これほど冷たい春の土には

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 私が奥に歩いていくと、あたりから水の音が聞こえ始めた。大鹿の言った通り、川は増水していた。私は川の流れにも畏怖を感じた。なのであまり近づかず、川の少し離れたところに彼女を埋めることにした。  水のせせらぎを聞きながら、私は大きな木の根元までやってきた。このあたりでいいだろう。私は腰をかがめて、少しためらってから土に触れた。土というよりは、ほとんどが落ち葉と木の枝だ。土はこうやって土になっていくのだろう。 「そこはやめて」  と木が言った。 「根があるんだ。もう少し右」  私は言われた通りに、横にずれた。 「もう少し右。それからもう少し後ろ。そうだそうだ、そこがいい」  注文の多い木だ。だが言うとおりに、私は埋める場所を変更した。 「埋葬かい?」  木が尋ねてきたので、私は曖昧に頷いて返事をした。 「そりゃあいけない。葬列には献奏がないと」  木が何か合図をすると、まもなく枝に小鳥たちが集まってきた。私は穴掘りを止めて、立ち上がって空を見た。集まってきた、とくにパッとしない茶色い小鳥たちは、滅茶苦茶に歌を歌った。木はそれに合わせて体を揺らした。私は胸に手を当てた。 献奏は終わった。小鳥たちは口々にお悔やみの言葉を言った。 「この度は」「誠に」「お悔やみ申し上げます」「生前の故人は」「えーと」「何が死んだの?」  小鳥たちが質問をはさんできたので、私は短く答えた。 「魚だよ」  すると小鳥たちは、また口々にお悔やみの言葉を述べ始めた。 「魚だって!」「夕食にしたいんだけど」「ダメだよ土の取り分だって」「とにかく」「故人の魂が」「故魚じゃない?」「安らかでありますように」「心より」「あっカラスきた」「逃げなきゃ」「お悔やみ申し上げます」「じゃあねー」  小鳥たちは来た時と同じように、一斉に飛び立っていった。葬儀に参列者がいるのはありがたいことだ。私はやっと穴が掘り終わったので、手提げ袋から彼女の死体を取り出した。 初めて手で触れた彼女の体は冷かった。汚れた私の指で触ったので、彼女の体にも少し土がついてしまった。暖かいところが故郷の彼女を、こんなに寒いところに埋めるのはなんだか不安だった。凍っていないのが不思議なほど、春の土は冷たかった。  私は穴の底に彼女を寝かせ、上からそっと土をかけた。濡れた土が反射して、きらきらと輝いた。まもなく彼女の体は見えなくなった。元のように土を乗せ終えると、私はしばらくの間土を眺めていた。それから私は手を洗うために、せせらぎに近づいた。  川の流れは速かった。流れが緩やかになっているところを見つけたので近寄ってみたのだが、そこには先客がいた。 「こっちはやめといて」  メダカたちが、小さな声で一斉に呟いた。私は了承して、メダカたちから少し離れた下流で、注意深く手を洗った。 「魚が死んだの?」  手を洗い終えてハンカチで手を拭いていると、メダカたちが尋ねてきた。 「死んだよ」 「何年生きた?」 「2年ぐらいかな」 「いいなぁ。超長生きじゃん」  上から見る彼らは小さな線に見えた。彼女のことは横からずっと眺めていたので、面に見えた。彼女のことを上から見たら、こんなふうに線に見えたのかもしれないな、と私は思った。 「彼女は何も言わなかったよ」  と私は言った。 「メスだったの? 卵は産んだ?」 「私の家に来る前に、出産はしていたようだよ。彼女の子供たちは、別の家に居るんだ」 「いいなあいいなあ、羨ましい」  と、メダカたちはいっせいに大合唱した。 「彼女が死んで悲しいの?」  メダカたちが尋ねてきたので、私は答えた。 「わからない」 「大丈夫、彼女はいっぱいいるから」  彼女の子孫がいっぱいいる、ということだろうか? 魚の生死感はよくわからない。私は話題を変えたくて、こう話した。 「そんなところにいると、鳥に食べられない?」  しかし話題は変わらなかった。 「大丈夫、私はいっぱいいるから」  私は一瞬考えこんでから、こう答えた。 「へんなの」 「あなたが死んでも、あなたはいっぱいいるでしょ?」 「人間の数は多いからね」 「私達ほどじゃないでしょ! えっへん!」  メダカたちは胸を張った。しかしそこにカラスがやってきて、小魚たちは水たまりの奥深くに逃げ込んでしまったた。なので私達の会話はそこで終了した。私は手を洗い終わったので、川を後にすることにした。  カラスは口惜しそうに川の周りをまわっており、それから私に話しかけた。 「人間は死を重要視しすぎだよ。本当に大事なのは生だ」 「そうだねぇ」  私は曖昧に答えた。 「火に喰わせるなんて、もったいないことをするもんだ」 「そうだねぇ」 「土に喰わせてやりなよ、もったいない」 「そうだねぇ」 「人間は土地を硬いものでたくさん覆っているみたいだけど」 「そうだねぇ」 「いつかきっと、土から苦情が来るよ」 「そうだねぇ」  よくしゃべるカラスだった。かくいう私も、埋める土がないからここまで来たのだ。私は埋葬という儀式が終了したので、山を下りて家に帰ることにした。 山を下りて街に近づくにつれ、私はどんどん彼女から離れていった。
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