帰宅

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「朱鷺さーん!」      大きな木の下に立っていた見慣れた銀髪を見つけた私は、思わず声を上げ手を振った。   「これナノハ、そんなに大声出さなくても聞こえるよ。  まだそこまで年寄りじゃないんだからね」    椅子車が木の下に到着すると、何故か黒須さんが拗ねたように文句を言う常磐様に持ち手を渡した。   「……ちょ、何やってるんですか!」   私を乗せた椅子車を引いて、和宝国の方へ向かって歩き出した常磐様を止めた。   「何って……妻を長屋に連れ帰る夫なのだけど」   「……国王ですよ? 常磐様にそんなことさせられませんよ。ちょっと黒須さんっ!」    和宝国へ向かう人が殆ど居なかったので、つい本名で呼んでしまった。慌てて声を押さえる。  椅子車と並ぶようにのんびり歩いている黒須さんに助けを求めると、   「……まあご自身でやると仰ってるのだから良いんじゃないか? 往きは私が運んだんだし」    大体、今日は本当なら山積みの決裁書類を半分は片づけられる予定だったんだ、と私に愚痴をこぼして来た。   「すみません、とんだご迷惑を……」   「いや。ナノハのせいじゃないからな。  ……常磐様、そんなにトロトロしてたら夕方までに戻れませんよ」   「分かってるよ。ほら、だけど坂道なんだからさ、ねぇ……」    常磐様、既に若干息が上がってるんですが。     何百年と寝るのを趣味にしていると、ここ1ヶ月や2ヶ月のスポーツライフ程度では基礎体力が上がる筈もない。恐らく元気な時の私の方が体力は上だろう。   「あの大分痛みは引いてますから、歩きましょうか?」    申し訳なくなってそう提案すると、   「駄目だよ! ナノハは妖しの血も入ってないんだから、傷が悪化して寝たきりになってしまうよ」    と却下された。  足首の捻挫位で死んでたまるか。  人間のしぶとさを舐めたらいかんぞ。      でも、坂道なのもあるけれど確かにペースはゆっくりで、2時間弱の道のりが倍近くはかかりそうである。    黙って私たちの会話を聞いていた黒須さんが、ふう、と溜め息をついて、   「常磐様、詰めればナノハの隣に乗れるでしょう。  時間が勿体ないので私が引きます」    しっし、という手つきで常磐様を私の隣に座らせると、かなりの速さで椅子車を引き出した。    このスペックの高さは、きっと常磐様が国王になってから培われたんだろうなあ。  涙なしには語れない苦労が山ほどありそうだ。   「ごめんよ黒須。これから頑張って体力つけるからね。本当だから。嘘じゃないよ」    済まなそうに謝る常磐様を見ながら、妖力の高さと体力って関係ないのね、と改めて勉強になった。   「はいはいお願いします」    息を切らすこともないまま棒読みで応えた黒須さんが思い出したように、   「……そう言えばナノハ。さっきナミさんが言ってた【先日の件】ってのは一体何の話だ?」    と尋ねた。   「ああ、私の国には別の球技なんかもあるのかと聞かれて野球の話をしたら、何だか商売になりそうだとチカさんが乗り気でして」    私は野球について説明した。   「ほう……それは色々と道具が要るんだな」   「そうなんです。だから、和宝国ですぐやるのは難しいだろうとドッジボールとゴルフにしたんですけどね。  野球は大勢で見て楽しめたり、味方のチームを応援したりと違った楽しみもあるんですよ。  コツを掴むまで練習が必要だと思いますけど」   「……和宝国でもやきゅう場を作るよ。  洋華国だけにやらせる訳には行かない」    じっと聞いていた常磐様が急にそう宣言すると、   「ナノハ、私もやきゅうをやるからね。早く上手くなれるコツを教えておくれよ」    と真剣な顔で私の方を見た。   「……まずは、体力をつけてからですかね。  あれかなり体力必要なので」    私も真顔で返すと、黒須さんが堪えきれずに吹き出した。   「──その気になれば、私はやる男だよ。ごるふもどっちぼーるもやきゅうも、私はテッペンを取るよ。  決めたからね、ナノハ」   「……では、仕事もその気になって頂けますかね」    黒須さんが訴えた。   「黒須、しっかりおしよ。仕事は運動じゃないだろう? 今私に必要なのは体力なんだよ体力。  それには運動をしないといけないじゃあないか」   「仕事の合間にすればよろしいんじゃないですか?」   「割合が違うだろう? 運動の合間に仕事だよ。  仕事はちゃんとやるよ。  ……でもね、今日みたいに女性1人乗せた椅子車もまともに運べないような国王に、下の者は付いて来たいだろうか? 私はそうは思わないよ。  運動をすることは、この先の治世をするに相応しい強い王である為に必要だとは思わないかい?」      このおじいちゃんは自分の行動を正当化する為に、無駄に妖力とカリスマ性を発揮しているんじゃなかろうか。  すっごく目力溢れてキラッキラしてるんですけど。     