「正義なんてどこにもない」

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「正義なんてどこにもない」

 『正義の味方!それはパスタになくてはならないオリーブオイルだ!』  コミカルに叫んだのはTVCMに登場した赤いマント姿の男。  「正義なんて、お互いの盲信がおしくらまんじゅうしてるようなもんだ」  黒髪の男がウィスキーを手に酔っている。  酒を酌み交わす相手は茶髪の男。  「天秤を持った美女だぜ。口説くにはテクがいるな」  つまらないジョークを言い、その手に持つグラスが何杯目かはもう不明。  「ちょっと飲み過ぎじゃない?そろそろお暇よ。  今夜はよく喋るのねぇ。その唇はオリーブオイルが塗られてるの?  オリーブオイルはさっきのCM商品に違いないわね。」  そう言ったのはこの家の(あるじ)。  「違いない…か。人は思考より、いや、一考とか熟考とか言った方がいいのかな?それより真っ先に判断の方を選ぶんでしょう。その方がずっと楽ですから。」  黒髪の男はそう言い、グラスの残りを一気に飲み干した。  「思考だか熟考だか知らんが、そんな暇ない時だってあるだろ。余程の瞬発力と運がなかったら判断する間もなく撃たれて死んじまうぜ」  茶髪の男は哂った。  「それも言えるか。何しろ、この世界はロシアンルーレットだ。  いつどんな弾が自分に命中するかわからない。  殆どの人間はそんな事、露程も思わない。大抵は皆そうだろう。  それに気づいている奴は姑息だったり巧妙な手段で自己防衛するのさ。」  「姑息ねぇ。結構辛口だな。」  「おいおい、ちょっと待ってくれ。『姑息』ってのは本来の意味は『卑怯』じゃない。あれは誤用で本来は『一時的』とか『急場しのぎ』って意味でね。今はそっちの意味で言ってる。  簡単に自己保身だと責め立てるのも酷な場合だってあるんだ。人間は皆強いわけじゃない。その弱さが正義に反すると大騒ぎに責め立てるのもおしくらまんじゅうが強化される一因じゃないかってね。誤用の方で姑息な連中は確かにいるが、それに抗えず打たれる杭が出ないようにしか生きる術がない者だっている。辛口どころか甘口だよ。  ま、自己防衛してようがいまいが、誰にだって自分の頭に常にピストルが突き付けられている事には変わりない。」  「ほー甘口か。そのピストルの弾がカレーのルーならマシだがね。で、弾はお前さんの頭にも突き付けられてんの?」  「勿論。毎日ヒヤヒヤだよ。何しろご指摘の瞬発力もないし、射撃も運動神経も壊滅的だ。」と黒髪は両手を上げておどけてみせた。  「おおこわ~。じゃ変な話、銃を突きつける奴の後ろにも、またその後ろにも…ドミノ倒しか?」  「ドミノ倒しねぇ…後ろからとも限らないな。そもそもドミノ倒しになるかどうかも疑問だね。別な思いもよらない形かもしれない。」  さらに黒髪は窓から見える夜空の月を見上げて呟く。  「しかし想像するとドミノ倒しの光景は上から見たら、神様とやらの目にはどう映るんだろうね。  或いは『自分だけは安全だと信じて疑わない人間』がドミノ倒しを見ても、倒されて潰された側の人間の気持ちは本当にはわからないだろう。  まぁ思考も失ったり奪われたりで弾に当たって消えるなら、正義なんてどこにもないというのが、それこそ人の『判断』であり『答え』なのかねぇ」  「悪いが酔ってるせいか頭の回転が悪くてな。話について行けん。特に後半の辺りは言ってる事、俺にはわからん。」  「そうか。実は自分でもわかってないんだ。お互い結構酔ってるみたいだね。」  茶髪の言葉に黒髪は口角を上げた。  「馬鹿ね。もうこれ以上悪酔いする前にご帰宅してお寝んねしなさいな。」  酔いどれ達が(たしな)められ、おどけた仕草を見せつつ上着を手に立ち上がった。  主の傍に座っていた幼い娘が絵本を手にウトウトと眠りかけている。  黙って娘を抱えた主は人差し指を口元に当て、二人に目配せした。  二人は無言で笑って手を振り、扉を開けて月を見上げる。  「寒空の月を見ると更に冷え冷えとするねぇ。」  「お前さんが言った事はわからんが、『正義なんかどこにもない』って言葉は、なんか刺さるな。美女の天秤に乗るのは空気かよ。」  「空気?さぁ、なら腐敗臭くらいはあったりして?」  「天秤を持つのにマスクが要るな。」  「ガスマスクかもしれないね。」  「美味いカレーの匂いならいいのに。」  「スパイスを天秤に乗せるかい?」  酔いどれ達のくだらないトークは止まることがない。    既に誰もいない部屋に空しく音が響いていた。  消し忘れたつけっぱなしのTV。赤かったマント姿のCM男が、今は黒いマントに衣装を変えて叫んでいる。  『正義の味方!それはキャッシュレス時代の新しいジャスティスⅯJカードだ!今ならマイジャスティスポイントが200ポイントも付いてくる!』
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