第2話「ビター・ソウル」

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第2話「ビター・ソウル」

 音楽室から吹奏楽部の練習音が聞こえてくる頃、私は陰からミリンの様子を窺がうことにした。  彼女をストーキングするのは日常だから、ミリンには気づかれていないはず。ただ、周囲からは少し変わった美少女と思われているかもしれないけれど。  果たしてミリンは本当にハラマキに告白をするのだろうか。ハラマキが約束を守るかどうかも気になる。それに、彼女の告白を見届けるのは私の義務でもあるだろう。いや、あるはずだ。いや、いや、あってくれ頼むから。  本心では今からでも告白を断念してもらいたい。そうすればミリンの心は傷つかずに済む。しかし、一方でフラれてしまえという気持ちも存在するのだ。だって、傷つかなければ私はミリンを慰めることが出来ない。  いつだって乙女心はブルーにこんがらがっているのだ。でも、仕方がないじゃない?  断っておくけれど、私の行為は愛であって、愛の前ではどんな行為も正当化されるという大原則に寄っている。ただし乙女限定だけどね。  女の子はお砂糖とスパイスと素敵な何かで出来ていない。  ときめきと二律背反と良心の呵責で出来ているのさ。  ミリンがハラマキを連れ出して、廊下へ出てきた。さて、どうするミリン。どう動く? 「あの……」  ミリンが鞄からスマホよりも二周りほど大きな箱を取り出した。  ――え? まさか。  まさか、こんな下校支度の生徒だらけの廊下で告白をしようというの? 普通はもっと人気(ひとけ)の無い場所を選ぶものよ? ウマシカなの? 死ぬの? 玉砕するの? 「花巻くん、このチョコと私の想いを受け取ってください……」  やらかした! なんて恥知らずな反乙女的行為! でも、そんなウマシカなところも可愛い。可愛すぎる! 「ごめん。僕には彼女がいるから、君の想いには応えられないんだ」  そうだろう。そうだろうともよ。私という立派な彼女がいる以上、そう答えるしかないわなぁ。ハラマキよ! それにしても、何て独創性の欠片も無い断り方だろうか。しかも脚本棒読みのような口調。ハラマキには後で厳重注意をしなければ。 「あれ? おかしいなぁ。花巻くんは誰とも付き合っていないはずなんだけど……」 「!」  サスガね、ミリン。告白する前に相手の生活サイクルや趣味趣向、洋食派か和食派か。果てはブリーフ派かトランクス派かまで。()に入り細を穿(うが)って徹底的に調べ上げるのが乙女の(たしな)み。付き合っている女子の有無など、初歩の初歩ってわけね。  それでも一歩遅かったわ。彼に彼女が出来たのは今日の一時限目のこと。悲しいけど、これってヴァレンタインなのよね。 「自分でも気づかないうちに、朝に彼女が出来てたんだ」  ざ・ん・ね・ん・で・し・た。可愛くて可哀想なミリン。心が傷だらけのミリン。あとで私がいっぱい慰めてあげるからね。 「誰ですか! 名前、教えてください!」 「それは……訳あって言えないんだけど」 「誰なのか、名前を教えてくれるまで信じられません!」  なんてウマシカな。そこまで他人のプライベートに踏み込むのは反則行為よ。乙女の恥じらい規則第三条第一項に抵触しているのが分からないの? 「名前が言えないのなら、私のチョコレートと想いを受け取ってもらいます! 超法規的にでも」 「超法規的は困る。彼女の名前は……」  これはマズイ展開になってしまった。ハラマキの奴、ミリンの押しに負けて私を売りかねない。しかしハラマキ、お前が困っているのを見るのは面白い。が、少しも可愛くないな。 「そこまでよ! ミリン!」 「カレちゃん?」 「話はすべて聞かせてもらったわ」 「酷い! こっそり覗いて、私を笑ってたのね」 「いや、みんな見てるよ!」  考えてみれば、私がコソコソする必要など最初からなかったのだ。ここは公衆の面前であって、私がいても何ら不思議はない場所なのだから。 