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『冬休み、何するよ?』
「ねー、今年の冬休みどーすんの?」
「さぁ~まだわかんない。ノープラン。」
ペチャクチャ喋ってすれ違っていく女子高生達の声が耳に残った。
冬休み、か……どの季節にしろ、長期休暇前になるとそのセリフがあちこちで飛ぶ。それが嫌な奴だっているんだが、わからない奴はわからないだろう。
俺はもう毎日が休みみたいなもんだよ。と、独り言ちた。
先月、退職願を出したばかりだった。
俺は何の為に、あんなブラック会社で自分を痛めつけて馬鹿みたいに働いてきたんだろう。馬車馬だってもう少し好待遇な筈だ。
大体子どもの頃から、休みだから○○しなきゃならない、クリスマスはケーキだパーティーだホテルだ、正月は神社だ、田舎の実家に帰省しなくてはならない、子供はお年玉が当たり前…クリスマスから正月にかけてのシーズン商売やらカウントダウンイベントの誘いやら、こっちの気なんざお構いなし。
暗黙の掟のように「ねばならない」空気は多く圧力が強く、実質休みがあろうとなかろうと、『本当の安息の意味』での休みは感じられなかった。
休みに限らず、メディアやそれに飛びつく世の中の奴らは兎に角「○○だから○○せねば、するもの」という風に煽り、それに乗っからないとまるで社会不適合者の如く密かに白眼視して勝手に陰で言いたい事を言う。あらゆる種類の「組織」という中において。そして「家族」というのも一種の「小さな組織」だ。まったくどいつもこいつも。
小学生の頃からそんな風に思ってきて「世間の波に乗らないと溺れて死ぬぞ」と脅迫されてるようなのがとても嫌だった。俺はそういう『世間で推奨されている事』が出来ない家庭環境で育った、というのもまぁある。
そしてその出来ない環境を「可哀想」と言われるのも腹が立った。「子どもはこうすべき」だからソレが出来ないなんて「可哀想」。その子どもは果たしてそれを本当に望んでいるのだろうか?少なくとも俺は望んじゃいなかった。
大人になってからも『こうじゃないと女にモテない、アナタは一生惨めなままだ‼でもこれさえ買えば安心!』とか、
『これがあればウハウハ!今ならお得な○○が付いてくる!さぁ申し込みは限定期間の今がチャンス!もうすぐ終了!』だの、
不安と欲と消費で彩り、人はこうする「べき」、そのチャンス(しかも胡散臭いものも少なくない)やトレンドに乗らないなんて云々かんぬん。
昨今の価値観は多様化してきたとはいえ、まだメディアには今も不安を煽り消費を促すというスタイルは残っている。
かく言う俺もつい先日まで身を削って忙しくその片棒を担いできたのだ。
どんなことをしようとカネが第一、世の中カネだとなりふり構わず。
だが過労から来た病気の発覚を機に、今までの自分にウンザリした事もあって辞めた。
休み?それが何だ。
何か特別な事をしなければならない法律でもあんのか。
法律…我ながらアホかとセルフツッコミする一方で妄想し始めた。
法廷の被告席に立たされる俺。世間という名もなき大勢の傍聴人。
検察官は「世間はこうあるべきだ」に乗らない俺を微細に問い詰める。
陪審員?いや裁判員制度か。アレはどうなるんだろう。
それに弁護士を雇う金などない。
法テラス?勝つ見込みがなければ使えないし、そんな腐敗臭プンプンなお国機関の弁護士なんざ…
「よっ!お帰り。」
その声でハッと俺は現実に戻った。
ランドセルを背負った男の子がすぐ傍でしゃがんでいた。
妄想しつつ歩いていたのが、いつの間にか自宅アパートのドアの前に終着していた。いつの間にワープしたんだと思うくらい、どんな経路でたどり着いたのか記憶がない。
声をかけてきたのはアパートの隣の家の子どもだった。
「休みなんだろ? 俺明日から冬休みなんだ。オッサンは何すんの?」
まだオッサンじゃねぇ。という言葉を飲み込んで俺は答えた。
「『何もしねぇ』ってのを、するんだよ。」
俺はまた妄想を始めた。
モンゴルの大草原の上で、大の字になって大空を眺める。
それから目を閉じ、優しく流れる風を頬に感じる。
夜になれば、月と共にある星空が屋根だ。
そのまま、何もしない。何もだ。
あ。 俺今、妄想してんな。
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