当を作ることもあるかも知れないから少しは経験を積んでおいても良いのかなぁ、と頭の片隅で一瞬考えた。  本鈴と同時に赤羽が教室に入ってくる。教室の空気が一気に引き締まる瞬間だ。  背筋を伸ばして教壇に上がる赤羽に続いて入って来る背の高い、長い黒髪が綺麗な細身の彼女を見て、私の背中に電気が走った。  赤羽に促されて、彼女はあの時と同じように少し右上がりの文字でしっかりと一文字ずつ丁寧に自分の名前を書いた。  西 那 須 野 舞 依  黒板に向かっている舞依の背中を見ているうちに目の前がぼわーっと滲んできた。私は慌てて手で顔を覆い、痒い目を擦っている振りをしてゴシゴシと涙を拭った。  名前を書き終え、そっとチョークを置いた彼女はこちらに向き直り、聞き覚えのある低い声で自己紹介を始めた。 「西那須野舞依、と言います。実は隣の四組に転校してきた愛依とは双子の姉妹になります。双子ですけど、顔も性格も不思議なくらい全然似ていません」  クラスが一瞬、どっと沸いた。 「姉共々仲良くして頂けたらと思います」  そう言って頭を下げる彼女にパラパラと拍手が起きた。  私も拍手をした。心から手を叩いた。  あまりにも私の拍手の音が大きかったからか、紀子が怪訝そうにこちらを向いた。  教壇に上がっている舞依が不思議そうにこちらを見ていた。本当なら手を振って歓迎の意思を表したいくらいだったのだが、今この時点では二人は初対面と言うことになっているはずなので、必死に堪えた。 「じゃ、奥の席に座って」  赤羽が教室の最後尾を指差すと舞依はその方向へ進んでいった。  彼女の姿を横目で追うクラスメート同様、私も舞依の歩く姿を追いかけた。  自分の席に向かう途中、舞依がチラッとこちらを見た。  彼女と目が合った私は、この後どうやって彼女に話しかけようか考えていた。  もう超能力は使わないと決めたから、こちらからテレパシーで話しかけるようなことはしない。幸い舞依も私にテレパシーで話しかけてはこなかった。  ま、私が話しかけるよりも先にこの後素子が愛依を連行して教室に押しかけてくるだろう。そうなれば後は流れに乗って自然に話しかければ良いだけだ。  舞依が奥の席に着席した途端、赤羽からの出席確認と連絡事項が始まった。  顔を赤羽の方に向けながら、ずっと舞依の方に意識が傾いていた。  彼女からのテレパシーは送られてはこなかった。ということは、彼女も超能力を使わないのか。  ならば、もう彼女の頭痛を心配しなくても良いんだ。  いや、ひょっとしたら私が超能力者として覚醒していないから伝わらないだけで、西那須野姉妹は超能力が使えるのかも知れない。後でさりげなく探りを入れてみよう。  開けた窓の隙間から吹き込む五月の風が私の頬を優しく撫でた。私はその風に誘われるように外を見た。  まばゆい日差しが惜しみなく降り注ぎ、雲一つない透き通るような青空が窓一杯に広がっていた。  今日は良い天気だ。 「……と言うわけで、いよいよ来週から中間テストの準備期間に入るため、時間割が変更となるので注意するように。わかったな、白岡」  いきなり赤羽に呼ばれてビクッと身体を震わせる私に周囲のクラスメートから失笑が漏れた。  私は顔を黒板の方に戻しながら舞依の方をチラッと見た。彼女は何事もなかったかのようにすました顔で正面の赤羽を見ていた。  今日は良い天気でも、必ず天気の悪い日だってある。明日出掛けようと思っていた日に限って天気予報は雨、なんてことなんてしょっちゅうだ。  そんな時は雨を恨んだり、何とかして雨が降らないようにするなどとは考えたりしてはいけない。  もしも明日晴れなくても、私はがっかりしたり腹を立てたりなどしないことにした。  雨の時は雨の時なりの楽しみ方というのを考えるようにすることで、ひょっとしたらラッキーなことが起こるかも知れないし、またそういう期待を抱きながら明日を迎えた方が遥かに幸せな気分になれるような気がする。  そうだ、今日帰りにみんなを誘って『あみん』へ行こう。ドリンク代はもちろん割り勘だ。  藤井はいつもの席でコーヒーを飲んでいるだろうか。もしいたら一声かけた方が良いのだろうか。いきなり女子高生が声をかけたら彼はびっくりするんじゃないだろうか。マスターは相変わらずダンディーなんだろうか。彼の淹れるおいしいコーヒーを早く飲んでみたい。  ひっそりとした店内が女子高生の軍団に占拠された様子を思い浮かべて一人ニヤついた。  私はまた舞依の方を見た。  今度は舞依も私に気付いてこちらを見た。  私が彼女に微笑むと、彼女もつられたように微笑みを返した。  間違いない。絶対今日は良い日だ。  あぁ、休み時間が待ち遠しい。放課後が待ち遠しい。  吸い込まれそうになるくらいの青空の中、一羽の鳥が遠くに見えた。  その黒い点は一定の速度でゆっくりと左から右に流れていき、やがて私の視界から消えていった。 ―了―
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