0人が本棚に入れています
本棚に追加
しばらく進むと足元がぬかるんできた。日が差し込みつらいこの場所では、地面が渇くのが遅いのだろう。といっても、歩くのに支障はないレベルだ。落ち葉や泥を踏み潰して足跡をつけながら歩いていると、私はそれに気が付いた。私以外の足跡である。
何の動物の足跡だろう。私の足よりも一回り以上大きい。少し山に深入りしすぎただろうか、と私が顔を上げたとき、目の前に鹿がいた。
普通のサイズの鹿ではない。遠目に見ても、競走馬の2倍以上あるだろう。胴体ときたら100年樹よりも太いだろうし、首も顔の大きさも比べものにならない。
鹿には逃げる様子はない。それどころか、ゆっくりと私の方に近づいてきて、こう言った。
「2日前、大雨が降ったんだ」
鹿は、くるりと向こうの方に首を回した。
「この先は川が増水してる。渡るのは諦めた方が良い」
私は目をぱちくりさせた。人間の会話なら、不審に思われる沈黙のあと、私はこう言った。
「教えてくれてありがとう」
鹿と人間の会話なので、沈黙が不審に思われることはなかった。鹿はこう続けた。
「何をしにここまで?」
私はこう答えた。
「埋葬をしに」
「誰が死んだ?」
「魚」
「魚か。なら、水辺の近くに埋めるといいだろう」
鹿は、畏怖を感じさせるほどの大きさだった。鹿と聞けば大きな犬を思い浮かべるかもしれないが、この大鹿はそんなものではなかった。その気になれば私を蹴り殺すのは朝飯前だろう。私は畏怖を感じた。それはたぶん生命の危機と同等の意味だった。なので、私は鹿に道を譲った。鹿は大きな足跡を残しながら、歩いて離れて行った。
最初のコメントを投稿しよう!