第5話「ナーバスな観察日記」

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第5話「ナーバスな観察日記」

 小さなタメイキが一つ。教室の床に落ちて転がって、いくつか重なって、私の新学期を形作ってゆく。  とても残酷で尊くて、チクチクして切ない。そんな初夏の四時間目。  一番後ろの席からはミリンの後姿が良く見えて、苦しゅうない。  しかし、ハラマキの姿も同時に見えるので、苦しゅうある!  誰の陰謀か何かの偶然か、私達は同じクラスになった。  ご機嫌とご機嫌ナナメの急な坂道を行ったり来たりしているうちに、私の運動不足な精神は力尽きてしまい、フラフラとその場に座り込んでしまう。  タメイキは(すなわ)ち心のゲロだったりするので、たっぷり垂れ流すのは控えたい。  吐き気の原因に拍車をかけているのはミリンの態度だ。  授業中、彼女はハラマキのほうをジッと見つめる時があって、その行為が何というかもう想いがバレバレのミエミエで、私の中の乙女回路は火花バチバチ、ショート寸前のバッチコーイ!  真に遺憾である! 遺憾砲ズンドコバンバンである!  あ、また吐き気。まるで悪阻(つわり)のような私。  だいたい、乙女としてはしたないのよ。純粋な想いこそ、隠すべきなのにさ。  自分がナーバスになっていること、分かってる。でも教室では膝を抱えることも出来ないから、代わりにネガティヴな思考を抱えてしまって、まったく、どうしようもない。  三人同じクラスになって、分かったことが二つある。  ミリンが相変わらず可愛いことと、意外にもハラマキの人気が高いことだ。  女子はもちろん、何故か男子からも慕われている。  クラス内ヒエラルキーでいえば、明らかに上位組だ。  まぁ、面倒見が良いのは認めるけど。でも、所詮はハラマキじゃないか。  どのみち世の中が私と同調したことなんて、ただの一度も無いんだけどさ。  パサパサのパセリ、誠実なセージ、ローズマリーのお茶とタイムマシンガン。  とか何とかいう曲が流れている英語の授業。教師の声だけが妙に騒がしい。  戦争反対。散らばったラヴ&ピースのカケラたちを拾い集めても、どうせパズルは揃わないくらいに遠い昔の六十年代。ロック・ミュージックは死んでしまったのだから。  だから退屈な授業もお(しま)い。お弁当の時間です。  私は一人、屋上に出る。桜が散って、もう随分と暖かくなった。  ポケットからバランス栄養食の黄色い箱を取り出すと、ショートブレッド型のブロックを齧る。  ミリンと同じクラスなら、もっと居心地がよいと思ったのに。 「なかなか上手くはいかないね」 「乙女の心を読まないで」  そんなわけはないのだろうけど、ハラマキは何処か人の思考を見透かせるのではないかと思うくらい勘が鋭い。そんなところも、もう慣れた。 「私の食事を邪魔しないでよ」  放っとかれるの嫌いじゃないし、私だって誰かを放っとくし。無関心世代ってこんなもの。 「随分と味気ない食事だね」 「男は小さいことを気にするな」 「男だって気にするさ。君は食事と云うものを、あまりにも軽く見すぎている」 「余計なお世話じゃん」 「食事は人生の友だよ。死ぬまで関わり続けるものだ。だったら良い関係を築いておいたほうが、お互いのためになる。それに、きっと何処(どこ)かで君のことを助けてくれる」 「そうかしら」 「仲が良ければね」  飛行機雲が青い空に真っ直ぐな白線を引いていく。成層圏は、きっとオゾンいっぱいの味がするね。 「明日から、少しずつでも関心を持ってみるわ」  人が恋愛感情を持つのは当たり前だ。人は非日常を欲す。恋愛とは多くの人にとって、非日常なのだ。  ミリンにはハラマキが非日常の入り口で、私にはミリンが入り口だ。じゃあ、ハラマキはどうなのだろう?  私が入り口では、多分無い。無いはずだ。私は誰の非常口にもなりえないし、なりたくない。 「私、貴方を観察していて思ったのだけど……」 「なに?」 「変わってるわ」 「どんなところが?」 「本当の自分を隙間すら見せないところ」  ハラマキは否定も肯定もせず、ただ笑顔だった。  風に吹かれる彼の髪が、ゆるやかに踊って、まるで社交ダンスのようだった。  花かざりの花ざかり。  私は花を咲かせることが出来ない子供だった。だから朝顔の観察日記はとうとう完全な形で提出することが出来ないまま、小学校を卒業してしまった。  昔の頃の話だけれど、今だってきっと、まったく、どうしようもないわね。
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