「数字とまやかし」

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「数字とまやかし」

 「ねぇねぇ、私ブログランキング一位になった!」  会社の昼休み、嬉しそうに言いながら同僚の女性が目の前に座った。  「…あ、そう。良かったね」  私はその言葉に、かつてのある人の事を思い出しながらお茶を飲んだ。  「なにー。一緒に喜んでくれないの?あ、嫉妬って奴?」  軽く笑いながら言う彼女はお気楽にはしゃいで顔を近づける。  嫉妬とは全く違った。第一自分はブログはしてないし、煌びやかに注目されたいわけでもなく。賞金が出るとかそれだけで食べていけるなら別だけど。  彼女は何をモチベーションや意欲としているのか知らないが、ブログを書いていて結構な人達に読まれているらしい。私は読んだことがないが、主にメイクとかファッションの内容が多いとの事。稀に旅行についても書くらしく、そにれには結構赤裸々な私生活も垣間見られる部分が絡まれているらしい。まぁ好きでやりたいことをやるのは楽しめるのはいい事なんだろう。  「1位」か。ただ、「数字」だけに「振り回される」のはちょっと危険信号かもしれない、と思ったりする。「あの人」を思い出してしまうから。  心の中で思っていた事だが、独り言の様にポツリと口から出てしまっていた事に気づいた。  「振り回される? あの人って?」  あ。喜んでいるところに水を差すってのはこういうのを言うんだろうか。  しかしもう口火を切ってしまった。  彼女のプライド(?)を傷つけないように、機嫌を損ねないように、一体どんな風に話せばいいのだろう。  ランキングというのはよくわからないが、あくまでも読まれたという数字であろう。その数字イコール内容に対しての高評価という証明にはならない。  それを痛々しい形で見た事があったから、余計に辛かった。  「あの人」は今頃どうしているのだろう。もう随分前の事で。  世の中は、特にネットや情報化社会は僅かな時間でとてもついて行けない超高速スピードで変化しているように思う。変わらないのは人間の欲求や喜怒哀楽、妬み嫉みなのかな。…弱肉強食とか?  無事元気で生きているのだろうか。生きていたとしても、病状は大丈夫だろうか。家族とはうまくやれているだろうか。本人なりに一生懸命で、正直な人だったような気がする。    「あの人」は本名も、はっきりとした所在も知り合った時から分からない。  いわゆるSNSが出てきたばかりの頃、そこを通して私と同じ病のコミュニティで知り合い、病を乗り越えるべく情報交換したり励まし合ったりするような、ネット上での闘病仲間だった。  私達の持病は現代の医学では「完治」はないと言われている。闘病は振り子のように不安定で長く、一朝一夕で治るものではない。  だが、焦らずきちんと受診治療・管理をして回復を目指していけば、完全治癒はなくとも「完解(かんかい)」という、症状が落ち着いて普通の人と変わらないレベルの生活が送れるまでになると言われている。完解しても定期的な検査、自分の場合は処方された薬も定期的に服用する事等、管理を怠らなければ再発のリスクは低いとされている…らしい。何か例外なモノが投下されたり、予期せぬ事が起きたりしない限りは…?  「あの人」はハンドルネームと、大体どの地方辺りに住んでいるらしいという大雑把な事しか知らないまま。同じ闘病仲間で、家族の大黒柱なのに発病した事で職を失ったと家族への責任を感じ、早く治して復帰しなければ、医師の言われるがまま盲信してもいられないと、自分でも薬の知識を始め病について猛勉強していた。  それに加えて家族との関係等も逐一書き記していた。目に見えるわかりやすい病ではない為、理解されにくい事、時にはそれ故に偏見の目で見られ差別さえ受ける事もある。だからこそ尚更身内の理解や支え、闘病仲間がいるといないとでは大きく違っていた。SNSとはいえ、私達はささやかでも支え合っている、と思っていた。  だが何事にもリスクはある。SNSとは別に、その人は闘病記としてブログを書いていて、ランキング1位に何度もなった。ちやほや注目されたいわけじゃなく、病の偏見や誤解を解きたい、という意思が強かったと思う。コメント欄は閉じていた為誰も書き込めない設定になっていた。  が後日、「裏で」酷い誹謗中傷が書かれていた事が分かった。  私がそれを知ったのは「あの人」がブログから突如姿を消した後だった。  