君の物語になりたい

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 彼女との出会いは本当に偶然だった。僕が体調を崩して、病院でちょっとした検査が必要となった時のこと。機器の不具合で待ち時間が長くなるとのことで、僕は病院に入っていた小さな書店で暇つぶしの本を探すことにした。  そこに現れたのが彼女だ。彼女は僕の目の前で本棚に手を伸ばし、ある本を取ろうとしていた。だけど彼女は車椅子で、手が届かない。それを眺めていた僕が助け舟を出した。  それが始まり。それだけの偶然。だから、あの日あの時あの小さな書店に僕が行かなければ、そもそも彼女との物語は始まっていなかった。  本当に、人の出会いとは不思議なものだ。ちょっとしたタイミングで、人と知り合ったり知り合えなかったりする。だから誰かとの出会いは出来るだけ大切にしたい。目の前の彼女が、僕に小説を書くことを強要する、ちょっと変わった我儘をいう女の子だったとしてもだ。 「それで。続きは書けた?」 「まぁ一応は。でももうすぐ『今』に追いつく。さっきも言ったけど、君と出会ってまだ二ヶ月しか経ってないんだから」 「それなら、中身をもっともっと濃くすればいいじゃない。引き伸ばしだよ、引き伸ばし。描写が増えれば、『今』にはまだまだ追いつかないでしょう?」  彼女は空中で、何かをにゅっと引き伸ばす仕草をした。小さな身体で、でも両手をいっぱいに広げている。彼女の頭の中では何が引き伸ばされているのだろう。僕じゃないことを祈るばかりなのだけど。  彼女は僕の考えを余所に、鈴を転がすような声で続ける。   「例えばね、こんな感じはどうかな……『窓から吹き込む春風が、彼女の美しい黒髪を撫でる。さらり、さらり。風になびくその髪から、春の香りが運ばれてくる。だから僕は思うのだ。彼女の居場所は、薬くさい病室じゃあない。穏やかな春風が吹く、桜の木の下こそ相応しいのだと。だから僕は何があっても、彼女を花見に連れて行ってあげようと強く決意した。たとえ、先生が外出を禁止したとしても』……とか、どう?」 「どう? じゃない。最後のくだりなんてそれ願望だろ」 「ちぇ。バレたか」  彼女は笑った。だから僕も笑う。ここが病室でなく教室だったなら。彼女と同じ高校だったなら。きっともっと、毎日が楽しかっただろうに。 「それじゃあ、今日の分を読ませてくれる?」 「言っとくけど、今日のは短いからな。それといつも言ってるけど、期待はするなよな」 「大丈夫大丈夫。ぜーんぜん、期待なんかしてないから!」  彼女は言葉とは裏腹に、楽しそうな笑顔でノートを僕から引ったくった。そしてそれを食い入るように読み始める。  僕はこの瞬間が一番嫌いだ。自分の創作物を目の前で読まれるというのは、なかなかに辛いものがある。たとえそれが彼女に頼まれたもので、僕が渋々書いたものだったとしても。 「……うん、やっぱり素敵」  あっさりと読み終えた彼女は、こちらを向くなり言った。僕はその温かい笑顔に冷たい言葉を返す。 「ヤマもなければオチもない、ただの日記みたいなものなのに。素敵だって? いったいどこがだよ」 「もちろんキミがだよ。キミが素敵。だからこのお話も、当然に素敵」 「僕はそんな存在じゃない」 「そうかな。そう思ってるのはキミだけじゃない? 自信がないの?」 「そうじゃない。お世辞に煽てられるほど、子供じゃないだけだよ」 「そう? それじゃあお世辞でない証明に、ちょっと物足りないところを言おうか。正直に」 「足りないところ?」 「主人公のさ。ヒロインに対する愛が、なかなか見えてこないよね。もっと叫んでほしいよ。君が好きだ! 愛してる! ってさ」  今度はいたずらっぽく笑う彼女。そんなもの、この物語に乗せられる訳がない。語り部は僕で、ヒロインは彼女。たとえ作中であれ彼女に対する愛を叫べば、それはもうラブレターに他ならない。 「さてと。これは一昨日の話だよね? スノードロップがほしいって、私がキミにお願いをしたところ。短いって言ったわりには、結構厚く書いてくれてるね」 「まぁ、あれは印象的な話だったから」 「スノードロップの話をした、次の次の日が今日。と、いうことは」 「と、いうことは?」 「やっぱり、もうすぐ『今』に追いついちゃうね」  彼女は少しだけ。ほんの少しだけ。  悲しそうな声色で、笑った。 「追いつくとどうなる?」 「追いつくと、そうだなぁ。その先は私たちの未来予想図にしようよ。そしてキミの書いた物語を二人で現実にしていくの。私は、キミの物語になりたい。そうするとさ、私がもしダメになってしまったとしても。キミの中で生き続けられるじゃない? だからさ、だから」 「だから?」 「桜の木の下でお花見をする話は、必ず書いてよね」  今度こそ彼女は、朗らかに笑った。それはまるで春風のような、あたたかい笑顔で。だから余計に、それは僕の胸に深く突き刺さる。 「……わかったよ。それじゃ、来年の春。一緒に花見をする物語を書こう。実現、できるよな?」  僕の問いかけに彼女は。困ったような笑顔で、ただ曖昧に黙るだけだった。  
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