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嗚呼ビバ庶民!
「ナノハさーん!」
ぐるりと和風中華な王宮を広く囲む、2メートル以上はある高く白い壁。
四方の門には常に4人の門番が立っているが、この人たちもまた美丈夫ばかりである。
この国はイケメンがデフレを起こしているようだ。
誰もが目元涼やかな美男美女、綺麗どころに溢れているので、この1ヶ月でイケメン耐性も出来た。
最初は凄いなーと思っていたが今では何も感じない。
常磐様は未だに規格外だと思うけど。
まあ日本でも『妖艶』なんて言葉がある程だから、妖しさんというのは周囲を魅了する美しさが標準装備なのかも知れない。
東門と呼ばれる町に近い門のところで東雲さんと待ち合わせをしていたが、約束より5分ほど遅れて東雲さんが遠くから声をかけ、走ってくるのが見えた。
「走らないでいいですからー!危ないですよーっ」
私は大声で東雲さんに叫んだ。
女性の着物とポックリのような履き物は、いくら可愛かろうと走るのには向いてない。
転んで怪我をしたり着物が破れたり汚れたりしたら、せっかくの楽しいお休みが台無しである。
余談ながら、私はいつも通りの黒の作務衣姿である。
私の声が届いたのか、走るのは止めたが、それでもかなりの早足でちょこちょこやって来て私の前に来ると、
「ごめんなさいナノハさん! 私ほんと朝が弱くって」
と頭を下げられた。
「気にしないで下さい。私がのんびりしたいところをお誘いしてしまったんですし」
普段の休みは主にゴロゴロ寝ているのが趣味なのだそうだ。眠るのが好きという妖しさんはかなり多い。
常磐様も寝るのが好きなようで、
「あのとろとろと目覚めて、時計をみてまだイケるって2度寝するのとか、堪らないよねえ」
と食事の時に楽しそうに教えてくれたが、私は高校辺りから6時間以上眠るとかえって体調が悪くなるので、残念ながら共感は出来なかった。
ま、好きなものは人それぞれだ。
私たちはのんびりと歩きながら、町を目指す。
といっても大きな店が並んでいるような中心地でも10分程度の距離だそうで、そこに辿り着くまでにポツリポツリとこじんまりした茶店があったり八百屋があったりする。
「……大声で客寄せしたりしてるものかと思いましたが、何だか静かですね」
東雲さんに小声で囁く。
「え? まあ用がある人は何も言わなくても来るでしょう? お客さんも開いてるよって事だけ分かるようになってれば困らないもの」
……なるほど。
無気力というより必要がない事はやらない、という感じだろう。合理的ではある。
お金儲けをしたいとか贅沢をしたいとか、ここからサクセスするぜぇみたいな気合いは一切感じられないが、やる気がないというより、妖しさんたちは多分のんびりと生きるリア充なのだろう。
何百年何千年という時があるのであれば、そんなものなのかも知れない。
「ところで、ナノハさんは庶民的なご飯を食べたりとか、お菓子とか売ってる所に行きたいのよね?
何かこういうのがいいとか希望はある?」
とりとめない事を考えていると、横から東雲さんが話しかけてきた。
「いえ、特には……あ、出来たらお蕎麦とかうどんが食べたいですね」
流石にパスタとかラーメンはないだろう。
最近ずっとご飯ばかりなので、久しぶりに麺が食べたくなっていた。
「せっかくのお休みなのにいいのそんなもので? 本当に私たちがお昼とかに食べるような普通の奴よ?」
だからそれがいいんですよそれが。
「私はこちらに来てから王宮を出るのが今回初めてなので、出来れば皆さんが食べてるものを味わいたいと言いますか……それと、お煎餅とかもあればお土産に買いたいですね」
常磐様が言ってくれた事で、料理も驚くような甘さのモノは出て来なくなったのだが、それでも油断してるとお浸しに砂糖がかかっていたり、味噌汁が甘かったりするのである。塩焼きの魚ですら砂糖の混ざったやや甘い糖醤油というのが入れられた瓶がワンセットで出てくる。
肉じゃがとか煮付けとかは少し位甘くてもイケるけど、高いからって何にでも使えばいいってものじゃないだろうと思う。王様の口に入るモノは高級品を使うべし、という掟でもあるのだろうか。
この国の食事情なので致し方ないとは思うが、昔からお菓子でもそんなに甘いものが大好きという訳ではないので、時々無性に辛いものとかしょっぱい物が食べたくなるのだ。
「お煎餅……普通の醤油つけて焼いてるだけの奴よ?
