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俺が目を開き時計を見ると、アラームが鳴る5分前だった。俺は面倒くさいと感じながら上体を起こし、目覚まし時計をオフにした。今日も退屈な1日が始まる。
35歳独身で彼女無し。175センチの身長でお腹も出ていないし、顔も普通よりは良いと思う。自分では、どうしてモテないのか分からない見た目なのだが、友人曰く、空気を読まない発言がダメらしい。付き合いの長い友達同士なら問題の無い発言も、初対面……特に女性にはキツいものがあるとの事だ。皮肉で「お前は黙ってればモテるよ」と言われた事もあったが、黙っていてモテる程の容姿でも無い。
午前7時半、俺は黒の軽自動車に乗り込み、職場へ向かう。工場に勤めて早10年。マシンオペレーターとしての仕事が主だ。長く勤めているものの、役職も無く、毎日の作業をこなす日々……。同じメンバーで同じ作業……。夏場は仕事が多くなって、冬場は少なくなる傾向があり、毎年7月辺りに派遣社員さんが入ってくる。先日も他部署に2人入ったらしい。俺としては、 若い美女が入ってくれないかなと常々思っているのだが、入ってくる人は大体が高齢のおっちゃんか、おばちゃんだ。
だが、今回の1人は30前の女性のようだ。遠目から見たところ、特に美人という訳でも無いが、小柄で可愛い感じの女性だ。特徴的なのは彼女の声。誰もが立ち止まって、2度見ならぬ2度聞きをしてしまう程変わった声をしている。声優になれるのではないかと思う程、高音の地声。良く言えば、子供のように可愛いし、悪く言えばバカっぽい。初対面の人からは必ず突っ込まれてきたのだろう。
午後5時過ぎ、普段と同じマンネリした仕事を終え、下駄箱に向かおうとすると、噂のその女性とバッタリ遭遇した。彼女は頭を軽く下げて挨拶する。
「お疲れ様です」
「あ、お疲れッス」
何度聞いても変な声。ストレスの溜まった女性なら、この声を聞くだけでイジメに発展しそうだが、俺は全く気にならないどころか、むしろ心地よい。下駄箱まで同じ道なので、何か喋らないと、と思い話し掛ける。
「お仕事慣れましたか?」
「あ、はい。まだまだ作業は遅いですけど……」
彼女はニッコリ微笑んだ。その時、彼女の瞳が凄く綺麗なので驚いた。続けて彼女が話す。
「こちらに勤められて長いんですか?」
「10年目です」
「え~凄いですね」
俺は話す相手の目をしっかり見るタイプだが、彼女も同じタイプの様でバッチリ目が合う。物凄く綺麗な瞳だが、少し違和感がある。
下駄箱に着き、靴を履き替えている時に気付いた。恐らく、瞳を綺麗に見せるコンタクトレンズなのだろうと。
「目に何か入れられてます?」
「あ、はい……」
「やっぱり? 凄く綺麗な瞳だったので」
「ありがとうございます。嬉しいです」
俺も全く女っ気が無かったという訳では無い。彼女が俺に好感を持った事ぐらいは分かる。相変わらず変な声が少し引っ掛かるが、それがむしろ愛らしい。
ガチャ
俺は通用口の扉を開けて彼女を待った。扉の外は夕焼けが俺達を燃やす程、真っ赤に空を染めていた。
「ありがとうございます」
彼女は軽く頭を下げて礼を言った。この程度の事で好感度が上がるとは思わないが、しない男よりはマシだろう。今、連絡先を聞いても教えてくれそうだが、明日以降の方が、がっついている感が無くて良いと思った。何か気の利いた一言を告げて別れられたら完璧だと思った時、笑いの神が降りてきたと感じた。
「喉にも何か入れられてます?」
「喉?」
「凄く変わった声なので、喉にも何か入れてるのかなあって」
俺は彼女が笑いながら「地声ですよ~!」とか「変な事言わないでください~!」とか言って盛り上がると思っていたのだが、彼女の顔は見る見る曇っていった。
ザアアアー
こんなにも綺麗な夕焼けの中、大粒の雨が降り出し、彼女は何も言わずに逃げるように走って自分の車に乗り込んだ。
了
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