門出

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 それからの二十年余り、良くも悪くも遊郭を傍に置いた生活が続いた。定期的に担った梅毒検査も、「陰中の真珠を取るためだ」などという噂を真に受けた遊女たちの反発に遭って当初は難航したが、徐々に彼女たちを含む街の人々の信頼を得ていく日々は充実していて、振り返ってみれば医師として悪くない日常であったと思う。  はらはらと雪が降ってくる夜空を見上げて、有高は戸を閉めた。雪のせいか、診療所の中はいっそう静まっている。つい一時間前に最後の患者を送り出しているので部屋は暖かい。  診療所に助手を置いていた時期もあるが、三ヵ月前に出奔して以来行方がわからなくなってしまった。彼のいた二年間を除くと、診療所はずっと一人の城であった。江戸にいた頃妻を娶ったが、御一新の直後に亡くなり、以来やもめ暮らしが続いている。真金町で過ごすうちに縁談が持ち込まれたこともあるが、診療所を訪れる人々のために奔走するうちに独りの暮らしも気にならなくなり、やがて世話をする人も現れなくなった。冬の静まり返った空気にも慣れて、むしろ気楽に酒を飲める暮らしも悪くないと思えた。  酒を温めようと囲炉裏へ立った時だった。
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