「そうですね……私が浅慮でした。  申し訳ございません」      そして、ハイスペックの黒須さんが必ず丸め込まれている。ねえ黒須さん、今さっき息切れしてたおじいちゃん見たでしょ?  どうしてまた尊敬の眼差ししちゃってるの。  騙されてるんだよおじいちゃんに。   「黒須なら分かってくれると思っていたよ。  じゃあ、やきゅうの道具とやきゅう場の建設はなるべく早く頼むね」   「かしこまりました」      ……常磐様が国王になったのは、この特化した人たらしの才能なんじゃないだろうか。  和宝国は、絶対に黒須さんが回している気がする。            家に戻る直前にまた常磐様が入れ替わり、黒須さんは仕事が残っているから、と王宮へ戻っていった。   「あらまあナノハ先生! 足は大丈夫なんですか?」    椅子車で戻ると、井戸で水を汲んでいた美弥さんが桶を放り出して走ってきた。   「すみません、稽古も出来ずに。あと数日は見るだけになると思いますが、よろしくお願いします」   「そんなことは良いんですよう。  でも、東の国は妖しの血が薄いんですかねえ? 私らなら次の日にはすぐ治りますのに」   「そうみたいですねえ。だから自衛の意味で合気道とかが広まったのかも知れません」      まあ妖しの血は一滴も入ってないもので。      私が異界の民である事は、王宮の一部の人間しか知らない。これからは怪我をするのも気をつけないと。   「それじゃ、家で休ませたいので。すみませんねえ」    常磐様が椅子車を家の横に立てかけて、私をひょいと抱き上げた。   「あらごめんなさいね朱鷺さん。それじゃ先生、また稽古の時に。お大事に」   「はい、ありがとうございます」    家に入って草履を脱がし、包帯が濡れないように足を洗ってくれた常磐様が、私を布団に運んだ。   「とりあえずお手洗いとかね、必要な時以外はなるべく足を使わない事だよ。  明日から治るまでは椅子車で移動するから」   「……え? 誰が引くんですか?」   「私に決まっているだろう? 山道とかでなければ平気だよ。どうせ道場か王宮しか行かないだろう暫くは」   「……申し訳ありません。朱鷺さんにそんなことをお願いする事になるとは……」    国王をアッシーに使う女。  自分がとても酷い女に思えて落ち込む。   「……何を気にしてるんだいナノハ?」   「いや、いくら夫婦として暮らしているからといっても、国王に椅子車を引いて頂くのはどうにも……」   「……既に国王のお手製の食事をパクパク食べているじゃあないか。今さらじゃないかい?」   「……ああ、そうですね。言われてみれば」   「私も楽しく長屋生活を送っているんだし、気にする必要はないよ。あ、キノコも山菜もちゃんと残してあるからね。今夜はキノコの炊き込みご飯と山菜のお浸しにしようかね。魚は煮付けと焼いたのとどちらがいい?」   「……焼いたのが食べたいです」   「じゃ、ちょっと買い物に行ってくるから大人しくしておいでよ? みそ汁は豆腐でいいかい?」    籠を持つと、常磐様は急ぎ足で町へ買い物に行ってしまった。      早く足を治さねば、国王を顎で使っているとまた黒須さんにこめかみをグリグリされてしまう。  私はふう、と息をついた。            相変わらずの手際のよさで大変美味な夕食を頂き、銭湯はまだ危なそうなので、ナミさんの所でやっていたように手拭いで体を拭き、頭だけは常磐様が洗ってくれた。   「やっぱり汗は流してすっきりしていた方が、寝るときも気持ちいいだろう?」   「はい。ほんと重ね重ねありがとうございます」   「さ、それじゃ眠ろうか」      ……え、もう?  時計をみるとまだ9時にもなっていない。      そういえば、黒須さんが『常磐様が寝不足で』とか言っていた。灯りの下で良く見ると、目の下がうっすら黒ずんでいる。   「朱鷺さん、寒いなら私の部屋使えば良かったじゃないですか。寒かったんですか?」   「勿論使ったよ。でも何だか眠れなくてねえ」    モゾモゾと布団にもぐり込んで私を抱き締めると、   「……ああ、これこれ。  この感触と温かさに慣れてしまったからねえ。  足首の方はぶつけないように気をつけるからね」    すりすりと嬉しそうに顔を寄せてくる常磐様が、本当におじいちゃんワンコに思えてしまって、つい頭を撫でてしまった。   「……」   「あ、すいません。私も久しぶりだったのでつい」   「いや、気持ちいいから、出来たらもっと撫でててくれないかい?」   「いいですよ」    頭を撫でている内に、常磐様の寝息が聞こえてきた。   (……本当に寝不足だったんだなあ)      それなのに、色々と迷惑をかけてしまってごめんねおじいちゃん。      私は寝入った常磐様のやたらと整った顔立ちを見ながら、自分が眠るまでそっと頭を撫でていた。            
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