長屋とおじいちゃんと私

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長屋とおじいちゃんと私

「……本当に一緒に住む気だったんですね」   「嫌だなあ、私はウソなんてついた事はないよ」   「……いえ今日その発言が覆るような嘘八百の大義名分を朝っぱらから黒須さんに振りかざしていましたよね」   「ナノハ、よくお聞き。悪意を持ってつくのをウソと言ってね、そこに善意しかないときには思いやりと言うのだよ。あそこで私が黒須に対して、  『代わり映えもしない同じ部屋で、これまた代わり映えしないむさ苦しい男を相手に1000年も過ごすのは飽き飽きしたから、休養がてら気分転換したい』  とか言ってご覧よ? 黒須は泣くからねえ絶対」    着流しのような黒に銀色の細かい線が入った着物がまた無駄に男前度を上げている常磐様が、隣を歩きながら眉をしかめて私を見た。   「……まあ確かにショックは受けると思いますけども」   「だろう? 私はこれでも王だからね。側近にやる気を無くすような心無い発言など出来ないじゃないか」   「何だか意外と気を遣う方だったんですね、常磐様。  少し見直しました」   「心外だねえ。仕事への活力の火を絶やさない事も王の務めだよ。──私の為でもあるのだけどね」   「……?」   「ほら、それでまた頑張って働いてくれるから、私のゴロゴロ出来る時間も増えるだろう?」   「今見直した気持ちを全部返して下さい」   「貰ったものは返さないって決めてるんだよ……ああほら、そこに提灯が下がっている所があるだろう? 私たちが住む千里長屋だよ」      王宮を出てから10分強、千里町の外れで常磐様が指差した先には、確かに焼き鳥屋のような赤い提灯が手前の柱に2つ下がった平屋の建物群があり、何軒かは灯りが見えていた。   「ナノハ、先に言っておくけど、この長屋には別の仕事をしてる者たちばかりで、王宮に勤めている者は今居ないから、私が王だと言うのは内緒だよ?」   「え、何でですか? だって住んでる人たちが常磐様に対して失礼な言動を取ったら大変じゃないですか」   「無礼講だよ無礼講。  せっかく息抜きに私の顔を知っている者が居ない所に来たんだ、羽目を外して楽しまないとねえ」      何が無礼講だ。あんたは飲み会の上司か。  常に羽目を外しっぱなしじゃないですか。  だが今更である。     「はあ……それは構いませんけれど、そうしたら私と常磐様はどういう間柄で入居する事になってるんですか?」   「出稼ぎに来た夫婦者だよ、決まってるじゃないか。  あ、それでね、長屋から仕事に出る時は暫く着物を着て貰って、作務衣は王宮に着いてからにしてくれると助かるかな。  ほら、妻が男みたいな格好をしてるのは新婚としてどうかと思うだろう? 少ししたら下働きの仕事で着る事になったとか何とかいって、また今まで通り作務衣着ててもいいから」   「何で新婚だの下働きだのそんな細かい設定を入れてるんですか!」   「え? 楽しいからに決まってるじゃないか。  ──あ、常磐じゃまずいから、私の名前は朱鷺(とき)さんにしよう。  発音も似てる方が呼びやすいしね。  まあ、【あなた】とかでもいいんだけれどね、油断してうっかり本当の名前呼んでもいけないしねえ。  ほら入口の角の家だから分かりやすいだろう?」    常磐様は、いそいそと長屋の入り口を入ったすぐ右側の扉を開けて、私を促した。      時代劇で見ていた薄暗い感じの長屋を想像していたのだが、思ったよりしっかりした白い漆喰の家である。    綺麗に掃除も済んでおり、隣の家の話し声も殆ど聞こえないのは、さほど壁も薄くないのかも知れない。    格子窓も風情があって、何だか学生時代に旅行に行った倉敷の風景のようで、懐かしくなった。      中の台所もほぼ土の床ではなく、メインは板張りで素足で歩けるし、竈のある場所は石造りで土の床に作られているが、薪を入れる所が高い位置についているので、わざわざ草履を履いて降りなくてもいいようになっている。  トイレが和式なのは仕方ないが、住居スペースも畳ではなく板の間で、良く言えばフローリングである。  6畳ほどの広さの部屋が2つ。  うん、私のイメージしていた長屋よりは、かなり過ごしやすそうだ。    黒須さんが言ってたように、私の服や布団も奥の間に置いてある。   