呆気ない別れ

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呆気ない別れ

私は慌てて家に戻り、来た時の洋服を持った。チカ様も洞窟まで送るとついてきている。 天女の羽衣を配っている時間はないというので、黒須さんに後で配って貰うようお願いする。 「あの、でも常盤様は……」  せめて最後の挨拶ぐらいはしたいのに。 「分からん。あの方は思い立つとすぐ単独で行動されるからな。それに、後ろ髪引かれるのはナノハも嫌だろう?」 「……黒須さんもご存知だったんですか?」 「そりゃ国で人の顔色読むような仕事を延々とやってるしな。  ──本当はナノハが残って常盤様の傍にいてくれたらいいと思っていたが、お前の意思は固かったから、無理に残って欲しいとも言えないだろう?」 「すみません……」 「とりあえず、現れたタイミングといい、最近の地震の多さといい、どうにも不安定だ。ちゃんと今まで通り二日も門が開いている確信が持てん。見張りが戻って来た時にナノハを迎えに行ったが居ないので王宮かと思ったら、勤めている奴らがもう帰ったというのでまたとんぼ返りだ。  ──どうして祖手近様がおられるのかは不明ですが」 「俺は偶然道端で会ったんだよ。ほら、急がねえとまずいだろう?」 「そうでした。ナノハ、行くぞ」 「……はい」  常盤様、最後にご挨拶も出来ずにすみません。お世話になりました。  長屋を出て家に一礼すると、私は黒須さんの後ろをチカ様と早足で追いかけるのだった。 「……これですか?」  その洞窟は、せいぜい高さ三mほどの天井で細長い道が続いていたが、さほど進みもせずに黒須さんが立ち止った。灯りの前には明らかに異質としか言いようがない円形の闇が広がっている。  こちらで先に洞窟に入って元の服に着替えさせて貰い、洞窟を進んで十分と経っていない。  黒須さんは耳鳴りがすると言っていたが、私には感じられない。ただ、低周波治療器のようなピリピリ感が体全体に漂っている。確かにここは何か違うという事だけは分かる。 「ここからそちらの二ホンに行った者は、二年ほどいて戻って来た時もこちらでは殆ど時間が経っていなかった。本来いるべきではない所にいるので時間の進み方が異なるのではないかと思う。  詳しい理論は分からんが、多分ナノハもこちらへ来た時と殆ど時は動いてない筈だ。  まあすまんがもし進んでいたとしても我々にはどうしようもない事だが」 「……いえ」  ただ、向こう側が見えない真っ暗な何かに向かって入るのは流石に勇気がいる。少し心を落ち着けようと深呼吸していると、結構大きな揺れが起こった。 「危ねえナノハ先生!」  チカ様が私を引き寄せると、私がいた所に顔ぐらいの大きさの岩が落下して来た。アレは流石にかすり傷じゃ済まないなと血の気が引いた。まだ揺れは続いている。 「ナノハ、急げ。門が小さくなっている」 「え?」  確かに傍にある円の闇が先ほどより一回りほど縮んでいるような気がする。心を落ち着けているゆとりもなさそうだ。 「分かりました。それでは、お世話になりました。常盤様によろしくお伝え下さ──」 「ナノハッ‼」  聞き慣れた声に振り向くと、入口の方から常盤様が走り込んで来た。 「何を、勝手に、挨拶もせずにっ、帰ろうとしてるんだい、ナノハ」  かなり息が切れている。 「常盤様、よくここにいるのがお分かりになりましたね」 「戻ったら、琴音が『黒須さんと誰かと慌ただしく出て行った』って、言うから……」  お前かい祖手近、と吐き捨てるようにチカ様を睨んだ。 「帰る時まで喧嘩しないで下さい。  ──常盤様、約十ヶ月もの間、お世話になりました。直接ご挨拶出来て良かったです」  私は頭を下げた。 「……帰るんだね、ナノハ」 「はい」 「また、来年とか、来ておくれよ」 「……そうですね。来られたらいいですね」  中華飯店でこければ来られるのだろうか? 分からない。  また上から岩が落ちた。常盤様の近くだ。 「危ないから外に出て下さい常盤様!」  黒須さんが叫ぶが、妻の見送りぐらいさせとくれ、と微動だにしない。  私が早く居なくならなくては。   「常盤様! いえ、旦那様! 楽しかったです。  また戻って来られたら、ご飯食べさせて下さいね!」  私はそう言うと、その後振り返る事はなく、門の中に足を踏み入れた。 ◇  ◇  ◇ 【常盤視点】 (ナノハは食べ物の事しかないのかい、全く……)  ナノハが消えた門はどんどん小さくなっていった。 「常盤様、早く出ますよ!」  地震がまだ続く洞窟内で閉じ込められたら流石に長寿とは言え燃やす位しか力を出せないのでは脱出も難しい。祖手近は風を操れるとか聞いていたが、どちらも対して生き埋めには役立てる力ではなさそうだ。  私たちは急いで洞窟を出た。  背後から土煙が立ったので振り返ると、今出てきた洞窟の入口が大小の岩で埋まる所だった。 「黒須、門までの別の穴はあるのかい?」 「確か裏側にも一つ細いのがあるんですが、中が埋まっていては門が開くかどうかも……」 「そんな事は分からないだろう。黒須が決める事じゃないよ。  来年ナノハが戻って来るかも知れないじゃないか。急ぎ整備させておくれ」 「──かしこまりました」  ナノハが帰ってしまった。  ナノハが帰ってしまった。  あんなに簡単に和宝国からナノハが居なくなってしまった。  私はむしろ地震で門が開くのが遅れてしまえばいいと思っていた。  それがナノハにとっては嬉しくない事であっても、私は嬉しかった。  また、そう考えてしまう自分が嫌だった。  もう一年ぐらいゆっくりしていってもいいんじゃないか、と喉元まで出そうになったが、こんなに不安定な状況になっていたのなら早まった方が良かったのかも知れない。  だがこの状態では、来年門が開くのは別の場所になるかも知れない。  そうだ、別の所も探しておかなくては。 「……祖手近」 「何だ」 「今度はお前の国に異界の門が開く事になるかも知れない。ここは荒れてしまったからね。私も探すが、洋華国の方でも探してくれないか。耳鳴りや独特の空気の歪みみたいなものが起きるから、さほど難しい話じゃないと思うんだよ」 「ナノハ先生がまた来ると思ってるのか? 常盤」 「……来なきゃこちらから行くよ」  あれだけ餌付けしたのに、父親がいるからってあっさり帰ってしまうなんてひどいじゃないか。  これでも私は王なんだよ。……でも権力も何の役にも立たないね。  まあ、次回も向こうから都合よく来られるかなんて分からないから、私の方から行けばいいんだよね。 「……へえ。ふーん」 「何だよニヤニヤと気味が悪い」 「いいや、別に。分かった、調べるようにしとくよ」  私は、門があった洞窟をぼんやりと眺めながら、一年てのは、長いよねえと生まれて初めて思っていた。
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