「大好きな人を困らせるのが、貴女(あなた)の愛なの? それもこんな大勢の前で!」  まさに「おまいう」。しかし気にしたら負けだ。恋愛とは生存戦略なのだから。  ミリンは表情虚ろに私の顔を見ると、すぐに視線をハラマキへと合わせた。 「花巻くん、困ってますか?」 「困ってます」  ミリンは熟れたザクロのように顔を真っ赤にさせると、全力疾走で廊下の端へと消えてしまった。ああ、もう。痛々しくて、私のほうが居たたまれない気持ち。 「嫌な役回りだな。高くつくぜ?」  そう呟いたハラマキの顔は、私からは少し笑っているように見えた。ヤツに言ってやりたいこともあったが、今の私はそれどころではない。 「ところで僕と君ってさ、似てるところが一つもないね」  なに当たり前のことを口走っているのだ? まぁ、ハラマキの戯れ言をいちいち気にしていても始まらない。 「私はこれからミリンを慰めにいってくるから、付いて来ないでね?」 「健闘を祈るよ」  恋愛は好きになったほうが負け。っていうのは多分、間違いない。だから私は敗者になったミリンを敗者として追いかけるのだ。私達は同じなのよ。早くそれに気づいて!  私は夕日差す多目的教室の隅っこで、(うずくま)るミリンを見つけた。彼女はフラれると、決まって誰も居ないこの教室で悲しみを埋めるのだ。多目的に。 「ミリン……」 「ごめんね。カレちゃん、今日は一人にさせて」 「好きな人から拒絶されるのって、辛いものね。でも、貴女のことを気にかけている人が、この世界に一人は確実にいるってことを忘れないで」  私は自然な動作で惚れ薬入りチョコをミリンの鞄の中へと忍ばせて教室を出た。  人を好きになるということは狂気に似ている。いや、狂気そのものかもしれない。それを自覚できない者は、本当に人を愛することを知らない者だ。そもそも他人を笑顔にさせたいとか、守りたいとか、抱きしめたいとか、独り占めしたいとか、狂気でなくて一体何だというのか。  私は教室からミリンが出てくるまでの間、そんな思考をアクアリウムで泳ぐ観賞魚のようにユラユラと思い浮かべて、自分の皮膚に張り付く愛の深さを推し量った。  ――深い。きっと人魚姫は、浅瀬に行っては生きられない運命だったのだろうな。知らんけど。  ミリン……こんな愛し方しか出来なくてゴメンね。私のこと、許さなくてもいいよ。  吹奏楽部の練習音が消える頃、ミリンはやっと天岩戸(あまのいわと)から出てきた。  小柄な体は心なし、肩を落としているように見える。声も掛けられず、私は彼女に気づかれないよう後を追うのが精一杯で、愛という残酷を薄い唇で噛み締めるのに夢中だった。  ミリンが火災報知機の赤いランプのところで立ち止まった。鞄の中を探って私があげたチョコを取り出すと、控え目な態度で辺りを窺う。  ――?  すると彼女は、おもむろに私のチョコをゴミ箱へと投げ入れた。  ――! 「ゴミはゴミ箱へ捨てないとね」  突然の信じられない光景を前に、私の瞳は白目になった。もちろん白目というのはモノの例えで、私の目が黒いうちはミリンの結婚は絶対に許さん! あー、あれだアレ。あれ? アレって何だっけ? そうだ、私の頭の中に赤いゼラニウムが咲きました。 「さて、ミリンは明日も頑張るぞい!」  小さくガッツポーズを作ると、彼女は楽しそうにスキップして駆けていった。ちくしょう、やっぱり可愛いな。  それにしても、なんということだろう。私が作ったチョコは、彼女によって毎年あんなふうに殺されていたのかい。  私の口元からは、何故か笑みが陽炎のように浮かんだまま、なかなか消えてくれなかった。  だってミリンが元気になったのだ。これ以上嬉しいことを望むのは、きっと間違っている。  でもねミリン、貴女は私から逃げられない。何故なら私達は、ただの金魚鉢の中を泳ぐ二つの彷徨(さまよ)う心なのだから。  貴女ならきっと、理解しているはずよね。  だから今日はさようなら。バイバイ、また明日。
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