「なかなか素敵な家ですねえ。予想以上です」   「そうかい? 気に入ってくれたなら良かった。  黒須が着物も何着か用意してくれていると思うから、明日はそれでよろしくね。  お腹も空いたし、荷物だけ片づけたらお薦めの所にでも食事に行こうか。今夜は私がご馳走するよ」   「ありがとうございます」    作りつけのタンスに服をしまいつつ、和服なんか着付け知らないのに……と黒須さんの置いていった見慣れない風呂敷を開けたら、流石に気が回る黒須さんである。  厚手の浴衣のように、帯だけ締めればいい簡易式の和服が何着か用意されていた。  これなら何とかなるだろう。      常磐様の服などは既に黒須さんが片づけてあったようで、奥の部屋が私で手前の部屋は常磐様という感じで自然に決まった。ご飯などを食べる時は台所に面している常磐様の部屋を使わせて貰おう。    帰りに銭湯にも行こうと提案して、着替えを持って表に出る。  東雲さんと入ったお気に入りの蕎麦屋に案内し、私はかき揚げ蕎麦、常磐様は刻んだ油揚げの入った揚げうどんを食べていた。    狐だった記憶が油揚げに引き寄せられたのかは不明である。   「……ふうん、悪くないね。でもせっかくご馳走するんだから、もっと良いものねだればいいのに」   「いえこれで充分ですよ。引っ越し蕎麦というのがありましてね、日本では引っ越しの時にはお蕎麦を食べる事が多いんです」   「そうなのかい? 私はうどんにしてしまったじゃないか。先に教えてくれないと」   「日本の慣習みたいなものですから気になさらずに」            帰りに寄った銭湯も、少し温めのお湯で、熱いお湯が苦手な私には丁度良く、手足を伸ばしてじっくり温まってしまった。    思ったより長く入っていたようで、常磐様は先に出て待っていた。   「銭湯もいいねえ。久しぶりに風呂で他の人と話すなんて体験も出来たよ。明日からも楽しみだ」   「そうですねえ」    お互い大満足で戻ってくると、結構いい時間だった。     「それじゃ、明日も仕事なので寝ますね」   「ああお休み」      ふっかふかの布団に潜り込むと、私はお風呂で体も温まったせいか、すぐに睡魔に襲われて、気がつけば眠りに落ちていた。      夜中。  トントン、と控え目に扉を叩く音に目が覚める。   「ナノハ、ナノハ」   「……? どうしました?」    寝ぼけながらも起き上がると仕切り扉を開けた。   「黒須が布団を1枚入れ忘れていたみたいで、寒くて眠れないんだよ。何にもしないから、布団に入れてくれないか? 私は本当に寒がりなのだよ」    ブルブルしている常磐様は本気で震えているようで、歯もカチカチ鳴っている。  春先とはいえ確かに冷えるんだけど。   「いや、でもですね……」   「誓って何もしないし、そんな元気もないから。  ほら、触ってくれ、手が冷たくて氷のようだ」    無理矢理触らせた手は確かに冷え冷えである。      そういや、もう打ち止めだとか言ってたか。  常磐様は冷え性なのね。  ここで突っぱねて風邪を引かれたら黒須さんに何を言われるか分からない。   「──分かりました。本当に何もしないで下さいね。  じゃ、どうぞ」   「ううう、済まない。感謝するよ」    狭い布団に潜り込んだ常磐様は、早く早くと私に手招きをする。    仕方なく私も布団に入ると、すっかり布団が冷えきっている。   「ナノハが温かい……生き返る……」    私にピッタリくっつき溜め息をつく常磐様を見てると、変に警戒しているのも馬鹿らしくなり、   「女性の方が体温高いらしいですからね。今夜は風邪を引かないようにくっついててもいいですから。  黒須さんに明日布団を運んで貰いましょうね」    と布団をポンポンと叩いた。   「うん、そうだね……ようやく体が温かくなってきた……」    私を抱き枕のように抱き締めると、眠そうな声がして、少しすると寝息が聞こえてきた。    誰が新婚夫婦だって?  おじいちゃんと孫娘の方がまだ近いぞー。    動きが制限されて文句を言いたくなったが、温かくなったのは私も同じようで、再び夢の世界に誘われ、気がつけばまた眠りに落ちていた。              
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