第3話「春にウグイスを置く」

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第3話「春にウグイスを置く」

 世間は春で、だから桜の季節でした。  両親は法事で、だから私は一人でお留守番をしています。  実は私は家に一人で居るのが好きなほうだ。そして取り留めの無いことを、とり(まと)めなく考えながら、思考の海の中を浮いたり沈んだり、そんなふうに溺れるのを楽しむのです。  例えばトースターの中で焼けていくパンの香ばしい香りと、コーヒーの淹れたての香りが対決を始める第一回戦とか。  カーテンのスクリーンに踊るベランダの洗濯物たちの群像劇。真昼のカーテンコールに拍手喝采! とか。  冷蔵庫の中のブーンと、紙飛行機のスーンとスプーンですくった私のチッポケな歓送の感傷と感想文の宿題とか。  ウチの学校は春休みでも読書感想文の宿題を出す。現代の高校生の活字離れを懸念してということではなく、創立以来の伝統だそうだ。  無意味な伝統だなと思う。  私には嫌いなものが多い。宿題もその一つだ。  他にはススキという自分の名前、他人の恋バナ、飛べない人混み、低俗なワイドショーとお笑い番組。緑色のピーマンとフランケンシュタインの人造人間、シイタケ……エノキダケ……あとはそれだけ。  好きなものは少ない。  ミネラルウォーターという響きと梅の花の香り、ジャズを聴くときの気分、ミリンという名の少女……これだけではないけれど、一応これだけ。  こんな私だけれども、どうか夜露死苦(よろしく)お願いします。  そんなことを考えながら、ただひたすらにスナップえんどうの筋を黙々と取る私って、なんだかエライ! けど、お腹すいた。考えたら私、朝起きてから時計の針がお昼を回るまで何も食べていない。  空腹は、意識が月の引力に引っ張られます。  『食事は自分で作って食べてください。それからエンドウの筋取りを頼みます。慈愛あふれる母より』  愛の深さに頭がクラクラします。母上さま。  エンドウの筋取りも遅々として進まないわけだ。  私は料理といえば目玉焼きくらいしか出来ない。娘よ、精進せよという配慮なのであろうけれども、なんというか今はとても玉子の殻を割る気分ではないのですよ。  カップラーメンでも探そうと腰を上げた途端、呼び鈴が鳴った。  きっとミリンだろう。  そうだミリンに何か作ってもらおう。彼女は意外と料理が得意なのだ。が、あまりその腕前を私の前では披露してくれない。  でも月へと旅立とうとする私の事情を知れば、腕をふるってくれるはずだ。作ってくれなかったら、泣いたフリでもしよう。そうしよう。  期待と愛を込めて玄関のドアを開けると、そこには意外な人物が立っていた。 「ハラマキ……」  本名、花巻(はなまき) 白芥子(しろけし)は私の彼氏だ。不本意な彼氏。自業自得の彼氏。だけど、私の想いの被害者でもあるから、私は彼の繊細な手を振りほどく資格がない。 「いい加減、そのハラマキって呼ぶの、やめてくれないかなぁ」  コイツと付き合うフリを始めて、一ヶ月以上経って分かったことがある。ハラマキは私がどんな理不尽な言動を取っても怒らないのだ。  さっきの発言にしても、不快というよりは愉快そうに笑顔である。いや、愉快そうで実は心の深い部分では不快なのかもしれない。  だとしたら、怖い。 「ところで、何故に私の家を知っている?」 「枯尾花(かれおばな)の友達が教えてくれたんだ。ええと、本醸造(ほんじょうぞう)さん? だっけ」  何を考えているのよミリン。と、私はささやかなタメ息をついた。 「だいたい、付き合って一ヶ月も経つのに相手の家を知らないってのが変なんだぜ?」  そうなのだろうか? 本当に? よくわからない。  そういえば私はハラマキの家を知らない。いや、わざわざ知りたくないわけだけども。  やっぱり私とハラマキの関係は歪んでいる。 「いったい何しに来たんだよぅ」 「一緒に花見でもと思ってさ」 「は~な~み~」  私は空腹の力を借りて、とりわけ不機嫌な表情を作ってやった。花見がどうこうというわけではなく、人混み全般が嫌いなのだ。 「今日は良い天気だし、風も穏やかだから絶好の花見日和だ」  ハラマキは相変わらずだ。白い顔色に赤い唇。涼しい顔をしてマイペースな態度。風に吹かれているように、(たたず)む。  私の意見なんか、どこ吹く風だ。 「穴場を知ってるんだ。桜の木が一本だけあって、全く人がいないわけじゃないけど静かで風情がある」  目の前で風情とやらを語るハラマキには申し訳ないが、私は外出する気が無い。  桜の、あの淡い薄桃色の(かすみ)は嫌いじゃないけど。いや、むしろ好きだけど。何故だろう、今日はあの色に心を触れられたくない。ザワザワと、あるいはとてもヒタヒタと、私という存在の隙間の中へと忍び込まれてしまいそうな不安を感じる。 「弁当も作ってきたし……君の好きな三角お稲荷さんや、甘くした卵焼きも入ってる」 「え?」  私は振り向いたハラマキと視線が合ったとき、顔が熱を帯びて熱くなっていくのを感じた。だって、私ときたらハラマキが作ってきた弁当を勝手に開けて食べていたのだから。  乙女にあるまじき品性の欠片もない行為。全部、空腹のせい。だけど、私のせい。 「お腹が空いていたなら、そう言えばいいのに」  と、ハラマキは優しく微笑む。どうしてコイツは怒らないのだろう。逆に不気味だ。 「えんどう豆の筋取りをしなきゃならないから……」  お花見には行けないのだ。 「じゃあ、僕も手伝うよ」  多分、コイツはとても良いヤツなんだろう。私には勿体無いくらい出来の良いハラマキなのだろう。  私達は無言でえんどう豆の筋取りに励む。  お花見日和の陽が傾き始めた昼下がりの静寂の温もりの中。 「そういえば御両親は?」 「法事よ。伯父が亡くなったの」 「そう……」  桜の木の下には死体が埋まっている。私の好きな短編小説の出だしだ。 「きっと伯父は桜が咲くたびに、親しかった人たちから思い出して貰えるんじゃないかしら」 「それはまるで夢のような話だね」  私も死ぬなら桜の咲く時期がいいなと思う。
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