七味唐辛子とか海苔とか付いてるのもあるけど、全然甘くないわよ? 小豆とか使ったお餅とかの方がいいんじゃないかしら? 美味しいわよ?」
「小豆とか甘味系のオヤツもご飯も王宮で食べられますから大丈夫です。
せっかくなので町に売られている色んな味も体験しないと勿体ないですし。
いやもう七味唐辛子、海苔、大変素晴らしいです!
是非とも沢山入手したいですね」
心の中で揉み手せんばかりの本音が漏れた。
これ以上甘いモノ食べていたら日本に戻る前に何キロ増えるか考えただけで恐ろしい。血液に砂糖が混ざりそうだ。
妖しさんたちと体の作りが違うのだこちとら。
「ナノハさん変わってるわねえ……まあたった1年しか居られないんだもんね。何でも試したいわよね。
じゃ、お勧めのお蕎麦屋さんから行きましょうか」
「はい! 楽しみです」
予想通り、安価で提供する店の食事は精々みりんが使われている程度を抑えた甘みで大変私好みであった。
ダシの効いたつゆで頂く玉子とじ蕎麦は、お蕎麦もコシがあってとても美味しかった。
お値段も玉子を入れても320縁とリーズナブル。
今度は天ぷらうどんにしてみよう。
煎餅屋も純粋に醤油味だった。素晴らしい。
七味唐辛子の香りもふわりとして、薄焼き煎餅に掛かりすぎてない感じがまたいい。海苔煎餅は細長い形の煎餅に巻いてある。
砂糖の欠片もないぞ。ばんざーいばんざーい。
その上安い。掌に乗る位の大きさの紙製の袋にたっぷり入って100縁である。
思わず3袋ずつ衝動買いしてしまい、砂糖で太らなくても煎餅で太るのではという思いが過ったが、朝の合気道の稽古の時間を増やそうと決めた。
黒須さんに形状を伝えて、稽古に使うからと製作して貰っているサンドバッグが完成すればキックボクシングの練習も出来る。あれもかなりの運動量だ。
好きなモノを食べての贅肉なら文句はない。
カロリーを消費して片っ端から蔓延る芽を叩き潰すまでだ。はっはっはっはっ。
ああ、ビバ庶民!
町には美味しい物が溢れている。
王宮での高級料理という皮を被った甘いご飯へのストレスが知らず知らずに蓄積されていたらしい。
食べる事って大切だよなー。
この町に家を借りて仕事に通えないものだろうか?
ふと思った。
この町は大きい。
そしてまだまだ沢山のお店がある。
休みごとに通っても行ける数には限りがあるし、帰るまでに回りきれないかも知れない。
高級料理とかでなくていいから、私はごく普通の甘過ぎないご飯を食べたい。仕事帰りに惣菜とか買ったりすれば、私だってお米位は炊けるのだ。……炊飯器がなくても……炊くだけならまあ何とかなる。
そうすれば美味しい庶民のご飯を毎日のように堪能できるではないか。
王宮の料理人だって、いつも通り王様のための甘い料理を作りたいに違いないのだ。私1人いるだけで砂糖を減らすという面倒な手間がかかっているのだし。
おお、考えれば考えるほど名案な気がしてきた。
よし、帰ったら早速常磐様に頼んでみよう。
私は味噌田楽の香りに引き寄せられ、おじさんから東雲さんの分も買うと、竹のベンチに腰かけて一緒に頬張った。
うん、これも美味しい。
少しは甘みがあるけど許容範囲で全く問題ない。
「何だかナノハさん目がキラキラしてるわ。
喜んでくれて私も嬉しいけど……こんな庶民の味でもご馳走と思える生活環境だったのね。
本当は、王宮の食事は高級過ぎて体が受け付けない感じなのね……100年しか生きられないというのに何て可哀想なの……」
気がつくと私を見ながら東雲さんが目を潤ませていた。
ものすごく不憫な子みたいな扱いにされているが、これも曖昧に言葉を濁していた自分のせいだ。
むしろ高級料理を受け付けない設定にしておいた方が都合がいい。
「そうですね……故郷の食事を思い出してつい嬉しくて……やはり体が慣れているというか……実は王宮の食事は高級過ぎて私にはちょっと……体調が……」
「そうよねえ、馴染んだ味が一番よねえ!」
東雲さんが頷く。
頼むから東雲さんどんどん広めてくれー。
同情されるのはいいのだが、お饅頭とか甘露煮とか良いものをくれる方に断り切れず、夜に渋いお茶を入れて半泣きで食べるのは食べ物への冒涜だと思うのだ。
捨てるという選択肢ははなから無いし。
「……皆になかなか言い出せなかったのねナノハさん。
任せといて! 私が皆にそれとなく伝えるから!」
「ありがとうございます!」
よしよし、光輝いてくれそうな未來の自分に乾杯しよう、こんにゃくで。
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