どう言葉をかけたらいいのかわからなかったしもう覚えていないが心配になってSNSで連絡した返事は「大丈夫」という言葉だけだった。  数日後、その闘病仲間が集うSNSからも姿を消した。  1位は読まれたのが一番多いという数字。応援、支持しているという意味とは限らないのだと突き付けられた形は、誹謗中傷の内容があまりにも酷く、いくらアンチはどこにでもいるとはいえ、酷すぎて胸が痛んだ。  1位に関して本人がどう思っていたかは分からない。数字に振り回されていたかいなかったのかも分からない。ただ1位になっていた事実があっただけ。  それでも表立って何か言われたわけではなく、何かのきっかけでいきなり裏サイトで一気に罵詈雑言、誹謗中傷の言葉を大量に見せられたのだ。  美しいドアを開けたら裏に大量の害虫がびっしり現れたようなものだ。  まだ完解もしていない闘病段階で、ストレスどころか大きな傷となった筈だろう。ショックで病状が悪化した可能性も高い。自分だってまだ完解とは言えないし、仕事復帰して日も浅い。油断は禁物だ。  別な闘病仲間の中には病を理解されないまま、離婚された人もいた。  『健やかなるときも病めるときも』なんて嘘っぱちだと言っていた。  病の辛さは本人にしか分からない事もある。支える側の気持ちも毎日ひとつ屋根の下に居れば理解が追い付かずイラつく事もあるだろう。  「いつまでも良くならない自分に、夫がイラついてるのが黙っててもわかる」と我が身を責める日々の中、自分の腕を刃物で切ったという女性もいた。  「あの人」は世の中の偏見と差別や嘲笑への怒りと同時に、何より発病した本人が一番、自分を責めてもいた。発病前は自分こそが偏見と差別に満ちていたと。こんな事になるとは思わなかった。早く治して復帰したいのにまだ出来ない。こんなに自分は治そうと出来る限りの努力をしているのに、身内にも理解して貰えない。家族を養わなければならないのに、子供にかかる費用が、妻を一人働かせて等々。そこにドカンと来た見知らぬ者たちからの誹謗中傷という爆弾投下。  大丈夫じゃないのに「大丈夫」と言ってしまう人が最も危険な気がした。  だが自分にはどこの誰とも分からない姿を消した人。でも心に今でもある、 確かにあった事。確かにいた事。アカウントやら何やらを消しても、誹謗中傷の画面が消えても、なかった事になんて絶対ならない。存在しなかったことにはならない。どうか無事でいますようにと祈るしかできない。  …助けてと手を伸ばしても誰も助けられないケースだってある。そんな時は口を閉ざすしかないのだ。助けを呼ぶ度に狂わんばかりの痛みと血を流しても希望が打ち砕かれ続ければ、私だって…。  さっきまで喜んでいた目の前の同僚は黙って聴いていた。  「確かにこの世界は数字でしか判断して貰えないところはある。でも数字の裏には恐ろしいものも、そうでないものも隠れてる。あまり数字だけに固執して一喜一憂したり振り回されると、しんどい思いするかもってことかな。」  私はそう言って立ち上がった。  彼女とあの人では書く動機もテーマも違うとはいえ、あのランキングという数字がイコール高評価の保証ではないことは確かだと思う。裏で何を思われて言われているか、それに対処できる何かを持っているか。  そもそも私、基本的に数字って苦手なんだよね。それに強い味方もいない。    昼休みが終って仕事に戻る。会議が始まった。  「このグラフ。そして平均の数字を見て下さい。52.2歳。これは数字上のまやかしに過ぎない。実際の中身は若年者と後期高齢者です。」  会議室がざわめく。  「数字のまやかし、か……」  私が頬杖をついた途端。窓の外から耳を(つんざ)く選挙カーからの声が飛び込んできた。「○○でございます!清き1票をお願い致します!」  うへぇ。どこ行っても数字数字。1票だとか清いとか、まやかしだか何だか知らないけど。  拡声器を通した大きく不快ながなり声が、目の前の飲料水を揺らしたように見えた。  「ありがとうございます!ありがとうございます!」  女性のマイクを通した甲高い声も大きく響き渡り不快だ。迷惑をかけている自覚がないのか、なぜお礼を言っているのか理解不能でしかない。気持ち悪い。  「すいません、ちょっと眩暈と吐き気がするので医務室に行ってきます」と私は立ち上がり、「失礼します!」とドアを開けて会議室を飛び出した。
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