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初七日の日、私は山に向かった。ちゃんと埋まっているかの確認も兼ねる。断じて墓参りなどではない。魚にそこまで心を割いていられない。私はただ、あのピンクの木が気になったのだ。
私は一週間前と同じように、無心で山を登った。今週は雨が降らなかったので、山は乾いていた。私がざくざくと歩みを進め、息を枯らしながら彼女の元までやってくると、そこには幻想的な風景が広がっていた。
一面に桜が咲いていた。いや、桜が咲いているのは1本の木だけなのだが、あまりの見事さに、一面に桜が咲いているのだ。根をよけろと言った木は、どうやら桜だったらしい。ここまでの道中は色味に薄く、淡泊な風景がずっと広がっていたのだが、目の前にはいきなり桜色が広がっていた。私はあまりの光景に、脳天を殴られた気がした。
「やあ、いらっしゃい」
桜が言った。
「丁度受粉中だよ」
「それは忙しいときにお邪魔をしたね」
私は答えた。
「いや忙しいのは虫たちさ。私は立っているだけだから」
「君の頭のそれはよく目立つね。山の下からでもよく見えたよ」
「そうかい? なんだか恥ずかしいな」
桜は恥じらって身をすくませた。花びらがあたりに舞って、近くの川に踊って身を投げた。
「君は美しいね」
柄ではないのだが、私はそう言った。
「生き物はみんな美しいものさ。特にこういう瞬間は。君だってそうだろう」
「彼女もそうだったんだろうか」
私は言った。
「きっとそうだったに違いないよ」
桜は笑った。そうして私の頭をなでて、キスをした。私はむずかゆくて、頭と唇についた花びらをはらった。
いつかの茶色い小鳥が飛んできた。桜の中では彼女も美しく見えた。小鳥は言った。
「人間も花を美しいだと思う?」
「思う」
「花が咲くと、餌がたくさんあるのがわかるんだ。例えば虫とか、蜜だとか。人間も虫や蜜狙いなのかい? 桜の木の下には、よく人間が沸いているね。まるで餌を狙っているみたいに」
一人で良くしゃべる小鳥だった。私は答えた。
「人間も、果物を食べる。花はその前兆だから、美しいと思うんだろう」
「へんなの。実がならない花も、人間は美しいと思うんだろう?」
小鳥は続けて尋ねた。
「彼女も美しかったんだろう?」
「そう、彼女は美しかったんだ」
私の目の裏には、彼女の色が焼き付いていた。青いインクを流したように泳ぐ、あの姿が。だけどその記憶も、どんどん時間がたつにつれて薄れて行って、やがて消えて行ってしまうのだろう。そのことが、私には苦しかった。
小鳥は続けて、いろんなことを気が済むまで喋った。それから、ひとつ桜の花を頂戴すると、そのまま飛び立っていった。
私は桜の木の下までゆっくりと歩いてきて、それから彼女を埋めたところで足を止めた。土はもう平らになっているので、どこに彼女がいるのかはわからない。
近くの川には花びらがたくさん泳いでいた。川の増水は収まり、今ではゆっくりと流れていくだけだ。以前いたメダカたちは、今日はいない。川の底の落ち葉の下に、桜は潜って遊んでいる。
「彼女はそこにいる?」
私は不安になって、桜に尋ねてみた。狐が掘り返して行ったりはしなかっただろうか。川の増水で地面がえぐれたりはしなかっただろうか。
「彼女はそこにいるよ」
桜は私の肩に手を置いて答えた。いやに馴れ馴れしい桜だ。私は肩の花びらを払った。だけれども私はいつまでもそこにいたので、桜に抱きしめられてしまった。深く深く。
私はずっとそこにいた。永遠にそこにいた。多分今でもそこにいる。
<了>
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